ヒポクラテス以後の正方形化(一般に円積問題と呼ばれている)及び円周率に関する歴史的ノート
注、πという記号が円周率として初めて使われたのは、イギリスの数学者ウィリアム・ジョーンズの『新数学入門』(1706)という本である。
*聖書にあらわれる円周率(π=3としている)。
資料 旧約聖書『列王紀略』
 このふちより、かのふちまで10キュビトにして・・・その周りは30キュビトの縄を巡らすべし
 
*500年頃の旧約聖書の注釈、ユダヤ人の『聖典』でも「円周は直径の3倍」と述べられている
 
資料 アルキメデス『円の計測』(π=3.14)
 命題1 任意の円は、つぎのような直角三角形、すなわち、その半径が直角をはさむ一辺に等しく、円の周が底辺に等しいような直角三角形(の面積)に等しい
 命題3 πの値を 3.1408<π<3.1428とした
 
エウキトス、アルキメデスに対する注釈において、「円周率の実在を仮定して計算しており、だれも円周率そのものを研究の対象としていない」と批判している。円の正方形化についても注釈家は同様な批判をしている。ピロポヌスは、円と等しい正方形の実在(存在)と実際の作図を区別して「幾何学者は前者(正方形の実在)を仮定して(あるものと信じて)作図の研究を進めた」と批判している。次の、アンニモスとシンプリキオスの批判も同様な文脈である
 
資料 アンニモス(プロクロスの弟子でエウキトスの助言者で5世紀後半)のアリストテレス「カテゴリー論」注釈
 与えられた多角形と面積が等しい正方形を作り終えた幾何学者たちは、与えられた円と面積が等しい正方形を作ることが可能か考えた。多数の賢者が挑戦したが誰も成功しなかった。わずかに超人アルキメデスが非常に良い近似解を得たものの、完全なるものは今なお得られていない。アリストテレスは、円の正方形化は、知られていないが、知ることが出来ると言っているが、たぶん不可能ではないか。
 
資料 シンプリキオス(アンニモスの弟子6世紀中頃)
 円積問題および円周と同じ長さの直線があるかという問題が、現在にいたるまでまったく解かれていないにもかかわらず、あいかわらずそれに取りくんでいる人々がいるのは(正方形の)直径と辺の通約不能性と違って、それらが不可能であることの証明がなされていないからだ。
 
中世になると、シンプリキオスのように次のように不可能ではないかと文学作品にも現れる
 
資料 ダンテ「神曲」(1314〜1318頃成立)天堂篇33歌
 あたかも力を尽くして円を測ろうと
 つとめながら、なおも自分の求める
 原理に当たらない幾何学者のごとく
 
古代のπの歴史と近代の研究
BC2000年頃 バビロニア人、π=31/8を使う
BC2000年頃 エジプト人、π=(16/9)=3.1605を使う
BC550年頃  旧約聖書『列王紀略』π=3を使う
BC440年頃〜BC430年頃 ヒポクラテス、アンティホン、アナクサゴラス円の正方形化の研究
BC420年頃  ヒッピアス、二次曲線を発見
BC335年頃  ディノストレイトス、円の正方形化に二次曲線を使う
BC3世紀    アルキメデスの研究
BC225年頃  アポロニウス、アルキメデスの値を改良、πの値は不明
2世紀      プトレマイオス、π=377/120=3.14166を使う
この間は、基本的にアルキメデスの方法を精密化しているだけである。、しかし、ヴェイトからは研究の方法が変わりアルキメデスを超える研究が始まる。
1593年 ヴェイトが無限乗積でπを表す
1596年 ルドルフは小数20桁まで求めた(ドイツ人はπのことをルドロフ数と呼んでいる)
1667年 グレゴリーは、円を測るには新しい数が必要であると考え、極限をとることによって表した
 従って、17世紀になり円積問題は幾何学から数の性質の研究に変わり、オイラーやライプニッツが研究を進める。オイラーとルジャンドルは、無理数の分類を進め、ルジャンドルは、πが代数方程式の解にならないと推測した。
1767年 ランベルトは、πを連分数で表し無理数であることを証明した
1884年 リウヴによって初めて超越数が示される
1882年 リンデンマンは、πが超越数(代数方程式の解にならない)であることを証明した。従って定規とコンパスでは作図不可能であることがわかったが。正方形家とよばれる人々が不可能にもかかわらず研究しつづけた。 
 
*正方形家について
 フランスでは、王のシュルル5世は、解法を発見したものには10万エキュの賞金と名誉を与える布告をした。ジョセフ・スカジェ(1540-1609)は1592年に解法が成功したと公言した。それに対する当時の数学者の反論と論争になった。イギリスでも哲学者ホッブス(1588-1679)が1655年に円の方形化が完成したと公言したが、オックスフォード大学教授のウォリス(1616-1703)が反論し、論争となる。
 17世紀-18世紀は、数多くのアマチュアがこの問題に取り組んだが、先行する研究もしないで、間違いを繰り返すだけであった。結局フランス王立アカデミーは、正確な円の計測は不可能であると結論し、1775年円の計測、角の三等分、立方体倍積に関する論文は受け取らないことを決議した。オランダ人のルドロフは一生をかけて円周率の計算をし墓石にはラテン語でπの値を35桁まで彫られていた、この墓石は破壊されていたが、2000年に復元された。
 
 不可能が証明されても挑戦し続けている。ことについてドイツのシューベルトは「円を正方形にする人たちの競争は、決してなくなることはないだろう。無知と栄光への執念が固く結びついている限り」と1899年に述べている。ある大学の先生の話によると、現代でも、円積問題や角の三等分ができたという人がいるそうです。

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