ミュトスからロゴスの定式は、疑問視されていると述べたが、合理的・理性的・革新的なものと、非合理的・非理性的・伝統的なものがミレトス派以後も認められる。典型的なのはヘロトドスの「歴史」である。ヘロドトスの生まれは小アジア西岸のハリカルナッソスの町で、ドーリア人の植民地であったが、はやくからイオニア族の文化圏に組み込まれていた。この町には原住民のカーリア人も多数住んでいた。ヘロトドスはカーリア人とギリシア人の混血であったかもしれない。いずれにしても、彼は、ギリシア人とバルバロイの対立抗争を描きながら、客観的に記述しているのは、彼の生まれや、育った土地、さらに幅広く旅をして、バルバロイの地にも驚嘆すべきことを見聞きしたからであると思われる。さらに、生まれ育った地域は、オリエントの先進文明地域と近く、探求精神に富んだイオニア文化圏ある。また、逆に、後年、アテナイの悲劇から宗教性と運命感を学んだ。このことが、合理性と非合理性を兼ね備えた「歴史」をヘロトドスが書き上げたと思われる。以下「歴史」のなかの合理的なものと非合理的名部分を資料として引用する。

合理的・理性的・革新的なもの

歴史(2−20)
幾人かのギリシアは・・・ナイルの河水について三種の説を成した。しかしその中の二説は、単に指摘しておきたいと思うだけで、特に論ずるに値しないものと考える。その一つは、ナイルの水位を高めるのは季節風が原因であって、ナイルが海に流出するのを妨げるのであるという。(タレスの説、この後ヘロトドスは合理的に反論している)・・・もう一つの説は今述べたよりも非科学的で、いうなれば怪異めいた説であるが、これによれば、ナイルは全陸地をとりまいて流れているオケアノスから流出しているので、このような現象を起こすのであるという(ヘカタイオスの説とされている)最後に第三の説は中でも一番最もらしく見えるが、実は最も見当違いの説明なのである。・・・ナイルは雪解けの水が流れ出したものである(アナクサゴラスの説)・・・(その後ヘロトドスは、河口のほうが上流より熱いのでありえないと、合理的な説明をしている)

このように、彼はソクラテス以前の哲学者に通じる思考方法をとり、他の部分でも、自然誌(地誌学、動物誌、植物誌)等の記述がある。つまりミトレス派の著者と同じようにな、科学的観察・思考方法による自然の探求をおこなっていた。例えば、「いろいろな証拠によって推論できる」(3−38)他の例をいくつか挙げる

鰐について(2−68)、河豚について(2−71)、思考方法として、彼は「あまり信用のおけないそのような論議はどうでもよい」(4−94〜)、「私には信じられないことだが」(2−73)、「そのような話しは全く信じない」(4−25)、と断言している。また、判断を保留していることもある。例えば「私の断言しかねるところだが」(7ー189)、「というものかもしれない」(7−191)

非合理的・非理性的・伝統的なも

神託や預言について

歴史(8−77)
託宣というものが真実を告げるものではないとして、これに異を立てることは私にはできない
他に、(1−19、138、174、2−111、6−27、7−133、9−100)

古風な運命観や信仰心や伝統的なもの
歴史(1−167)
(捕虜をアギュラ人は石打の刑にして殺した後)アギュラでは、石打の刑にあった場所埋められている場所を通ったものは、家畜、荷曳用の獣、人間の別を問わず、手足が曲がったり不具不随になったのである。(その後、アギュラ人はデルポイの神託を受け、祭りを行うようになった)

歴史(7−129)
渓谷は、神ポセイドンの作られたものであるというが、もっともな言い分である。というのは、地震を起こすのはポセイドンで、地震による亀裂をこの神の仕業であると信ずる者ならば、かの渓谷はポセイドンが作られたものであるというはずで、私の見るところ、かの山間の亀裂は地震の結果生じたものである。

歴史(6−98)
(デロスの地震について)なにか、神が来るべき災厄を告げる予兆として人類に示されたものと思われる

歴史(1−105)
さてアスカロンの社を荒らしたスキュタイ人とその子孫は後々まで、神罰を蒙り「おんな病」を罹った。スキュタイ人も、この連中の患いは右の原因であるものだとしており

歴史(7−10)
神はかれらの思い上がりをゆるり給わない。
注、過度の幸運とそれによる傲慢は、神の怒りをかう。このことはヘロドトスの別の箇所にも現れるれる(例えば、3−39)

歴史(4−205)
人間があまりにも過酷な復習を試みるときは、神々の復習を買う・・・

歴史(6−45)(6−84)
(クレオメノスの狂気の原因として)大方のギリシア人のいうところでは、クレオメノスの悲惨な最期は、彼がデルポイの巫女を買収して、デオラマトスについてあらぬことを言わせたはずであるということであるが、アテナイ人だけは、かつて彼がエレウシスに進入し神域の樹木を伐り払った罪であるといい、またアルゴス人の言い分では、彼が国祖アルゴスの社から、そこに難を避けていたアルゴスの敗残兵を誘い出して斬り殺したのみか、理不尽にも社の森まで焼き払ってしまった祟りであるという。・・・(スパルタ人は生酒を飲むことを覚えたので気が狂ったと考えている)私の考えるところでは、これはクレオメスがデマトスを陥れた罪の報いなのだ

ヘロトドロスの中心テーマと二面性

まず、序文にあるようにヘロトドロスは、「戦争(ギリシアとペルシア)の原因を調査研究するとある」これは、ソクラテス以前の自然学者と同じ態度をとっている。その主題は「人間の過度の幸運、そしてそこから生ずる驕慢が神の忌諱にふれるという伝統的運命感である(上記の資料)。さらに神託や預言を信じていたようである(上記の資料。しかし、「柔らかい土地からは柔らかい人間がでるのが通例で、見事な作物と、戦争に強い男子とは、同じ土地からは生ずるわけにいかない」(9−122)と自然学者的な説明をしている。ヘロトドロスのこの時代には伝統的な運命感や信仰は時代おくれになっていた。ここで、ヘロトドロスの神に関する考え方は、全てが伝統的なものとは言えないと思われる、それは「英知に満ちた神の摂理というものがあって」(3−108)。「神々が万物の秩序を立てて」(2−52)というように、ミレトス派を思い起こさせるように書いている。おそらく自然学者たちの思考方法を人間社会や歴史に適用すると困難が生じることがあり、説明できないとき原因を神によるものとしたのではないか。結局、ヘロトドロスは「ミュトスとロゴス」をBC430以降でも兼ね備えていたのである

ヘロトドロスの後進性と二面性

ヘロトドロスの時代には、自然者たちのように、自然現象には原因と法則があると考えられていたが。ヘロトドロスは先の二面性と同じように曖昧な点がある。それは、例えば次の二つの部分を比較すれば明らかである。

資料A、ペレティメもその生涯を仕合わせに閉じることはできなかった。バルケ人に報復をはたすしてリビアから帰るとまもなく、悲惨な最期を遂げたのである。生きながら体内に蛆が充満するという憂き目にあったからで、まことに人間があまりにも過酷な復讐を試みるときには、神々の憎しみを買うことが、これによっても判るのである。(4−205)
注、原因を自然的なものそして神々のことが二重に述べられている。

資料B、アカロンの社を荒らしたスキュタイ人とその子孫は神罰を蒙り「おんな病」に罹った。

 この資料Bでは、原因は神(神罰)としている。資料Aの二重性における神は、古い神の概念ではなく、このころになると「自然は普遍的な原理に貫かれており、すべての自然現象には法則がある」この秩序を神のものと考えられるようになっていた。次回のページで述べる予定。いずれにしても、二面性、二重性がヘロトドロスの特徴である。

戻る