ロゴス、アロゴス、ギリシア語の使用から見る、通約不能性(無理数)の発見の時期とその伝説

ピュタゴラス派によって無理数が発見され「万物が数である」という教義に反し、この発見がピュタゴラス派に衝撃を与え、スキャンダラスであり、秘密にされた。無理数を表す「アロゴス」は、もともと、言葉を表す「ロゴス」の否定形で「言ってはならぬ」であった。このことは、現代でも、さまざまな著作、雑誌等に書かれているが、ギリシア数学史の研究者でこう主張する者はほとんどいない。これら無理数に関する言葉の、古代ギリシア(ソクラテス以前)での使用例を見ていく。ある時点で、数学用語に変わっていくことがわかる。その時点は通約不能量の発見の時期を或る程度断定できるのでは。以下の資料はKnorr(p55注47),Fowler(p191〜193)この資料より、デモクリトス、テオドロス、おそらくピロラオスとリュシスは数学的な感覚で使用していた。他は本来の意味で使われている、このことからも、通約不能量というものが認識され始めたのはBC5世紀後半であると言える。なおプラトン、アリストテレスの時代には一般的な用語と数学的な意味での使い方が混在していた。

ギリシアでの数学用語
・λογο∫(比、有理)
・αλογο∫(比にならない、無比、無理)
・ρηο∫(比、有理)
・αρρηο∫(比にならない、無比、無理)
・συμμετρο∫(通約可能)、υσμμετρια(通約可能性)
・ασυμμετρο∫(通約不能)、ασυμμετρια(通約不能性)


原論での定義は
同じ尺度によって割り切れる量は通約できる(υμμετρο∫)量といわれ、いかなる共通な尺度をもちえない量は通約できない(αυμμετρο∫)量といわれる」

1.αλογο∫の使用例、この言葉は頻繁に使用されていた。もともとは「unreasoning」「unintelligent」という意味で使われていた。

例1、パルメニデス(DK28A45)「非理性的動物」
例2、ヘラクレイトス(DK22A16)「人間は理性的ではなく
例3、デモクリトス(DK68A33)著作として「通約不能な線分と立体について」
例4、ピロラオス(DK44B11)what is false and ill belongs to the nature of the unbounded and the unintelligible and the irrational
   邦訳は「虚偽や嫉妬は無限なるもの、思考の対象にならぬもの、不合理なるものに属する」となっている

2.αρρηο∫(アレテー)ロゴスと同じように「言ってはならない」

例、リュシス(DK46、4)リュシスが神を、irrational numberと呼んだ
注、「言ってはいけない」「無理数」両方の意味で使われているDK注(2)。Burkertによると現存する資料では、無理数としは最古の資料だそうですBurkert(p461)ただし、この資料は偽作

3,υμμετρο∫(通約可能)、υμμετρια(通約可能性)。もともとは「suitable」「compatible」という意味でつかわれていた。
αυμμετρο∫(通約不能)、αυμμετρια(通約不能性)は「unsuitable」「uncompatible」という意味でつかわれていた。

例1、
アルクマイオン(DK24B4)a suitable blending of earth generates yields health
エンペドクレス(DKA86) perception requires the complementary of the effuences
エンペドクレス(DKA85)a suitable blending of earth

例2、ヒッパソス(イアンブリコス「ピュタゴラス伝」)無理性と通約不能性についての教えを口外した(後述するように、これはイアンブリコスの資料により、真偽は疑問視されている)

例3、テオドロス(プラトン「ティアイトス」)通約的でないことを明らかに(証明)した。

まとめ

デモクリトスのBC460年頃〜BC400頃、リュシスはペロポンネソス戦争(BC431〜404)の時期にイタリアから出て、BC380年に死んだエパンダミノスの師となった。従って、現存する資料からは、「通約不能」「無理数」とうい意味で用いられたのはこの
二人が初めてである。従って、この二人の活躍したBC440〜430頃「通約不能性」が認識されはじめたと推測できる。なお、テオドロスはBC440頃活躍(プラトン「ティアイトス」に文書資料として、初めて無理数が記録されている。書かれたのはBC368)
ピロラオスは、ソクラテス(BC470頃〜BC399)とほぼ同世代。なお、以下のように、アリストテレス、プラトンには二つの意味で
用いられていた。

プラトン全集における使用頻度
・αλογο∫・・・・一般的な意味(言ってはならない等)36回、数学的な意味で10回
・ρηο∫・・・一般的的な意味(言葉で表せる、言明可能等)3回、数学的な意味7回
・αρρηο∫・・・・一般的な意味(言葉で表せない、言明不能等)3回、数学的な意味8回

アリストテレス全集における使用頻度
・αλογο∫・・・・一般的な意味(言ってはならない等)34回、数学的な意味で4回
・ρηο∫・・・一般的的な意味(言葉で表せる、言明可能等)2回、数学的な意味4回
・αρρηο∫・・・・一般的な意味(言葉で表せない、言明不能等)1回、数学的な意味0回                            

ピュタゴラスが「無理数」の発見者という典拠は、次のプロクロスが根拠、しかし、プロクロスの用いたエウデモス「幾何学史」には、ピュタゴラスにかんする情報がなく、プラトンはイアンブリコスからその穴を埋めたとされる。                                 

プロクロス「ユークリッド原論第一巻注釈」の「列伝」の部分では、ピュタゴラスに無理量の理論の発見を帰しているが、この部分はエウデモスからの引用ではなく(従ってエウデモスはピュタゴラスに関する資料にならない)、プロクロスは空白を埋めるため@の部分をイアンブリコスからほとんどそのまま引用した。従って、ピュタゴラスをギリシア的な意味で数学者であるという資料にもならない。この部分は@Aに分けて考察する。                              

資料、プロクロスの列伝(訳文は、「原論」日本語訳より)
@かれらについで、ピュタゴラス(Ηυθαγορα∫)がこの幾何学の研究を一つの自由教養(παιδεια ελευθρα)の形に変換し、高所から(ανωθεν)この学問の諸原理を考察し、非物体的なしかたで(αυλω∫)純粋に知的に(νοερω∫)諸定理を研究した。
A無理量の問題と世界図形(τα των κοσμικων σχηματα正多面体)の構成を発見したのは実に彼である。

プロクロスのギリシア語原文(GM1−148)
@επι δε τουτοι∫ Ηυθαγορα∫(ピュタゴラス) την αυτην φιλοσοφιαν(研究)
 ει∫(続いて) σχημα(形)παιδεια∫(教養) ελευθερου(自由な)
 μετεστησεν(あとに続いて) ανωθε(高所) τα∫ αρχα∫ αυτη∫ 
επισκοπουμενο∫ και αυλω∫(非物体的) και νοερω∫(知的に) τα θεωρηματα 
διερευνωμενο∫

Aο∫ δη και την των ανα λογον πραγματειαν(問題として取り上げる) και την των
κοσμικων σχημτων συστασιν(正多面体)  

イアンブリコス「共通なる数学的知識について」ギリシア語原文(Burkert p410より)
上記の資料のギリシア語原文(GM1−148)

@οτι τοινυν ουδε εικη  Ηυθαγορα∫(ピュタゴラス) την περι τα μαθηματα
(数学)  φιλοσοφιαν(研究) ει∫(続いて) σχημα(形)παιδεια∫(教養) ελευθερου
(自由な)
 μετεστησεν(あとに続いて) διερευνωμενο∫

プロクリス@は、イアンブリコス@をそのまま写した。従ってプロクロスはイアンブリコスを用いた事は明らか。VoghtとSachsによれば、エウデモスのものではなくイアンブリコスの追加で、A新プラトン主義者おそらくプロクロス自身の追加である。いずれにしても通約不能量の発見の資料にはなりえない(Fowler p292)。なお、イアンブリコスは、空想癖があり、アリストテレスをもとにしているが、色々なものを追加している。後のサイトで述べるが、アリストテレスの形而上学においてピュタゴラス派について述べていることに追加して、ピュタゴラスを幾何学者にしてしまっている。

以下はBurkertを参考にした
「非物質的に、知的に」の部分は、ペリパトリス派、プラトンおよびアカデメイア、特にプロクロスが好んだ(注釈 9、63、137)従ってプロクロス挿入したかもしれない。さらに、ピュタゴラスまたはピュタゴラス派に関するアリストテレスの証言「ピュタゴラス派は数を存在事物だと説いている・・・あたかも物体がそうした存在する数どもからなるものであるかのように、彼らの諸々の定理を適用して」この部分は、アカデメイアのプラトン、スペウシッポス、クセノクラテスの学説とピュタゴラス派の学説を比較している箇所だが、ピュタゴラス派が非物体ではなく、物体的に描かれている、逆にアカデメイアは非物質的に描かれている。また、プラトンは国家(525〜)「この学問は、魂を上方に導く力をもち・・・目に見えたり、手で触れたりできる物体の形を魂にさしだしても、けっして受け付けない(つまり非物体的)」。プルタルコス「食卓歓談集」(718D)「幾何学は、我々を、我々がしがみついている感覚の世界から引き離し、思惟によってとれえられるべき永遠のなもの(非物体的)へと向かわせる」
いずれにせよ、プロクロスはこれらのアカデメイアの伝統のもとに挿入したと考えられる。(プルタルコスはプラトン主義者)つまり非物体的はピュタゴラス派にはあてはまらない。

Voght(1908)とSachs(1917)の主張に対する有力な反論は、1962年までほとんどない。あってもすぐに論破された。従ってピュタゴラスが数学者であるとよく引用されるこの章句はエウデモスのものではなく、プロクロスが、イアンブリコスを空白を埋めるために、ほとんどそのまま書き写した。Aは、推測だが、プロクロスが当時の大きな発見をピュタゴラスに帰したと思われる。特に無理量については、イアンブリコスが「秘密の暴露」「神の罰」について語っているところや、正多面体では「正十二面体を描いた」を語っているところから挿入したかも。エウデモスが無理数について述べていないようにおもわれる。何回も言うが、エウデモスが語るピュタゴラスと無理数の関係は資料的価値がない(エウデモスの「幾何学史」には記述がなかったように思える。次に述べる注釈の分析も傍証になる。

*プロクロスがエウデモスの名を挙げている部分(番号は注釈のページ)。またプロクロスはピュタゴラスについて述べることはなく、すべてピュタゴラス派としている。
@角についての3つの意見があるが、ペリパトリスのエウデモスは「角について」という本を書き(125)
A「対頂角は等しい」これはエウデモスの言うところによれば、タレスによって初めて発見された(299)
B(垂線の作図について)エウデモスの言うところによれば、オイノビデスのものである(352)
Cエウデモスは「幾何学史」においてこの定理(一辺とその両端の角が等しい三角形は合同である)をタレスのものとしている(352)
Dエウデモスとその弟子は「面積あてはめ」をピュタゴラス派のムーサ(神の名)としている(419)

プロクロスが無理数についてのべている部分はエウデモスの名はない。つまりエウデモスを引用していないと思われる。
@もし無限がなかったなら、すべての量は通約可能であり、言明できないもの、無理性なものはなくなってしまう(6)
A無理性に関する命題(60)
B上記のピュタゴラスの部分(65)
Cアポロニウスは「不規則な無理量について」という本をまとめた(74)

 
通約不能量(無理数)の発見をピュタゴラス派とする伝説は次のものである。(ピュタゴラスではない)
これらの資料から、「無理数」(アロゴス、アレテー)「言ってはいけない」(アロゴス、アレテー)の二重の意味の物語が現在でも
数学史の書物で語られている。しかし、これらは、ピュタゴラスから、約千年後の著作である、信憑性には欠ける。「イアンブリコスの混乱した伝説は、通約不能量の理論の初期の歴史に関するいかなる主張に対しても希薄な根拠にしかならない」(Knorr、p22)
 
イアンブリコスによるものは次の三つの部分にある(DK18-4)イアンブリコスは3世紀の人
@ヒッパソスについては次のように伝えられている。この人はピュタゴラス 派のひとりであったが、秘密をもらして、最初に12の五角形からできた球 (正十二面体)を描いたことから、不敬虔のゆえに海で溺死した。そして、これを発見した者としてヒッパソスは名声をえているが、このような発見はか の人(ピュタゴラス)によるものであるという。彼らは、ピュタゴラスをこのようなしかたで語り、名前で呼ぶことはない秘密がもらされた後は、この学問は(ギリシア全土)で発達し(当時の数学者たちの中でも)とくに抜きんでた二人の者がその第一人者として認められていた。すなわち、キュレのテオドロスとキオスのヒッポクラテスである。しかしながら、ピュタゴラス派の人たちによれば、以下のような次第で幾何学が明るみにでたのだという。すなわち、ピュタゴラスのだれかがその財産を失って、このような不幸がおきたために、幾何学で金を儲けることが彼には許されたのだということである。
Aとにかく、教義にあずかるに値しない人たちに、最初に通約性と非通約性の本質をもらした人は、ひどく忌み嫌われて、共同生活や共同食事から締め出されたばかりではなく、人びとは、かつては仲間であったこの人が人間たちとの生からもはや離れてしまったと考えて、彼の墓を作りさえしたのである。
Bまた、ある人たちの言うところでは、神霊もまたピュタゴラスの教えを出版した人たちに憤ったという。というのも20の頂点をもつ図形の構成を公にした人は不敬虔な者として海で溺死したからだということである。これは立体とよばれる図形の一つである正十二面体を球に内接させるという意味である。
Cしかし、このような不運に遭ったのは、無理数と非通約性についての教えを口外した人たちであるともいう

注、パッポスのソースはCである(Fischler p66)
注、資料から言えること
ヒッパソスは、正二体面を描いた、そして溺死した。ことだけである。ヒッパソスを無理数の発見者とすることはできない。

@「パッポス「原論第10巻注釈」はアラビア語で現存する。(Fowler p295-296)
「無理量の理論はその起源をピュタゴラス派にもっている。それはアテナイのティアイトスのよって大いに発展させられた。ティアイトスは数学の他の部門と同様に、この部門で証明を与えたまさに尊敬すべき有能な人であった。彼は人間のうちで最も天分の与えられた人であった。そしてすぐれた熱心さをもって諸所の学問の真理を追求することに没頭した。これはプラトンがティアイトスの名をつけた著作において証言したとおりである。上述の無理量の正確な分類やこの理論に基づく諸命題の厳密な証明に関しても、その大部分はこの数学者がなしとげたものである。そして後代になって、数学において最高の天分をもったアポロニオスが多くの努力と苦心の結果、ティアイトスの発見にさらに多くの著しい理論を付け加えた。そして、ティアイトスは長さにおいて通訳可能な平方根と通約不能なものとに分類した。そして無理線分の種類をその平均によって分類し、幾何平均に対しては中項線分を、算術平均に対しては二項線分を、調和平均に対しては余線分を付与した。これは、ペリパトス派のエウデモスが述べているところである」
「ピュタゴラス派は、この知識を崇拝によって動揺し、おそらくたとえ話しだろうが、次のような話しが流布した。つまり、無理量、通約不能量の知識を、初めて公開した者は、おぼれて死んだのだというのである。これは第一には、彼らは、これによって、無理性または、世界の知ることが出来ないことは、秘密にしておいたほうが良いことをしめそうとした。」
注、パッポスは、ピュタゴラス派の発見についての暴露に関して「おそらくたとえ話だろうが、」「次のような話が流布した」と述べていることから、象徴的なものである。(Fowler p、296)従ってパッポスはこの話を信じてはいないと考えられる。
 
原論10巻古注
「ピュタゴラス派は、数の考察から通約性の問題を最初に発見し、この研究の端緒をつくった。というのも、単位はすべての数の共通の尺度であるが、しかし、かれらはすべての量の共通の尺度を見いだすことはできなっかたからである。その理由は、すべてのどんな種類の数も、いかに分割しようとも、それ以上分割できない最小の或る部分を残すが、これの反しすべての量は限りなく分割され、最小のものであることによって、もうそれ以上分割を許さないような部分をの残すことはなく、その残りも限りなく分割されて無限な部分っをつくり、その部分の各々がまた限りなく分割されるというふうになっていることである・・・実際この事柄の真相を暴露したピュタゴラス派の最初の人は、船が難破して死んだという話しである。」
注、Jung(1948)は、この古注はパッポスのものであるとしている (Fischler p66)
注、ヒッパソスは5世紀前半の人、この記述が史実に基づいているとすると、ヒッパソスは、古代の資料における数学者として言及されている最初のピュタゴラス派の人ということになる。(Fischler p64)

 推測であるが、まず、リュシスは「神は口にできない(言ってはいけない)数」と定義した。こらは「言ってはいけない」「無理数」の両方を意味する。また、リュシスの手紙「君はだれにでも愛知の営みを教えているそうですが・・・これはピュタゴラス由無しとされた振る舞いです。・・・君は、教えを秘めておかなかった。それでもし君が心を改めるならうれしく思います。さもなくば、君は死んでしまったことになる。なぜといって、聖俗についての、この人の教戒を心にだけ留めおき、魂がゆめにも清められていない者らとは、智慧の善きことどもをともにしないのが神意にかなうのです。」(vp75)「あなたは公の席で哲学を講じておられるそうだが、これはピュタゴラスが適当ではないと考えておられたことです。・・・あの方は覚え書きを、家族以外に決して譲り渡してはならぬと言明した」(DL42)。そして、プルタルコス(1世紀)の言葉「(ピュタゴラス派では)、難解で神秘的な幾何学の進歩の秘密を、それに値しない者が漏らした時、彼らは次のように言った。神は、広くいきわったている災難で罰すると、その者を威嚇したと」(英雄伝「ヌマ」)。言葉の二重の意味(リシュス)。秘密の厳守とその暴露(リシュスの手紙、これに、幾何学の進歩は無理数のことで、値しない者が漏らした(プルタルコスとリュシスの手紙)、神罰(プルタルコスとリュシスの手紙)海で溺れたを挿入して、これらの伝説が、形成さていったのではないか。Burkertは、「アレテーの二つの意味、比にならない、言ってはならないを同一視して、無理数の秘とをその暴露の物語を作り上げるのはいかにたやすい一歩だった」

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