ピタゴラス派の分派・・・おそらくピタゴラスの死後のことであったらしい

アクゥスマティコイとマテーマティコイ ピタゴラス派はこの二つの派にわかれていた。アクゥスマティコイの人々は、ピタゴラスの教え(アクゥスマタを守る)、これに対して、マテーマティコイは、数学をはじめとした学問を行う人々。資料によればマテーマティコイはヒッパソスが始めた分派である。
しかし、このことに関する証言は、アリストテレスは一度もしていないし、後代の資料(AD2世紀以降)に現れるので確実に歴史的事実であったとは断言できない。
この分派についてイアンブリコスは矛盾した説明を二カ所でおこなっている。

イアンブリコス「数学的学問一般について」
両者のうちアクゥスマティコイはピタゴラス派としてマテーマティコイに認められていたが、マテーマティコイをアクゥスマティコイはピタゴラス派と認めず、マテーマティコイの行もピタゴラスではなく、ヒッパソスに由来するとみなしていた。・・・一方ピタゴラスのうち諸学科にかかわるマテーマティコイは、アクゥスマティコイをピタゴラス派と認め、なおかつ自分たちの申し述べこそいっそう真実、とみずからは主張していた。

イアンブリコス「ピタゴラス伝」
両者のうちマテーマティコイはピタゴラス派としてアクゥスマティコイに認められていたが、アクゥスマティコイをマテーマティコイはピタゴラス派と認めず、アクゥスマティコイの行もピタゴラスではなく、ヒッパソスに由来するとみなしていた。・・・一方ピタゴラスのうち諸学科にかかわるマテーマティコイは、アクゥスマティコイをピタゴラス派と認め、なおかつ自分たちの申し述べこそいっそう真実、とみずからは主張していた。

イアンブリコスにとっては、数学は至高の教説を提示するもの(イアンブリコスは新プラトン主義者、プラトンにとって数学は、哲学を学ぶための予備学問であった)従って、マテーマティコイをピタゴラス派の本流としたかったが、ピタゴラスの後のヒッパソスが、マテーマティコイの創始者であることを認めなくないために「ピタゴラス伝」の資料のように両者を入れ替えた。というのが真相のようである。さらに、ヒッパソスは、ピタゴラス派に対する反乱のとき、民主派につき、伝承では無理数ないし正十二面体を公にして派内から恨まれたなど本流からはかけはなれている。ピタゴラス派崩壊の後、アクゥスマティコイは離散しピタゴラスの戒律をまもり、禁欲的な生活を送り(中期喜劇に現れるような)、犬儒派に引き継がれる。マテーマティコイは、(有名な数学者アリュキュタスなどもいたと思われるが)プラトンとその弟子に引き継がれた。後代の資料の見方は、イアンブリコスに見られるように、プラトン(アカデメイア)のフィルターを通しての、マテーマティコイ像であると思われる。

さて、イアンブリコスの「数学的学問一般」において「マテーマティコイは、アクゥスマティコイをピタゴラス派と認め」の部分は、ピタゴラス派の本来の姿は「アクゥスマタ」にもとずく「ピタゴラス的生き方」(プラトン「国家」(600b))であると思われる。そして、その中から科学的な研究を個人的に行ったと考えられる(ヒッパソス、ピロラオス、アリュキタス等)従ってピタゴラス派のアイデンティはこのピタゴラス的生き方であると思う。

中期喜劇に描かれたピタゴラス派、最後のアクゥスマティコイだが、誇張があるかも
@たったいまピタゴラスかぶれがひとりやってきたぞ。蒼白い顔をして、靴もはかずに(テオクリトス)
Aピタゴラスの徒にあわれな奴がいるぞ。峡谷でオカヒジキを食いながら。そんな、哀れな食べ物を集めている(アンティパネス)
Bピタゴラスにしたがう輩のように、生あるものはなにも食わぬ。せいぜい1オボロスで買った大麦パンの黒く焼けたのを食うくらいさ(アンティパネス)
Cピタゴラスに従う輩は、魚もその他どんな生あるものも食うことがなく。彼らだけが酒を飲むことがないそうだ。(アレクシス)
Dピタゴラス派の繊細な理論と精密な思想がこの人たちを育てていても、毎日食っているのはこういうものさ。めいめいに添えもののないパンを一つと一杯の水(アレクシス)

ポルピュリオスは「ピタゴラス伝」においてピタゴラスの教授の方法に関して述べている
ピタゴラスの教え方の流儀には二種あった。それで入門者の一方はマテーマティコイ、他方はアクゥスマティコイと呼ばれていた。マテーマティコイとは、知識の正確さについて入念な、十分以上の言葉を学んだ者達で、アクゥスマティコイとは、書かれた忠言のあらましのみを、それ以上の正確な説明なしに聴いた者たちである。

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