ピタゴラス以前のペンタグラムと、黄金分割の用語の出現

ペンタグラムは、しばしば、ピタゴラス教団の紋章とされていたが、おそらくシュンポラ(印)として使われていたようである。イアンブリコス「ピタゴラス伝」には、ピタゴラス派の人が旅の途中に、病に倒れ世話になった宿の主人に、自分が死んだらこの印を宿の前に掲げてくれと頼んだ、そうするとあるピタゴラス派の人がそれを見つけて宿代を払った。という逸話が書かれている。この印はペンタグラムであると推測されている。しかし、ペンタグラムはピタゴラス以前にも発見されているので、ピタゴラス派のオリジナルではない。
資料の出典
Roger Hertz-Fischler A mathematical History of The Golden Number
による。資料とし、他の資料は出典を記する。

 ペンタグラムは、資料(p53〜61)にあるように、ピタゴラス以前に各地に記録されている。興味深いのは、フェーユという学者が、ペンタグラムは、ギリシアの女神で、健康の意味の擬人化された、ヒュギエイアの姿を表現したものであると唱えた。真偽はともかく、ルキアノスは「ピタゴラス派は、ペンタグラムを健康の印と呼んだ」記している。この、証言のもとピタゴラス派とペンタグラムをなにか重大なことのように指摘されているが、歴史的にみても、ピタゴラス派に関する資料においても、数学的というよりは、単なる印であったと思う。

ピタゴラス派以前からあったペンタグラム。その歴史

古代エジプト
一点から5本の線がでているものがあるが、これは象形文字である、星座を表すと考えられている。また、これを円で囲ったものは、「冥界」を表す。エジプトで唯一発見されているものは、テーベの北部のナカダというところで発見されている。第一王朝(BC3100頃)のもので、壺に一筆書きで書かれたペンタグラムと、五つの点を持つ星形とそれを円で囲ったもの。

メソポタミア先史時代
@ウルクの四層から出土、タブレットに描かれたのも(BC3200頃)
Aジャムスデッド・ナスル壺のデザイン(BC3000頃)
B紡績機の紡錘に描かれたもの(BC3000頃)
Cウルより(年代不詳)

シュメール語とアッカイド語の粘土板に書かれた表意文字(この頃になると意味が分かりだす。アッカイド語にはアッシリア方言、バビロニア方言を含む
資料(p55)には、ペンタグラムのウルク期(BC3200頃)から、シュメール語からアッシリア語までの、象形文字から表意文字の変遷に図がある。その意味は、地域、世界の一部、世界の四つの部分、内と外、部屋、誰もいない地域、荒廃した地域(Labatという学者の説)またフイェという学者は、正確に表現する、発見、中をみる、神が運命を決める場所などと解釈している。これらは、「境界」「境」などを暗に示しているように私には思える。

フイェの説
これは、ルキアノスの「健康の印」のソースを探求し、ペンタグラムはもともとギリシアの健康の女神「ヒェギア」の表象の擬人的表現として描かれたとした。しかし、Fischlerは根拠が希薄であるとしている(資料p56)

イランのスサ(BC2000頃)で発見された数学文書には、正3〜正6角形の円の面積に対する近似公式が発見されている。ブルアンとルタン「スサの数学文書」(1961年)にまとめられている。これには、「1,40(60進法)=5/3は、5つの辺の形で不変」つまり、正五角形の面積は、
その一辺の長さとする正方形の三分の五であるという近似値をもとめている。しかし、ペンタグラムとの関連はない(資料p57)

パレスチナ
@テル・エシュダル(銅石器時代BC4500〜3100)で、ペンタグラムが発見されているが、Fischlerは落書きであるとしている、他に8点からなる星形が見つかっている。
Aテル・ダン(BC9c頃)では、焼かれた器に描かれたペンタグラム。これは陶工のトレードマークではなく、このペンタグラム魔術的な意味を表していると推測された(資料p58)

ギリシア及びイタリアの植民市エルトリア
BC750年頃〜650年、クーマイ、エルトリア、スエシオネスにおいて、壺に描かれたペンタグラムが発見されている、中には壺の底に落書きされたものがある。

BC6世紀のアッティカでは、壺の装飾として、盾形の紋章にペンタグラム描かれていた。

以上のように、ピタゴラス以前のペンタグラムが用いられ、必ずしもピタゴラスのオリジナルではない。かすかに健康と結びつく可能性は排除できないが、エジプト、バビロニアの数学においては、ペンタグラムと黄金分割を結びつけるものはない。以下に示すようにピタゴラスないし、ピタゴラス派では、ペンタグラムは何らかのサインとして用いられたという資料がある。なお、ペンタグラムとピタゴラスおよびピタゴラス派数学と結びつける資料は後代のものである。

資料、ルキアノス(AD2c)
聖なるピタゴラスは、我々に自身のものを残さなかったが、レフカス人のオッケロスやアリュキタスとその弟子から判断すると、ピタゴラスは手紙の前に「Joy to you」or「Do well」とか書かないで、「Health to you」とせよと諭した。いずれにしても、ピタゴラス学園の人々は手紙の前文に、「Health to you」と書いた、彼らは、ペンタグラムをシンボルとして使い「健康」と呼んだ。

資料、上記の資料の古注
ペンタグラムつまり「五芒星形」は、ピタゴラス派の中ではその派内のものであるシンボルとして、手紙において使われた

資料、アリストパネス「雲」古注
PylosとSphacteria手紙の前書きに挨拶を書きアテナイの人々に送った。これにより、手紙に前書きを書く習慣とになった。プラトンは「fare well」と書き、ピタゴラス派の人は「be good health」を使った。ペンタグラムはピタゴラス派の人々のサインとして使われ「健康」と名付けられた。

従って、よく言われるように、ペンタグラムはピタゴラス派にとって何か深遠な意味ではなく、メンバーの確認の印であったようである。また、数学的には、「ピタゴラスが正多面体の構造を発見した」という、プロクロスの報告はエウデモス(BC4c活躍)の資料からではなく、後代のイアンブリコスのものであると、近年の研究者は推定している。また、「ペンタグラムが通約不能性の発見のきっかけである」という説に賛成する研究者はほとんどいない。さらに、「ヒッパソスは正二十面体を描いた」というイアンブリコスの報告は、厳密な理論的なものではないとおもわれる。これは、ティアイトスのものであるというのが定説。詳しくは、私のサイトの各ページを参照してください。

黄金分割という用語について

黄金分割は、元来各版「原論」においては extreme and mean ratio(prpportion)とか、proportion with a middle and two end日本語訳では「外中比分割」と訳されている。この別名が二つほどあった。

@ケプラーと神の比
ケプラーは、若い時(1956)の著作「宇宙の神秘」(工作社)において、「ここまでは(原論)第一巻の(定理)47の直角三角形における、各辺の二乗に関するあの黄金の定理を用いてきた。残りの二つの正立体においては幾何学の第二の宝(宝石)が必要である。それは、六巻の30の線分の外中比にもとずく分割」(p177)のちの、1608年の書簡では、これを「divine proportion」(神の比)と記している。では、ケプラーの「神の比」という言葉の出典は、Ramusまたは、Claviusからのものらしい(資料p167)。そして、この二人はPaccioliから得たと推測できる(資料p167)
 Paccioliは、ルネサンスの有名な画家ピエロ・デラ・フランテェスカの弟子で、フランテェスカの五つの立体に関する論文を翻訳・編集・増補して、1509年に「神聖な比例」という題名で出版した。その本の中の絵は、レオナルド・ダビンチによる。Ramusは1569年の著作で、「Pacciolによって神聖とよばれた」と述べている。また、1579年のClavius編の「原論」も「神聖な比例」と呼ばれている。

A黄金分割という用語は、19世紀のドイツで用いられ始めた(資料p164〜170)
 大数学者のカントールは1894年の著作において、「黄金分割」という用語を使っている。その、起源はわからない。1881年のある著作では、「黄金分割は最近のもので、19世紀ドイツの数学界ではそんなに広まっていない」。1895年は「だれが最初に、黄金分割という言葉を使ったのか?」しかし、年代は推測できる、それは、1835年のオーム(オームの法則で有名な物理学オームの弟)著作「初等純粋数学」(第二版)の脚注に「任意の線でそうした二つの部分に分けることを習慣的に黄金分割という」しかし、1826年の第一版では、使われていないので、おそらく、19世紀の四半世紀の初め頃使われ始めた。ドイツの美術史家Zeisingは、その著書で、黄金分割の美術史における重要性を初めて述べたそうです。これが美の数学説明の草分けか。なお、アメリカでは、1895年に「黄金分割」という論文が掲載されたという。1898年の「代数学入門」という本に黄金分割という用語が現れた。

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