BC6〜BC5世紀初期の典拠は、次のものである。これらは、後の資料のようにピュタゴラスを聖人化しようという意図や、追加からのがれているという意味で価値がある。ピュタゴラスに近いほうから年代順に並べています(Guthrie文献5参照)
 
コロポンのクセノパネス(ピュタゴラスより2〜3年早く生まれピュタゴラスよりも長生きした。若いころ生まれ故郷のイオニアえをはなれ、シケリアと南イタリアで流浪の生活を送った)
 
資料(DL8-36,DK22B129)
彼(クセノパネス)がピュタゴラスについて言っていることは、こうである。あるとき彼は子犬が打たれているところを通りかかり、これをあわれんで次のように言ったという「よせ、ぶつな、たしかにこれは私の友人の魂だ、声を聞いて 私はそれとわかったのだ」
 
ヘラクレイトス(ピュタゴラスとほとんど同世代、ピュタゴラスよりも30才ほど若い)

資料(DL9-1,DK22B40)

「博学は真の智を教えはしない。そうでなかったら、ヘシオドスにもピュタゴラスにも」
 
資料(DL8-6)
「ムネサルコスの子のピュタゴラスは、すべての人間たちのなかで最もよく研究に励んだ。そしてその書物を抜粋して、自前の智なるものを案出した。それはしかし、ただの博学であり欺瞞である。」

ヘラクレイトスは明らかにピュタゴラスを皮肉っている    
 
キオスのイオン(イオンはBC490頃の生まれ、おそらくピュタゴラスの死より少し後)
資料(DL1-119,DK36B4)
キオスのイオンはこう言っている・・・死しても、その魂にとって喜ばしい生を送っている、まことに賢者ピュタゴラスが、万人を超越した、さまざまな見識をえて、これを学びつくしたのならば
    
ヘロトドス(ヘロトドスは、だいたいイオンと同時代の人でBC485/4に生まれた)
 
資料「歴史」(2-123)
魂は陸に棲むもの、海に棲むもの、そして空飛ぶもの、とあらゆる動物の体を一巡するとふたたびまた、生まれくる人間の体内に入り、三千年で魂の一巡が
終わるという。ギリシア人の中には 人によって時代の前後はあるがこの説を採り上げあたかも自説であるかのごとく用いているものが幾人もある。(ヘロトドス「歴史」)
注、おそらくピュタゴラスをさすものであろう
 
資料「歴史」(4-95)
ダレイオスが最初に攻略したのは霊魂の不滅を信じているゲタイ人であった。・・・ゲタイ人が霊魂の不滅を信じる仕方はこうである。彼らは自分たちが死滅するとは考えず、死亡した者は神霊サルモクシスの許へゆくものと信じている。・・・私がギリシア人から聞いた話しによれば、このサルモクシスというのは人間でサモスで奴隷であったといい、ムネサルコスの子ピュタゴラスに使えた者である。・・・とりわけギリシア人の中でも傑出した知者であるピュタゴラスと交わっていたこのサルモクシスは・・・
 
資料「歴史」(2-81)
エジプト人は羊毛を神殿の中に持ち込むことはなく、一緒に埋葬することもない。それは不敬なことだからである。これらの風習は、いわゆるオルペウス教やバッコスの徒らのそれと一致しているが、これらはもともとはエジプトの、またピュタゴラス派のものである。なぜなら、これらの秘儀にあずかりながら、羊毛の上着を身につけて埋葬されることは、敬虔なことではないからである。これらについては、聖なる言説が伝えられている。
 
エンペドクレス(ヘロトドスよりわずかに後の人)
 
資料(DK31B129)
 彼らの中に並はれた知識をもつひとりの男がいた。その人は智恵の最も豊かな富をわがものとして、ありとあらゆる賢い業に比類なく通じていた。・・・
十度も二十度も人間の生を受けることによって。
    
 Guthrie(文献5p157-161)によれば、これらのほぼ同時代の証言は、かなり
 信憑性があり、これらの証
言から確実に言えることは次の三点である。

(1)ピュタゴラスは魂の不死と輪廻転生の説を唱えた(クセノパネス、イオン)

(2)ピュタゴラスは同世代の人々から博学の人として知られていた。そして、感嘆 すべき探求の人であった(ヘラクレイトス、ヘロトドス)そして、知識の獲得は輪廻転生と関連している(エンペドクレス)

(3)BC5世紀までには、人々はピュタゴラスに尊敬の念をもち奇跡を起こす人間を超えた存在としてとらえていた(ヘロトドス)

(4)さらに、ピュタゴラス教団、もしくは結社(ピュタゴラス派と呼ばれる)がすでに形成されていたと推測することは可能である。(ヘロトドス)


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