数学におけるピュタゴラス派のものとされている業績(アルキュタスのように個人名が残っているものは除く)とその出展および証言

その1、数論

現存する著作の断片集は、GREEK MATHEMATICAL WORKS(LCL335)に収められている。HEATHも参照した

(1)図形数・・・三角数、四角数(正方形数、長方形数)、五画数、六角数・・

アリストテレスの報告・・・正方形数、長方形数

資料、形而上学(1092b-8)
あたかもエウリトスが、どの数はどの事物(たとえばある数は人間の数、他のある数は馬の数)であるときめたような仕方、すなわち、ひとが、三角や四角の図形に数をあてがったように、各々の生物の輪郭をかたどるのにいくつかの小石を使い
、エウリトスはピロラオスの弟子でピュタゴラス派、初期の頃は点ではなく小石を使っていたかも知れない
注、(DL1-59)には、「計算に用いられる小石」という記述があり、古代ギリシアでは小石を使って計算をしたようである

資料、自然学(203a13)
ピュタゴラスの徒は、無限なるものを偶であるとした。なぜなら、偶数は切り取られて奇数によって限られることによって、存在するものに無限性をあたえられるからである。そして、数について起きることがその証拠となる。すなわち、曲尺(グノモーン)を一の周囲におくか、あるいはそれから離して(二のまわり)おく かすると、(後者の場合)時にはつねに異なる形(長方形)が生ずるが、(前者の場合)時には一つの形(正方形)が生ずるからである。
注、一般的には次のように解釈されている。1点のまわりに点を3個5個7個と奇数個をつけていくと正方形に、2点のまわりに点を4個6個8個と偶数個をつけていくと長方形になる。

ニコマコスの報告・・・三角数、四角数、五画数、六角数、七角数
(ニコマコスはAD2世紀頃活躍、ピュタゴラスやピュタゴラス派に関するさまざまざ資料収集した。偽作の引用や、ピロラオス等の真性断片の引用もあり、資料の信頼性には疑問がある。)
ここでは、単位1は図形における点に対応し、1は位置のない点でありる。つまり、1の集まりが数であるように、点の集まりが広がりであり、数を図形で表している。

資料、ニコマコス「数輪入門」(LCL335ーp86
点は広がりをつくりだすもとであるが、しかし広がりではない。それはまた線をつくりだすもとであるが線ではないそして線は面をつくりだすもとであるが面ではない・・・・数のなかで単位1はすべての数を作り出すもとであり、それは一次元的に1ずつ前進させられる。この線の数は平面の数のもとであり・・・面の数は立体の数のもとであり・・・・くわしく言うと、線の数は一様に2からはじまり・・・平面の数は一番初めの根3からはじまり、規則的な数の系列によって進んでゆき、その配列によって名前がつけられ、初めは、三角数、その次が四角数、その次が五角数、六角数、七角数とかぎりなく続く。
注、同書p99には、表にまとめられている

特別な三角数テトラクチュスと完全数10と協和音(ハルモニア)
この図形数で、ピュタゴラス派が最も神聖なものとしたのが、一辺が4の三角数で、頂点から加えていくと
1+2+3+4=10個の点で作られる三角形である。これに関する資料を検討したい。この三角形はテトラクチュスと呼ばれている。さらに、協和音、1:2,2:3,3:4とピュタゴラス派における完全数10が結びつく資料が現存する。

◎テトラクチュスについて

イアンブリコス「ピュタゴラス伝」
資料デルポイの信託とはなにか。数秘三角形テトラクチュスなり。これぞ、セイレンらの宿る八度音階。(80節
注、デルポイの信託は最高の知恵を明らかにするもの、これが数秘三角形であるということ
、セイレン・・・ギリシア神話中の半人半鳥、美声の海の魔女たち。後に音楽家の代表者とされた
注、テトラクチュスの頂上からの点の数の比、1:2,2:3,3:4は八度音階の協和音程比になっているこのことは次のピロラオスの資料を参照、
、プラトンは次の箇所でセイレンを登場させ、ピュタゴラス派の音階について述べている
資料、国家(617c)
紡錘はアナンケの女神の膝の中で回転している。そのひとつひとつの輪の上にはセイレンが乗っていて、いっしょに運ばれながら、一つの声、一つの高さを発していた。全部で八つのこれらの声は、互いに協和しあって、単一の音階を構成している


資料ピュタゴラスに帰せられている次の一種の誓いは、かつは、神々の名指しを慎んだごとくピュタゴラスの名指しをはばかり、かつは、数秘三角形の発見者なる仮称でその人を明らかにした。(150節)
注、誓いをたてるとき、ピュタゴラスの名の代わりに数秘三角形を使った。誓いの内容は次のように伝えられている

資料、否、われらの智慧たる数秘三角形の発見者
永劫流奔する自然の根源ある泉にかけて(150節)
注、これはポセイドニオス(BC2世紀)のもので、アエテェオス、ポルピュリオス(20節)、セクスト、黄金詩編等いたるところで引用されているなお、一行目は古いもので、二行目は後代の挿入である。Bulkert(p54-56)による

◎協和音程比(ハルモニア)について

ピロラオス断片6
資料ハルモニアの大きさは4度(3:4)と5度(2:3)を包括する。・・・オクターブは1:2である

ピロラオス断片11
資料
ピュタゴラス派の人々の最大の誓いの対象たるテトラクチュス(それは完全数10を成就するののである)を健康の源と呼んだ者たちもいる。ピロラオスもその一人である。

◎完全数10について・・・ユークリッド以前の資料には、約数の和という現在の意味での完全数という概念は無かった(LCL、p71注)さらにBurkert(p431)は、アリストテレス以前にユークリッド的な意味での完全数の痕跡はないとしている

完全数とは原論には、その約数の和(その数自身は除く)がその数になるような数、例えば、6=1+2+3であるが、次のアリストテレスの報告では、ピュタゴラス派における完全数は10..スミルナのテオン(AD2世紀は、完全数の例として、6と28をあげ、ある数の約数の和がその数より小さいものを不足数、大きいものを過剰数とよんでいる。さらにテオンは、ピュタゴラス派における完全数は10であると述べている(LCLp85)ニコマコスは、原論的な完全数の例として、6、28、496、8128を示している

アリストテレス「形而上学」(985b23)
資料、10は完全数であり、数の本性をすべて包含しているように思われるので、宇宙を周行している天体の数も10あると彼ら(ピュタゴラス派)は主張するのであるが(天体は9個なので、対地星という天体を考え出し無理矢理10としてつじつまをあわせたとアリストテレスは批判している。これは、大地に隠蔽によってわれわれには見えないとされる。アリストテレス「天体論」293-b-21参照

次のプラトンの甥のスペウシッポスは、完全数の特徴をの述べている、

資料、擬イアンブリコス「数理神学」(DK44-13)

クセノクラテスの前のアカデメイアの学頭、スペウシッポスもまた、彼が常に特別な熱意をもって聴講したピュタゴラス派の講義に基づいて、なかんずくピロラオスの著作に基づいて、一冊の洗練された小著をあらわし、それに『ピュタゴラス派の数について』という表題をつけた・・・・残りの後半部を10に関する論述にあて、10が諸存在の中でもっとも自然でもっとも完成力を有するものであることを示している・・・彼が10について語ることは次のごとくである「10は完全な数であり、われわれは、ギリシア人も他のすべての人間も、どのような仕方で数える場合でも、何らそのことを意図することなしに、正当に、そしてごく自然に、それへと立ち戻る、というのもそれは、このうえなく完全なものが有するにふさわしい多くの固有の特徴と、それに固有のものではないが、完全なものが持たなければならない多くの特徴を有しているからである。ところでまず第一にそれは、その内に等しい数の奇数と偶数が含まれ、一方に偏ることのないように、偶数でなければならない、なぜなら常に奇数は偶数より先きであるから。もし最後の数が偶数でないなら、もう一方の奇数に方がおおくなろうからである。次にそれは、等しい数の素数と、非素数を有していなければならない。10はそれらを有するが、10より小さい他のいずれの数もそのような具合になっていない。だが10より大きい数の中にはおそらくそのようなものもあるだろう(例えば12)が、10はそれらの基礎数である。そして10はそのような特徴を有する最初の数である。かつこの特徴を持つ最小の数であるからして、それはある種の完全性を有している。そしてその中に等しい数の素数と、非素数が見られる最初の数であるということがある意味で固有性になっている。・・・点は1であり、線は2であり、面は3、であり正四面体は4である。(次の資料では、10と4が同じように関連づけられている)
注、ニコマコスにも、過剰数、不足数の記述がある。

資料、アエティオス 「学説史」(1-3-8)
ピュタゴラスは・・・数および数の間の関係(これを音階、ハルモニアと呼ぶ)を原理とし・・・数の本性は10である。というのは、あらゆるギリシア人も、あらゆる異国人も、10まで数えて、そこまで数えてまたもや一に戻るからである。さらに、10の力(デュミナス)は4すなわちテトラスにある。その理由は1からはじめて4と加えれば10になる。・・・単位によれば数は10のうちにあり、力によれば4のうちにあることになる。(一部前の資料と同じ記述がある)

ルキアノスAD2世紀による資料は2つあり、一つは健康に結びつけている。なお、ルキアノスはペンタグラムも健康にむすびつけている。

資料、魂の競売(LCLp91)
ピュタゴラスがAgorastesに数えろといい、Agorastesは1,2,3,4,と数えたらピュタゴラスは、わかったか、君が4と考えているのは10なのだ語った。

資料、挨拶における失策について(DK44-11)
ピュタゴラス派の人々の最大の誓いである、テトラクチュス(それは完全数10を成就するもの)を「健康の源」と呼んだものもいる

次の資料は、テトクラチュス完全数10協和音を結びつけている。なお、一般的に協和音の発見をピュタゴラスに帰することについては、研究者の中でも意見が分かれており一致していない。音楽とピュタゴラスにかんしては別にサイトを作成の予定

資料、セクスト・エンペイリコス「学者たちへの論駁」(4-2、4-3、4-8)
彼らに数を示したピュタゴラスを数論におけるその能力ゆえに神とみなして、彼によっても誓い、次のように言ってた
誓って否、永続せり自然の諸処の根を宿す源泉なる
テトラクチュスを、われらが魂に授けもうた方にかけて
かれらの間で「テトラクチュス」と呼ばれていたのは、
最初の四つの数から構成される「第四の数」である。というのも、1と2と3と4で10になり、これは最も完全な数だからである。なぜならわれわれは、そこに到達したとき、もう一度、1に戻って、最初から数えなおすからである。その後1は点、2は線、3は面、4は立体が対応しているとする説明があるがこれがピュタゴラス派のものかは、疑問視されている)・・・四つの数、すなわち1と2と3と4、これらの数のうちに、魂の形相もまた調和(音階)的な比例関係に従って含まれている。(8度、5度、4度の協和音の説明があり)「第四の数」がピュタゴラス派の間で、永続せり自然の諸処の根を宿す源泉(テトラクチュス)とよばれた。

その他10に関する資料

「それにもかかわらず、10は確信とよばれるが、ピロラオスによれば(擬イアンブリコス)(DK44-A-13)

「ピロラオスはその10を正当にも無限なるものとよんだ」(ヨハネス)(DK44-A-13)

「10についてはアルキュタスが『10について』において、そしてまたピロラオスが「自然について」において多くのことを論じている」(スミルナのテオン)(DK44B-11)

「10は、大いなるもの、完全なるもの、すべてに効力を発揮するもの、神的にして天上的なるもの生と人間の生の原理で指導者だからだ」(ストバイオス)(DK44B-11)

「ピュタゴラス派の人々のよれば、10は最大の数であって、テトラクチュスであるとともに、数と調和のすべての理論を内包している」(アテナゴラス)(DK46A-4)

「10は自らの中に、奇数と偶数、動と不動、善と悪など全本性を包含しているから、全ての数を包み込んでいる」(スミルナのテオン)(DK47B-5)

◎友愛数
資料、イアンブリコス「ニコマコス数論注釈」
ピタゴラス派は、たとえば284と220のように、一方が他方を生成する一組の数を、美徳を善を授けるものと呼んだ。これは、ピタゴラスの友愛の定義と一致する。それは、ピタゴラスが「友愛とはなにか」聞かれたとき「もう一人の自分」と答えたことである。
注、約数の和がたがいにもう一方の数になることである。

(2)偶数・奇数論(その1)・・・・古い喜劇にもでてくる起原は古いものとされている。プラトンは好んで対話篇に取り上げている。

エピカルモスの喜劇(BC500頃)やピュタゴラ派のピロラオス(BC450頃)が述べていることからかなり古くから知られていたようですが素朴なものであったようである。数学的というよりは哲学的であり、偶数と無限、奇数と限が対応している

資料、エピカルモス断片2(DL3-11
A、もしひとが奇数個の小石に、あるいはなんなら偶数個の小石でもよいのだが、それらに小石を一つ加えるとか、現にある数から一つを取り去るとかしようとするならば、はたして同じ数のままであるとおもうかね。
B、わたしにはそうおもわれません。

資料、ピロラオス断片5(DK44-B5)
数は、二つの固有種を有する、すなわち奇数と偶数である、また第三のものとしてその両者の混合されたものからなる奇偶数を有する。

この奇偶数はなにをさしているかわからないが、次の資料では、アリストテレスは1としている。

資料、アリストテレス「形而上学」(986a-18)
彼ら(ピュタゴラス派)によると、数の構成要素は偶と奇であり、後者は限られたものであり、前者は無限なものであるそして、1はこれら両者からなるもので、なぜなら1は奇でもあり偶でもあるから

資料アリストテレス「断片集」(199)
1は両方の本性に与っている。それが偶数に加えられれば奇数を作り、奇数にくわえられれば偶数を作る・・・それ故1は奇偶数とよばれる(スミュルナのテオンは、この部分を引用して、さらにアルキュタスも彼らに同意していると述べている(DK47A-21)

資料アリストテレス「断片集」(47)
6は、偶奇である(おそらく2で割ると奇数だから)(この可能性は低い)

次の資料では、アリストテレスも、奇数と限、偶数と無限を対応させている

資料、アリストテレス「自然学」(203a1)
ピュタゴラス派の人たちは、偶数は無限なるものであるとしている。なぜなら偶数は切り取られて、奇数によってかぎられることによって、存在するものに無限性を与えるからである。(正方形数を作っていくグノーモンは奇数だからという理由かも)

アリストテレスは、あるピュタゴラス派の人々のものであるとして10対の原理を表にしていここでも偶数と無限、奇数と限が対応している

資料、アリストテレス「形而上学」(986a-25)

限り・・・・・・無限
 ・・・・・・
一 ・・・・・・多
左 ・・・・・・右
男 ・・・・・・女
静 ・・・・・・動
直 ・・・・・・曲
明 ・・・・・・暗
善 ・・・・・・悪
正方形・・・・長方形 

注、限定(限り)、奇数、正方形と、無限、偶数、長方形が一連のつながりがあるということか?アリストテレス自然学(203a13)の資料参照

プラトンにおける、奇数・偶数

注、プラトンは、奇数・偶数についていたる所でのべその重要性を強調している。アカデメイアにおいて研究されていた可能性もある数論・形算術(算数)に関するすべての出典を内容別に整理すると以下のようになる

「計算術(算数)は、奇数、偶数およびそれらの数量関係についての知」 
資料、「テアイトス」(198a)
数を取り扱う技術ということが言われるのを君は認めるかね。・・・この技術だがこれは奇数偶数おののすべての知識を狩猟するものだと思ってくれたまえ。

、「カルミデス」
資料、「プロタゴス」(357a)
形算術の一種としての知識ではないだろうか・・・そしてこの場合は、奇数と偶数を扱わなければならないのだから、それは算数にほかならないのではないか。
資料、「ゴルギアス」(451c)
形算術のなすところは数論と同じ。なぜなら、両者とも偶数と奇数という同一の対象を取り扱うものであるから。ただ異なるのは、形算術のほうは、奇数と偶数とが、奇数どうし、偶数どうし、奇数と偶数のあいだでどのような数量的関係をもつかということをしらべる点である。
資料、「カルミデス」(166a)
計算の技術は、たぶん、偶数と奇数についての知であり、偶数どうし、奇数どうし、また偶数と奇数どうしでどのような数量関係をもつかということの知なのだ・・・しかも、その偶数と奇数は、その当の計算の技術そのものとはちがったものではないか。むろん、そうです。

「数論は、奇数、偶数を数そのものとして取り扱う学」
資料、「ゴルギアス」(453e-454a)
数論の技術を心得ている人は、数に関することをいろいろとわれわれに教えるのではありませんか。・・・偶数と奇数の全系列に関して知識を教えるような・・・
資料、「エピノミス」(990c)
最も重要な基礎科目は、なんといっても、純粋な数そのものを取り扱う学問なのです。つまり、「いくつの物」というかたちで考えられるような数は、ここでは、もう問題にはされません。それどころか、この学問の仕事は、奇数・偶数そのものの成り立ち、および、これらが万物にあたえるまったく新たな構造上の影響、この二つについて完全にしらべあげることにあるのです。
(この章句以下は、平面幾何、立体幾何、各種平均等について述べられているが、これはプラトンのアカデメイアの研究成果であると思われる)

「幾何学や算数は、奇数、偶数などを既知のものとみなして前提する」
資料、「国家」(510c
幾何や算数やそれの類する学問を勉強している人たちは、奇数とか偶数とか・・・これらは既知のものとみなし、そうした事柄を仮説としてたてたうえで、・・・根拠を説明するにおよばないと考えて、あたかも万人に明らかであるように取り扱う。(奇数・偶数に関する研究は「国家」書かれた当時、かなり進んでいたとかんがえられる。なお「国家」はプラトンが50〜6才のBC375年ころ書かれた)

「魂には、奇数、偶数の数列を用いて計算する能力が与えられている」
資料、「エピノミス」(981c)
魂の方は、・・・奇数と偶数が交替する数列を用いて計算をおこなう能力をも、授けられている

「奇数、偶数などの数についての知識は学問を得たい人には不可欠なもの」

資料、「法律」(818c)
1も2も3も知らず、一般に奇数と偶数の区別もできず、・・・・そのような人はとうてい神的人間にはなれないでしょう。
資料、「エピノミス」(977c)
どんな動物でも、2と3を知らず、奇数と偶数もしらず・・・・それらのものにかんして理屈を説明することはできない

「偶数倍の奇数・・・・」
資料、「パルメニデス」(143e-)
偶数の偶数倍とか、奇数の奇数倍とか、偶数の奇数倍とか、奇数の偶数倍とか・・・
注、Heathはこれはプラトンによるものとしている(p292)

「分割」
資料、「政治家(262)」
「分割をおこなうためには、まず数の場合には、これを偶数と奇数に切る・・・人間の種族の場合にはこれを男性と女性に切る・・・」

「定義について」
「法律」(895e)
名前によって偶数とこたえても、定義によって二つの(等しい)部分に分けられる数とこたえても、同一のものを指している

「等辺的、不等辺的」
資料、「エウテュプロン」(12d)
偶数は・・・いかなる数かとたずねればそれは不等辺的ではなく、等辺的ある限りの数
注、偶数は二つの等しい部分に分けられるので二等辺三角形のように等辺てき、奇数は不等辺三角形のように不等辺的。なお、ティアイトスは、平方数を正方形数、他の数を長方形数とした「ティアイトス」(147d)
注、Heathは、この等辺的、不等辺的も、奇妙で、独特なものであると述べ、プラトンによるものとしている(p292)

「9巻命題21、22を暗示っするもの
資料、「ヒッピアス大」(303b)
あるものが両方として偶数ならば、それぞれとしては奇数であるかもしれないし、偶数であるかもしれない

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