プロクロス(AD412〜485)は、「ユークリッド原論論第一巻注釈」を著し、その始めの部分において、タレスからユークリッドにいたる幾何学の歴史を概観している。これは「プロクロスの摘要」とか幾何学者列伝」と呼ばれユークリッド以前の幾何学の発展を伝える唯一の文献であるとされている。プロクロスは、新プラトン主義の哲学者でありかなり若い時期に、アカデメイアの24代学頭(すなわちプラトンの継承者)となり死ぬまでその職にとどまった。本文には、資料2〜5のように、エウデモスからの引用が四カ所あり、この部分もエウデモスのものであると推測されている。この摘要には、角錐の体積を求めたデモクリトスはこのリストにはない、このことから、おそらくプラトン主義に反する者は、プロクロスが記述しなかった可能性がある。なお、エウデモスの幾何学史は二巻あり、第一巻は伝承から推測して著したもので、第二巻はエウデモスは、実際にあらゆる資料を集め著したものであると推測されている(Nitz)

プロクロスについては。「プラトン学園のアカデメイア」(講談社学術文庫)、「ポルピュリオス、プロティノス、プロクロス」(中央公論社)参照

【資料】プロクロス「ユークリッド原論論第一巻注釈」(A Commentary on the First Book of Euclid Elements Prinnceon UP P52 〜57)

 「算数の正確な知識がフェニキア人において商業交易に源をもつのと同じように、エジプト人において、幾何学はエジプト特有の事情(洪水のあとの土地測量の必要性)が原因となって発見されたのである。タレスはエジプトに旅し、幾何学をヘラスの地に初めて伝えた。彼は自分で多くの発見をし、またその他の多くの事柄について、後継者たちにその原因に至道を示した。彼は問題を、あるときはより一般的な仕方で扱い、またあるときはより具体的な仕方で扱った。タレスに続いて、詩人ステシコロスの兄弟であるマメルコスが幾何学に専心したという。エリスのヒッピアスはマメルコスが幾何学者として名声のあったことを伝えている
 ピュタゴラスはこれらの人々の後に現れた人だが、この学問を一個の自由学芸の形に変貌させた。すなわちピュタゴラスはこの学問をいくつかの第一原理から検討し、種々の命題を、具体的な表現を使わず純論理的な思考によって研究しようと努めた。無理量(もしくは比例)の理論や宇宙的立体(すなわち正多面体)の作図も、彼の発見である。ピュタゴラスの後に、クラゾメナイのアナクサゴラスが幾何学上の多くの問題を扱い、アナクサゴラスよりやや若いキオスのオイノビデスのまた同じことをした。プラトンはこその『恋がたき』の中で、この二人のことを名高い数学者と述べている。その後、弦月形の求積法を発見したキオスのヒポクラテスや、キュレネのテオドロスが幾何学者として有名になった。ヒポクラテスは実に『原論』の編集者として記録されている最初の人であった。
 プラトンはこの人たちの後にくるのだが、この学問へのきわめて熱烈な興味を介して、幾何学その他、数学の諸分野の発展に大きな貢献をした。事実、彼がその著作を数学的な論議をもってみたし、あらゆる機会を捉えて、哲学に身を捧げる者の間に数学に対する讃美の念を喚起したことは広く知られている。プラトンの時代には、また、タソスのレオダマス、タラスのアルキュタス、アテナイのティアイトスがいたが、この人々は定理の数をふやし、それらをより学問的な体系に整理した。
 レオダマスより若いネオクレイデスと、ネオクレイデスの弟子であるレオンとは、それまでに知られていたことに多くのものを加えた。こうしてレオンは『原論』をまとめることができたが、それは命題の数の点でも、証明された命題の有用性の点でも、一段とよくできたものであった。レオンはまた、与えられた問題を解くことがいつ可能で、いつ不可能かに関して、いくつかの条件を定式化した。
 クニドスのエウドクソスはレオンより少し若い人で、プラトンのグループと親しい間柄だったが、彼は初めて、いわゆる一般定理の数を豊富にし、(前からあった)三つの比例中頃に新しい三つの比例中頃を付け加え、さらにプラトンが始めた分割に関する研究を解析法を用いて継承した。プラトンの友人であるヘラクレアのアミユクラス、エウドクソスの弟子でありプラトンのグループの一員でもあったメナイクモス、メナイクモスの兄弟のデイノストラトスなどの人々は、幾何学をさらに完全なものにした。マグネシアのテウディオスは、数学においても哲学の他の分野においても名声が高かった。それは彼が『原論を立派に整理し、種々の特殊命題を一般化するのに成功したからである。キュジコスのアテナイオスもほぼ同じ時代の人だが、数学の諸部門特に幾何学において名をなした。これらの学者はアカデメイアに集まり、相携えて研究に従事したのである。
 コロンボのヘルモティモスは、エウドクソスやティアイトスの始めた研究を継承した人で『原論』において多くの命題を発見し、軌跡の理論の一部をまとめた。メドウマのピリッポスもプラトンの弟子で、プラトンによって数学に興味をもつようになった人だが、プラトンの指導に沿って研究を進めたのみでなく、プラトンの哲学に寄与しうると判断したことは、進んで自分で研究しようとした。
 種々の歴史をまとめた人々が、この学問の発展をたどっているのは、ここまである。原論を編纂したユークリッドは、これらの人びと(コロポンのへルモティやメドゥマのピリッポス)よりもさして若くはない。かれはエウドクソスのなした多くのことをまとめ上げ、またティアイトスのなした多くのものを完全にし、さらに先行者たちによって紐雑に証明されていたものを非難のうちどころない厳密な論証にまで高めた。この人(ユークリッド)はプトレマイオスl世のときに生きていた。なぜなら、プトレマイオスl世のすぐあとに生まれたアルキメデスがユークリッドのことに言及しているからである。そしてさらにまた次のようなことも語られているからである。すなわちプトレマイオス王がユークリッドにあるとき、幾何学において「原論」よりももっと手っとり早い道はないかと訊ねたが、そのときかれは「幾何学には王道なし」と答えたというのである。したがってユークリッドはプラトンの直弟子よりも若く、エラトステネスやアルキメデスよりも年をとっていることになる。というのはエラトステネスがどこかでいっているように、この人びと(エラトステネスとアルキメデス)は互いに同時代人であるから」
資料2】プロクロス「ユークリッド原論論第一巻注釈」P233
「この定理が示しているのは、・・・対頂角が等しいということで、エウデモスのいうところでは、最初にタレスによって発見されたものである」

【資料3】
プロクロス「ユークリッド原論論第一巻注釈」P260
「エウデモスのいうところでは、発見の名誉は、オイノビデスのとするのがふさわしい」

【資料4】プロクロス「ユークリッド原論論第一巻注釈」P275
「エウデモスは『幾何学史』においてこの定理をタレスのものとしている」

【資料5】プロクロス「ユークリッド原論論第一巻注釈」P332
「エウデモスおよびその弟子たちが主張するところでは」

ヴァン・デル・ヴェルデンは「この『数学者列伝』の大部分がエウデモスの数学史からの抜粋であることは明らかである。実際・・・ユークリッド以前に『できごとを記録した人々』といえば、エウデモスを除いて、一体誰が考えられるであろう」と述べエウデモスのものとしているが、エウデモスはユークリド以前に活躍したので ユークリドおよびユークリド以後の記述はエウデモスのものではない。しかし、ピュタゴラスの数学の業績の所でのべるが、プロクロスは,エウデモスではなくイアンブリコスを引用している可能性を指摘する研究者もいる(Burkert)。逆に言うと、エウデモスはピュタゴラス本人の業績を知らなかった可能性もある。なぜならこの部分「列伝」以降は、ピュタゴラスではなくピュタゴラス派についての業績をプロクロスは述べている。

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