説得と論証および証明(その1)
ここでは、論証数学の起源を考える前提として、ギリシアで発展していった、説得する技術としてのディアレクティケーやレートリケーについてその起源と発展を考える。哲学や科学の発展と、これらにおける説得(論証)の技術の交差する地平を考える。

参照した文献
@サボー、「ギリシア数学の始原」(玉川大学出版会)
A斎藤憲他訳「ユークリッド原論」(東京大学出版会)
BLloyd、Magic Reason、experience
CNETZ、 The Shaping of Deduction Greek Mathematics
DKnorr、The Evolotion of Euclid Element
EBurkert、Lore and Science in Ancient Pytagoreanisn
FKnorr、ON THE EARLY HISTORY OF AXIOMATICS In Classics in the histrory of Greek Mathematics
GKRS、The Presocratic Philosopher(KRSと略)

古代ギリシアの論証・証明・・・論証数学の起源についてはまだ不明のところがある。まず、哲学史における各資料を歴史的に見ていく。まずは、用語の整理から。
まず、用語から、どちらもおおよそBC5世紀から発展してきた。
レートリケー(修辞学、弁論修辞学)は、長い言論(弁論)によって人々を説得する方法
 
ディアレクティケー(哲学的対話法、弁証法、弁証論)は、できるだけ短いことばからなる問答(対話法)によって、ものごとの「なんである
か」の知識を探求する方法
 
例、ソクラテスの場合
  ソクラテスは「勇気」「節制」「敬虔」とは何かなど主に倫理的ば事柄を探求。
  プラトンは、事柄をはなれて、イデアと呼ばれるものの探求、プラトンにとっては、問答は、自分で自分を相手に行われる。
アリストテレスは、この二人について、次のように語っている
資料、形而上学(1078b25〜)
ソクラテスが物事の何であるかと問い求めたのは、当然の理がある。というのは、かれは、推理することを求めていたのであり、そして推理の出発点(前提)は、まさに「何であるか」にあるからである。けだし弁証論は、その当時なおいまだ、物事のなんであるかを知らないでも、反対のものどもについて論じることができ・・・それほど強くはなっていないにである。
資料、形而上学(987b32)
ソクラテスは普遍的な諸概念あるいは諸定義をはなれて存するものとはしなかった。しかるにある人々(プラトン学派)は、それらを切り離した。その離れて存在するものをイデアと呼んだ。
ディアレクティケーは、古代ギリシアでは
@プラトンのディアレクティケー
Aアリストテレスのディアレクティケー
Bソクラテスや、エレア派のゼノンの反論術、ソフィストの論争術も含めることがある。

サボーは「ギリシア数学の始原」において、ユークリッドにおける論証数学の起源をエレア派によるものであると次のように述べている。
まず、サボーは「ギリシア人の帰納的・体系的数学の構築の一切が、同じエレア派の影響にようることを立証ようとうと思う。」とし「パルメニデスやゼノンの哲学がなかったならば、ユークリッド言論のように精巧に組み立てられた体型は決して構成できなかっただろう」と述べている。具体的には、パルメニデスやゼノンが用いていた間接証明ないし背理法が起原であるとする。確かに、ギリシア数学では好まれた、原論をみればそこで、間接証明がよく使われていることがわかる。サボーは「間接証明のギリシアでの最古の適用例はパルメニデスであり、同じ流儀の証明法の数学への適用は、すべてパルメニデス以後のものである」と、では数学の証明で間接証明が用いられたわけは「ギリシア数学の証明法が、反経験、反具象的傾向へと発展したのは、ピタゴラス派の通約不能量の発見である」と。さらに、間接証明においての前提について、パルメニデスらが前提を仮定して論証を進めてきたことは、プラトンの対話編で述べられていることで数学と密接に関連するという「プラトンがまさに前提の問題として、しばしば幾何学に、あるいは、より一般的に数学に言及しているのは決して偶然ではない。彼にとって数学の方法は、対話的弁証の証明過程の中でも実行されるべき最善の手本になっていた。」と。サボーはさらに進めて、原論における、公理、公準もエレア派の影響によるものであるとしている。
(近年、ピタゴラス派の通約不能量の発見は疑問視されており(AED)、さらにサボーの主張する5C初頭の発見も、おそい5C後半であるという主張が有力である(AC)。トップにもどって無理数にかんするページを見てください。また、KnorrFは、エレア派の影響を過大視せず、数学自体の内的な発展の中に演繹的論証を位置づけている。)
以下では、エレア派の論証において、間接証明ないし背理法が用いられている例をみていくが、結論をいうと、私は、メリッソスにおいて演繹的な論証が完成したと見のが妥当であると思われる。演繹的な論証数学の出発点であると推測される時期と、メリッソスが活躍した時期がほぼ同時代なのは、偶然であったのかはわからないが、興味ある一致である。

アリストテレスは、それぞれの創始者の名前をあげている。レートリケーはエンペドクレス、ディアレクティケーはゼノンであると(断片65)
 
ゼノンの師であるパルメニデスに演繹的な論証の起原がある。実在する断片を見ていく。なお、後に述べるが、
その例はのちに述べる。 また、サボーは。おそらく、アゴラ等での討論において、相手の立場、考え方をいったん認めて、それを前提として、論議を進めていったことが影響していると思われる。パルメニデス以前のディアレクティケーをみていく。

ギリシアでの厳密な推論はいつ頃始まったのであろうか。ミレトス派という説があるが、十分な資料が現存せず、アナクシマンドロスの資料が使える。

アナクシマンドロスの資料(アリストテレスが匿名で、伝えるものであり、後代の用語(例えば「元素」)が使われている。もし、真性なものであったら、間接証明を用いていた資料となる)(Lloyd、p67)。さらに、次の資料は、名前をあげているが、最古の現存する、自然科学的な断片で、充足理由律が初めて用いられている。(Lloyd、p68)

資料、アリストテレス「自然学」(204b24〜)
空気でもなく火でもなく、まさにあの無限なるものをこれらの諸元素とは別の或るものだとする人々(アナクシマンドロスを含む)であるが、かれらがそうするのは、諸元素のうち或る他のものどもが諸元素のうちの一つとしての無限なるものによって滅ぼされることのないようにと思ってである。というのは、これらの諸元素は互いに他に対して反対の性質を持っている。例えば空気は寒く、水は湿り、火は熱い。だからこれらのうち、もしその一つが無限であったなら、その他のものどもはすでに滅びてしまっているにちがいない。だが、現にいまなおこのとおりであるから、その無限なるものはこれらの諸元素とは異なる或るものあり、このものからこれらが生まれてきたのであると、かれらは主張しているのである。
資料、アリストテレス「天体論」(2−13)アナクシマンドロスのように、一様性のために大地は留まっているのだとする人々がいる。というのは、中心に座をしめるために、最外部の諸点に対して一様な関係にあるものは、横へよりも、むしろ上なり、下なりに動くのが一層ふさわしいということはないからである。また運動は同時に反対の方向へはなされない。したがって、留まっざるをえないというわけである。これは巧妙に語られているが・・・

この後は、論証的な論議に関する根拠づける資料が現存している。

資料、クセノパネス「断片」14、15
人間たちは神々が(人間がそうであるように)生まれたものであり、自分たちと同じ着物と声と姿を持っていると思っている。
しかし、もし牛や馬やライオンが手を持っていたとしたら、あるいは手によって絵をかき
人間と同じような作品をつくりえたとしたら
馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た神々の姿を描き
それぞれ自分たちの持つ姿と同じようなからだをつくることだろう

この資料については、KRSは「背理法としてだが、動物たちも同じように考えることだろう」と述べている。さらにアリストテレスが伝える次の部分が真性ならば、背理法そのものであると考えられる。

資料、アリストテレス「弁論術」
クセノパネスが、神々は生まれると主張している者は、神々は死ぬと言っている者と同じように不敬である、と述べているのがそれである。というのは、どちらの言い方をしても、いつか神々が存在しない時がある、という結論になるからである。つまり、どちらの前提をたてても結論は同じ、つまり矛盾する。相対する前提から、矛盾を引き出しその前提を否定する、間接証明(背理法)と考えられる。

さらにヘラクレイトスの断片は総じて、厳密な演繹的な論証ではなく、暗示的、端的でパラドシカルなものであるが、仮説的な論議である二つの断片が現存する。それはつぎの資料である

資料、ヘラクレイトス「断片7」
もし、あらゆるものが煙と化すならば、鼻がそれらを識別するであろう。
「断片23」
もし、それらのものがなかったならば、ディケー(正義)の名を彼らは知らないだろう

これらは断片的であり、わずかなものである。さらに、パルメニデスにおける演繹的論証にくらべて脆弱なものである。(Bp68)。パルメニデスは、だれでも認めるように精密な演繹的論証を行った。(Bp69)。KRSGによれば、パルメニデスの議論は徹底的であり、演繹推論による驚異的な力業で証明する。Lloydも、すでに前も部分で証明されたことを使う、演繹的な証明である(p70注61参照)と述べている。

その論証の形式・構造はどのようなものか、その一部をみていく。まず、「ある」ものが前提されている。それは、真理への道だからとする。関連する断片を見ていく。さらに、あるもののみ、語り、思惟し、知ることができる

断片2
探求の道として考えられるのは いかなるもののみぞ。
その一つは「ある」そして「あらぬことは不可能」という道、これは説得の女神の道である(真理に従うゆえに)
他の一つは「あらぬ」そして「あらぬことが必然」という道
この道はまったく探ねえざる道であることを私は汝に告げる
なぜならば汝はあらぬものを知ることもできなければ(それはなしえぬこと)
断片3
なぜならば 思惟することとあることとは同じであるから。
断片6
あるもの(のみ)があると語りかつ考えねばならぬ

パルメニデスは、断片8において、不生不滅論証、連続・不可分割論証、不動論証、完結論証が行われる。この論証の一部を見ていく。ただし、この部分の、どこからどこまでが、その部分かについては、さまざまな説がある。(井上忠「パルメニデス」p276)。またパルメニデスは、不滅については、おそらく、生成と同様の論証であると考えて省略している。ここでは、どのように証明が進められているか、不生不滅論証、連続・不可分割論証についてみていく。以前の結論をもちいている演繹的な証明になっていることがわかる

不生不滅論証@(断片8、5行〜21行)
5行 それはあったこともなく あるだろうこともない。今あるのである 一挙にすべて
   一つのもの、つながり合うものとして。そのいかなる生まれを 汝は求めるのか?
   どこからどのようにして生長したというのか?あらぬものから、と言うことも 考えることも 私は汝に許さぬであろう。
   なぜならあらぬということは語ることも考えることもできぬゆえ。
10 またそもそも何の必要がそれをかりたて
   以前よりむしろ後に無から出て生じるように促したのか?
   かくしてそれは 全くあるか 全くあらぬかのどちらかでなければならぬ。
   それにまた あるものどものほかに何かが 無から生じて来るなどとは確証の力がけっしてこれを許さぬであろう。
   このゆえ司直の女神ディケーは 足枷をゆるめてそれが生じたり滅んだりするのを放任することなく
15 しっかりと保持する。そしてこれらについての判定は 一にかかってこのことにある、
   すなわち、一方の道は考ええず言い表わしえないものとして放棄し(真実の道ではないから)
   他方の道は実在のもの 真実のものとしてこれを選ぶとし、
   そもそのどうしてあるものが 後になって後になって滅びえようか。
   どうして生じようか?
20 もし生じたとしたならば、またあろうとするのであったとしても、常にあるのではない
   かくして「生成」は消し去られ「消滅」はその声が聞けないことになった。   

5行〜9行(不生の証明@)
そのいかなる生まれを 汝は求めるのか?どこからどのようにして生長したというのか?
それは、断片2より、あらぬものを、知ること、言うこともできないし、断片3より、思惟することとあることは同じ。
したがって、あらぬことは、言うことも、考えることのできないからだ。(つまり、「どこから」については、あらぬものとするしかないが、
こらは、断片2,3よりこれは排除されている。)

A10行〜11行
またそもそも何の必要がそれをかりたて、以前よりむしろ後に無から出て生じるように促したのか?
、「生成するものはどんなものも生成を説明する何らかの発生の原理(必要)をその内に含んでいなくてはならない。ところが、もし何かが存在しないならば、その原理をどうしてそれが含みうるであろうか」(KRS)と「充足理由律」を用いている。

B12行〜14行
無から生じて来るなどとは確証の力がけっしてこれを許さぬであろう。
なぜなら、自分以外のものを、何かあらぬものから生じさせることはないからだ。「無から生が生じることはない」は、ギリシアではパルメニデスが初めて提示した。のちにに多大な影響を与えた。例えば、原子論者たち

C19行〜21行
それはあったこともなく あるだろうこともない。今あるのである 一挙にすべて(5行)
だから
もし生じたとしたならば、またあろうとするのであったとしても、常にあるのではない(従って、生成することはない)否定式を用いている

連続・不可分割論証
22行〜25行
   さらにあるものは 分かつことができない。すべてが一様であるから
   またそれは いささかも、ここにより多くあったり より少なくあったりすることによって
   互いに繋がり合うのをさまたげられることなく、全体があるもので充ちている
   このゆえに全体が連続的である。あるものがあるものに密接しているのであるから
ここで、証明していことは@分割されない Aより多くある、より少なくあるということはない B連続的
@については
6行〜21行で証明された「不生不滅」を「すべてが一様のものとして存在している」に言い換えて、
だから、「分かつことができない」
Aについて
これは「全くある」(11行)と同じことである
だから「多くある、少なくある」ことはない
Bについて
さらに「全体としてあるものに充ちており」、「はじめも終わりもない」
だから「全体が連続的」である(途中で生成、滅びるこたはない

ゼノンは、パルメニデスの存在が一であるという言説に対して、存在の多を主張する人た対する反論を行った。プラトンは「パルメニデス」(128)においてゼノンにつぎのように語らせている。

資料、プラトン「パルメニデス」(128D〜)
パルメニデスの言説に多少なりと加勢するもので、つまり、もし存在が一であるとするのであれば、その言説には多くのおかしなことや自説に反することが結果すると言って、彼を笑いものにしようと企てる人たちを相手にしているのです。そこで、このわたしの著作は、多まる存在語る人たちひ反論を加えるのです。・・・もし存在が多であるならば、という彼らの前提は、十分に検討すれば、存在が一であるとする場合よりも、さらにいっそうおかしな目にあうだろうということを、明らかにしyぷというわけだ。

ゼノンは、多について2つ、運動について4つの論駁を行っているが、ここでは、断片3の証明をみていく

断片3
もし多があるのなら、それらは必ず現にあるそれだけの数あり、それ以上に多くもなければ少なくもない。しかるに、現にあるそれだけの数あるとすれば、それらは有限であろう
もし多があるのなら、あるものは(数的に)無限である。なぜなら、あるものの同士の間にいつも別のものがあり、そしてさらに、その別物の間にまた別のものがあるからである。かくして、あるものは(数的に)無限である。(だから矛盾、だから「多がある」の前提が間違い。という間接証明)

パルメニデスの韻文調にたいして、散文でかかれた論証としてはギリシアにおいて初のものである。

メリッソスは、パルメニデスの説をさらに推し進め(一部反対している)、間接証明や背理法による完璧な論証のスタイルとなっている。まず、断片8をみていく

断片8(シンプリキオス「アリストテレス天体論注解」)
メリッソスは、あるものに関して、それは、一であり不動であって、いかなる空虚によっても分割されないものであり、むしろそれは完全にあるもので充実しているのだと主張し、さらに次のように言っている
@したがって、以上の説明が、あるものだけが一である、ということについて最も重要な証拠である。しかし次のこともまた証拠としてある。
Aすなわち、多なるものどもがあるなら、それは、まさしく私が一について述べたようなそんな性質でなければならないだろう。つまり、土、水、空気、火、鉄そして金があり、また一方には生きているもの、他方には死んだもの、そして黒と白、そのほか、人びとが本当にあると考えているものすべて、要するにそうしたものがあり、しかも我々が正しく見て聞いているならば、そのそれぞれは、まさしく最初に現れたそのとおりの性質のものであらねばならない。さてしかし、我々確かに正しく見、聞きそして理解していると主張する。
Bところが、我々には、熱いものが冷たくなり、硬いのもが柔らかくなり、柔らかいものが硬くなり、生きているものが死にそして生きていないものから生まれるように見えつまりこうしたもののすべてが変化し、あったものと今あるものとは決して同じではないように見え、むしろ逆に、その硬さにもかかわらず、鉄は、指とそれとの接触部分が指によって摩滅し、そしてまた金や石や、普通は硬いと思われているすべてがそのように摩滅し、そして水から土と石が生成するように、見えるのである。そこから、結果として、我々が、あるものを見ることも認識することもできないということが判明するのである
Cしたがって、以上のことは、相互につじつまが合わないのである。というのも、人は、一定の形態と強度を備えた多くの永遠なるものどもがあると主張するけれども、我々には、そのつど見られたものからして、すべては変化して流転するように見えるからである。
Dだから、明らかに我々は、正しく見てはいないのであり、また、かのものどもは正しくない仕方で我々に多であるように見えているのである。なぜならば、もしそれらが本当にあるならば、それは転化せず、むしろそのそれぞれは、以前そう見えていたちょうどそのものとおりのものだろうからである。というのも、本当ある真実性ほど強いものはないからである。
Eしかし、何かが転化するならば、あるものは滅び去り、そしてあらぬものが生成したのである。したがって次のことが、結果として出てくる。すなわち、多なるものどもがあるならば、それはまさに一なるもののような性質を備えなていなければならないであろう。


ここに、さまざま論法がある。
@断片8全体の論議で、メリッソスは、一ではなく多を前提として論議をすすめ、それが自己矛盾におちいることを示している。つまり
「多なるものどもがあるなら、それは、まさしく私が一について述べたようなそんな性質でなければならないだろう。」から「多なるものどもがあるならば、それはまさに一なるもののような性質を備えなていなければならないであろう。」と
さらに、次の断片1も同じ型の論証になっている
「・・・もしもそれが生成したのであれば、その生成よりも前に必然的に何もあってはならないだろうからだ。ところで、何もあらぬならば、その場合、あらぬものから、何かが生成することはどうしてもありえないであろう」

A間接照明的であるのは
「我々が正しく見て聞いているならば」と主張する
しかし、「熱いものが冷たくなり、硬いのもが柔らかくなり、柔らかいものが硬くなり、生きているものが死にそして生きていないものから生まれるように見えつまりこうしたもののすべてが変化し、あったものと今あるものとは決して同じではないように見え、むしろ逆に、その硬さにもかかわらず、鉄は、指とそれとの接触部分が指によって摩滅し、そしてまた金や石や、普通は硬いと思われているすべてがそのように摩滅し、そして水から土と石が生成するように、見えるのである。」
だから、「我々が、あるものを見ることも認識することもできないということが判明するのである」
これらは、「相互につじつまが合わないのである。」

B否定式(さまざまなところに使われている)が使われている断片の例
断片5 それは一であることを示す論証
もし、それが一でないならば(前提)
それは何か別のものに対して限界を形成するだろう
(しかし、断片4より、それは無限であることに矛盾する。だから、それは一である)

断片7(4)
それは、いかなる苦痛を感じない
もし、(それが)苦痛をかんじれば
完全でない(均一ではない、常にはありえず)
(それは、完全、均一、常にあることに矛盾する。だから、苦痛を感じない)

この続きに「悲しむことについても、同じ論法で成り立つ」という断片7(6)、より、メリッソスはこの論証の論法(方法論)について十分に認識していたと考えられる。

パルメニデス、ゼノン、メリッソスは、厳密な演繹的論証を用いてきた。後の、哲学、科学に多大な影響を及ぼしたと思われる。その影響は

@哲学的には、タレス以降の世界の成り立ちに関する説を否定するものとなる。つまり、世界の生成・消滅、運動、変化、多様性は疑え得ぬものであったが、感覚に基づかず、「ロゴス」に従うものとなった。エンペドクレスの「四元」、アナクサゴラスの「種」、レウッキポッスとデモクリトスの「原子論」は、パルメニデスの原則「あるものはある」を守りながら、世界を説明することになる。また、メリッソスの暗示している(断片断片9は、プラトンのイデア論、アリストテレスの形相の考え方に通じる。なお、メリッソスの空虚は、原子論者に受け継がれた

A論証の方法については、後に、説得の技術であるレートリケーやディアレクティケーとして、(論証そのもの、つまり証明ではなく)引き継がれていく。プラトン、アリストテレスは次のように語っている。

プラトン「パイドロス」(261d)
エレアのパルメデス(ゼノンのこと)が論議をするとき、そこに使われる技術のために、聞いている人々には、同じものが、似ていても似ていないようにみえたり、一つのものであってしかも多くのものであるようにみえたり・・・
注、「パルメニデス」(127e)にも同じような記述がある。
アリストテレス「弁論術」(1355a33)
他の技術はどれひとつとして相反する結論を導くことはないが、弁論術と弁証術はそれをする。(ゼノンの論議のアンチノミーについて言っている)
アリストテレス「トピカ」(100a18〜)
一般に認められた前提から論議する(ゼノンやメリッソスの、「多と前提する」について言っている
ディオゲネス・ラエルティオス(9−25)
アリストテレスは、この人(ゼノン)が問答法の発見者であると言っている

エレア派の間接証明ないし背理法による、論証は資料から確認できた。しかし、サボーの言うように演繹的論証数学がエレア派の直接的影響であるのかは疑問である。一つの要因として、ギリシア特にアテネでの民主制の成立とそれに伴って、自由な討論が保証されていた。これは、次回のページで

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