三平方の定理に関する古代の資料

 古代バビロニア(BC1800年から1600年)の数学(ノイゲンバウアー20、室井67参照)においてすでに三平方の定理は、問題解法に用いられて、さらに、ピュタゴラス数の数表も作られていた(例えば3,4,5や,5,12,13)、従ってピュタゴラスよりも約1000年も前にピュタゴラスの定理は知られていた。従って、ピュタゴラスの定理と呼ぶのは適切ではない。それでは、誰が何時ピュタゴラスの定理という言葉を使い出したか、私の知る限りギリシア側の資料にはない。しかし、資料1〜10にはピュタゴラスと三平方の定理を結びつける資料は現存するが、全て、犠牲に関連づけているし謎めいたアポロドロスのエピグラムがソースになっている。しかし、ピュタゴラスの輪廻転生思想により、菜食主義だったことに反するという理由でこれらの伝説に疑問視されている(カジョリ、Heath、ファンデル・ベルデン、ボイヤー) ただしHeathは伝説が正しいと信じたいとのべている。

注、古代バビロニアにおける三平方の定理等は、ノイゲンバウアー1928年に発表したものである。

注、Burkertは文献59p428-429において、このアポロドロスは、BC4世紀のキュジコスのデモクリトス派のアポロドロスに同定している

ディオゲネス・ラエルティオス(3世紀前半)は錯綜した記録を残している。
資料1「算数家のアポロドロスによれば、ピュタゴラスは、直角三角形の斜辺の上に立つ正方形は、直角をはさむ他の二辺の上に立つ正方形(の和)に等しいことを発見したときに、百頭の牡牛を犠牲にさささげたということである。なお、このことに関して、次のエピグラム(短詩)も残っている。
 ピュタゴラスは、世に知られたるかの図形を発見せし折りに
 そのことゆえに、
 かの評判となりし牡牛の犠牲を神にささげたるなり」(DL8−12)

資料2「タレスはエジプト人から幾何学を学んだのち、直角三角形を半円に内接させた最初の人であり、そしてそのことで一頭の雄牛を犠牲にささげたとのことである」(パンピレによる)「しかしこれはピュタゴラスのことであると言っている人たちもあり、その中には数学者のアポロドロスも含まれている」(DL1−24.25)
 
プルタルコス(AD46から120)も同様に錯綜した記録をのこしている
資料3「食卓歓談集」岩波文庫
「一番典型的に幾何学的なのは「ここに二つの図形がある、その一方に等しくもう一方に相似の、三つめの図形をつくれ(原論6巻命題25)というのだが言い伝えによると、何でもピュタゴラスはこれを解いたとき、神に犠牲をお供えしたという話だ。確かにこの方が、例の有名な『直角三角形の斜辺の二乗はその直角を挟む、二辺のそれぞれの二乗の和に等しい』というよりずっと上品で美しいものね。」

資料4モレイラ14」京都大学出版会
「ピュタゴラスもアポロドロスが次の詩句で謳っているように、定理を発見できたという理由で、牛を生贄として神にささげたのだ。その定理が、直角三角形の斜辺について上にたつ正方形は、直角をはさむ他の二辺の上にたつ正方形と面積が等しい、とするものか、それとも、与えられた面積の等積配付(面積あてはめ、原論1巻命題44)に関する問題であるかはともかくとして、
ピュタゴラスが、かの有名な証明を発見せしとき、その発見に対して
 かくも輝きしき牛の供牲をとりおこなった。
 
アテナイオス(AD100頃)にもアポロドロスのエピグラムが引用されている
資料5「食卓の賢人たち」京都大学出版会
「数学者のアポロドロスがいうにはピュタゴラスは、直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しいということを発見したとき、百頭の牛の犠牲を捧げた
 ピュタゴラスは、有名な線を発見して名をあげ、
 そのために、盛大な牛の犠牲を執り行った。」
 
資料6 ボルピュリオス(AD232ー305)「ピュタゴラス伝」国文社
「神々に供犠を捧げるにさいしては、仰々しくなく、大麦のひきわり、お供えの菓子、乳香、ギンバイカで神々をなだめ、生き物は絶えて捧げなっかたが、雌鳥と柔らかい子豚は例外だった、しかし、三平方の定理を発見したとき、牛を、より正確な典拠の言うところでは、小麦粉の生地で作った牛を供犠に捧げた。」
 
資料7 Greek Anthology Z(5世紀頃)LCLUー71、これはアポロドロスのエピグラムである
ピュタゴラスは、有名な図形を発見したときに、それを祝い、彼は大きな牡牛の生け贄をささげた
 
資料8 キケロー(BC106〜43)「神々の本性について」キケロー選集 岩波書店
「ピュタゴラスは、幾何学上の新しい発見をするたびに、牛を一頭ムーサたちに捧げたと言われているが、わたしいはこの話を信じることはできない。なぜなら、彼は祭壇を血で汚すのを嫌がって、デーロス島のアポローンに犠牲獣を捧げることを望まなかったからである。

次のウィトルウィウスの資料のみ、ピュタゴラス数(3.4.5)をあげている。 

資料9ウィトルウィウス「建築書」(BC33〜22に成立したようである)東海大学出版
「ピュタゴラスは工匠たちの手を煩わさずに直角を見いだす法を明らかにしました、・・・もし三本の直棒(そのうち一つは3ペース、他は4ペース、第三のは5ペース)がとりあげられ、そしてこれらの直棒が互いに組みあわされてそれぞれの先端で三角図形を作りながら一本が一本に触れるならば完全な直角が形づくられるでありましょうから。しかも、もしこれらの直棒の個々の長さに一つずつの等辺四角形が描かれるならば、辺が3ペースのものは面積9ペース、4ペースのものは面積16ペース、5ペースのものは面積25ペースをもつでありましょう。このように、辺の長さ3ペースと辺の長さ4ペースで出来た二つの正方形が作る面積のペース数の量と全く同数量を5ペースで描かれた一つの正方形が与えられます。ピュタゴラスはこのことを発見したとき、この発見において親しくムーサエのお告げを受けたのだと信じて最大の感謝を持ってムーサへ犠牲を供えたといわれています。この方法は多くの事項や測量に役立つと同様に、建築においても階段の造作に、それが調子のよい段の釣り合いを保つために、早速間に合います。
 
資料10
 プロクロス(AD410-485)
(命題47の注釈において)われわれが古代を探究しようとする人々に耳を傾けるならば、この定理をピュタゴラスに帰し、彼がこのときに牡牛を犠牲にささげたという者たちもいる。・・・その定理を最初に観察した人々を賞賛するとともに、原論の筆者に驚歎する、・・・・

Kahnは、Kahn文献68において、ピュタゴラスの定理という名称は何時つかわれだしたか、実はわからないと述べ、Burkertが、Kahnに、ピュタゴラスの定理という名称は、近代の初頭のころ原論を教科書として使っていた、学校の教師たちが、使い出したと示唆したと述べている。(文献68p32n)  
 
 
 
 
 
 
 
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