数、量、基数、序数の日常生活での使い方は、それほど厳密なものではない。

助数詞に関連して

インド・ヨーロッパ語族では、英語でもフランス語でもドイツ語でも不規則である。しかし、漢字文化の日本では、数詞に、第、次、回目、位、番目をつけるだけでよい。従って、われわれの文化圏(中国、韓国もふくめてもよいが)基数も序数も、同じ数字を使うので、同じ概念に属すると考えることもできる。1,2,3,4,5,・・・と数えていくのは、基数を数えているのか序数を数えているのか意識していない。また、五日と言われたとき、五日後、五番目の日、12月五日なのか、文脈や場面において状況によって判断している。この区別はもともと印欧語(基数よ序数を表す字が違う)からの翻訳なのだ(雑誌「現代思想」2008年11月号p50)。そこで、われわれ教職に携わるものとして、次のフッサールの言葉は意義深い。つまり「学問一般が、人間の生にとって何を意味してきたか、また意味することができるのか」と問い、さらに「学問はいったい何を語るべきなのであろうか。いうまでもなく、単なる物質科学はこの点については何も語ってくれない、それはいっさいの主観的なものを捨象する」とし「われわれが学問以前の生活において体験する、色、音、熱とか物体の重さ・・・といったものは・・・純粋に形態の世界のできごととなって現れる」そして彼は、「生活世界」という概念を提出した。(「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」中央公論社)それは、われわれすべてが、そこでさまざまな行為をし、いさいの営みをするとき当然そこにあるもの。つまり、基数も序数も量も、生活に根ざした概念ではない。生活世界の「数」概念に関して、畑村「数に強くなる」(岩波新書)の考え方が示唆的なので紹介する。

畑村説
数とは
@物事の数量的な属性を記述し表現するもので
A「種類」「狭い意味での数」「単位」を構成要素とし
B「数を作る」という動作を含む
概念である

@〜Bの構成要素そそろえて、初めて「数」となる。他者に伝わり、共有できる

りんご←種類
3←狭い意味での数
個←単位
次の例は「数」ではない
3←ただの数字
3個←何の3個かわからない
りんご3←意味なし
視点、カテゴリーが変わると、「数」も変わる。重さだ
りんご←種類
600←狭い意味での数
グラム←単位

私は、生活世界に根ざした数学が大切な事であると思う。中学校の教科書を読むと、文章題などは、わざとらしく作り上げたものもある。詳しく延べないが、ある問題で、鋭角の角度を求めるのに、105度と答えて疑問を持たない生徒や、歩く速さを求めたら毎時35kmと答えて疑問をもたない生徒も多々いる。「生きる力」「確かな学力」というスローガンもよいが、生活と結びつくような授業を心がけることも大切なことであると思う。

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