神人、超能力持った人、奇跡を起こす人と描かれるピュタゴラス(その1輪廻転生について)
魂の不死とザルモクシス伝説

ザルモクシス・・・ヘロドトスが伝えるトラキアのゲタイ人であり、神なのか人間なのか分からない。ザルモクシスはピュタゴラスの奴隷であった。魂の転生については述べられていないが、魂の不死を説いた。(ヘロドトス「歴史4-95、4-96」)この文献は古代世界において、ヘロドトスの同時代から新ピュタゴラス派、新プラトン派にいたるまで強い影響力を及ぼした(エリアーデ「世界宗教史」)それはDL8-2、VP14、IVP173(Burkertp109n65)またプラトン「カルミデス」にもザルモクシスの名前が現れる。まず、ヘロドトスは次のように述べている。

資料、ヘロドトス「歴史4-93」
ダイオレスが最初に攻略したのは、霊魂の不滅を信じているゲタイ人であった。・・・彼らはトラキア人の中では最も勇敢でかつ正義心の強い部族であった。

資料、ヘロドトス「歴史4-94」
ゲタイ人が霊魂の不滅を信ずる仕方はこうである。彼らは自分たちが死滅するとは考えず、死亡した者は神霊ザルモクシスの許へゆくものと信じている。彼らの中には同じ神をゲベレイジスの名で呼ぶものある。五年目ごとに籤を引き、籤の当たった者に、その時々の願い事を言伝て、ザルモクシスの許へ使者として送る。その送り方というのは、その役に当たっている者たちが三本の槍を構えていると、別の者たちがザルモクシスの許へ送られる男の手と足を両側からとらえて振り、宙に抛って槍の穂先目掛けて投げつける。男が槍に貫かれて死ねば、神が彼らに好意をもったと考える。その男が死なぬ場合は、その使者が悪人であるといってその罪を問い、その上でまた別の人間を送る。願い事の伝言はその人間が生存中に行うのである。また、雷鳴や稲妻があると天に向かって矢を放ち、神を脅かすのも同じトラキア人で、彼らは自分たちの信ずる神以外に神のあることを認めぬのである。
注、ゲベイジスの名は、ギリシアの文献に現れる最初で最後(エリアーデ「ザルモクシスからジンギスカンまで」)

この部分は、ヘロドトスはザルモクシスは神であるとしているが、次の資料ではピュタゴラスの奴隷であり人間であるとしてりる。

資料、ヘロドトス「歴史4-95、96」
私がヘレスポントスや黒海の沿岸に在住するギリシア人から聞いた話によれば、このザルモクシスというのは人間でサモスの奴隷であったといい、ムネサルコスの子ピュタゴラスに使えた者であるという。その後自由の身になってから大いに産を成し、長者になって国へ帰った。トラキア人は生活も貧しく知能もどちらかといえば、低い方であるのに、ザルモクシスは多年ギリシア人の間に在り、ギリシアでも有力な知識人であるピュタゴラスにも親しんだので、イオニアの生活に通じ、トラキアでは見られぬ洗練された風俗を身につけていた。その彼が接待用の部屋を造り、ここに町の有力者を招いて饗応しながら、自分をはじめ客たちや代々の子孫たちも死滅ことなく、将来は永遠の生を亨けてあらゆる善福に浴すことのできる場所へゆくのである、という教えを説いたという。彼は右に述べたようなことをし、そのような教えを説いている一方、地下に一室を造らせた。その部屋が完成すると、彼はトラキア人の間から姿を消し、地下の部屋に降りて籠もり、ここで三年間暮らした。トラキア人は彼が死んだものと思い、その死を惜しみ悲しんでいた。四年目になって彼はトラキア人たちに姿を現し、こうしてトラキア人はザルモクシスの説いていた教えを信ずるようになった。ザルモクシスはこのようなことをした、とギリシア人は言うのである。
私はこのような地下室の話など信じないというわけではないが、あまり信用はおけない。ザルモクシスはピュタゴラスよりずっと以前にいた人物であると私は考えるのである。ザルモクシスが人間であったにせよ、ゲタイの国の神であるにせよ、そのような論議はどうでもよいことである。

ヘロドトスの情報源のギリシア人は、ピュタゴラスとザルモクシスの教えに類似性を見いだし、ギリシアが異邦人に対する優越性を示すために、ピュタゴラスがザルモクシスに教えた(Guthrie)
さて、ギリシア人は、死後の世界について、ヘロドトス「歴史」の資料のように、エジプト人と関連して語っている。同様にヘレポントスと黒海のゲタヤ人と関連して語っている。違いはGuthrieも言っているように、ギリシア人はゲタヤ人には優越感をもち(ピュタゴラスの奴隷)エジプト人には、畏敬の念をもちピュタゴラスをエジプト人の弟子にした。以下の資料を参照

資料、ポルピュリオス「ピュタゴラス伝」
ピュタゴラスの教えについてついて、学問生の知識のあるものはエジプト人から・・・学び取った
資料、イソクラテス「ブシリス」
ピュタゴラスはエジプトにいったて,その地の人々の弟子になり

Burkertは、ヘロドトス歴史の「人間の霊魂は不滅で、肉体が滅びると、生まれてくる他の動物の体内に入るという説を最初にとなえたのもエジプト人である・・・ギリシア人の中にはこの説を採り上げあたかも自説のごとく唱道しているものが幾人もいる」を引用して、ギリシア人は他国のことがらも自分たちのものとしてしまう傾向があるとしている(Burkert p156)従って、ヘロドトスまたは、ヘロドトスの情報源のギリシア人が、ピュタゴラスに結びつけたのかもしれないし、逆に、ザルモクシスは、ピュタゴラスをモデルにギリシアで創作されたものかもしれない。しかしここで強調されているのは魂の不死の教説はピュタゴラスのものであるということであると思われる以下この物語の影響に関する資料を検討していく(Burkert、エリアーデを参照しました)資料を読み進んでいくとピュタゴラスの伝説がどんどん拡張されていく。

資料 ヘルミッポスが伝えるもの(DL8-41)
彼(ピュタゴラス)はイタリアにやって来ると、地下に小さな住居をつくってそこに住み、そして母親には、地上で起こった出来事を板の上に書き留めて、その板にはそのことが日時をも記入しておくよう命じた。そしてそのうえで彼は、自分が地上に上って来る時まで、その板を地下の自分のところへ送ってくれるよう頼んだのである。そこで、母親は命じられたとおりにしたのだった。さて、ピュタゴラスはしばらくたってから、やせ衰えて骸骨のような姿をして地上に上がってきた。それから民会へ出かけて行き、自分はハデス(地下の世界)から帰ってきたと告げた。そしてそれに加えて、自分の身に起こった出来事をも人々に語って聞かせたのである。そこで人々は、彼の言葉に心を動かされて、声を上げて泣き、涙を流して、ピュタゴラスを神様のような方だと信じるにいったた。

ヘルミッポスがヘロドトスをもとにして描いたとも考えられるが、明らかに他の資料を用いている可能性もある(またはヘルミッポスの創作)。なぜなら、ヘロドトスにないものとして「母の存在」「手紙」「ピュタゴラスが骸骨」の三点がヘルミッポスの資料にはある。(ピュタゴラスがクロトンの母を連れて来た可能性は低い(Burkert p159)おそらくヘルミッポスはヘロドトス以外に、ピュタゴラスの伝説からをもとにした可能性がある(Burkert159)

地下の住居の話は、もともとザルモクシスの話にはなく、ギリシア人または、ヘロドトス自身の付け加えの可能性はある。なぜならば、カエサルの頃の次の資料によると、ザルモクシス神聖な山に住んでいる、(Burkert159)、

料、ストラボン「ギリシア・ローマ世界地誌」
ザルモクシスという人はピュタゴラスの奴隷だったが、主人から天文についての学問をいくらか学び、同時にエジプトまで遍歴の足を伸ばして、かの地の人からもさまざまな知識を学んだ。・・・後になると神の称号を受け洞窟になっているところに居をかまえ・・・地元では(洞窟があったという)山も神山だと思って、実際にもそう呼んでいるという。・・・

ザルモクシスは、天文学を学んだとなっているが、プラトンは医学との関連で述べている。また、ザルモクシスは神であり(ストラボン)、王になっている。

プラトン「カルミデス」(156D)
かれはザルモクシスの流れをくむ医術師なのだが、この派の医術師は人を不死にするすべまで心得ている。・・・われわれの神なる王ザルモクシス様は・・・

イアンブリコス「ピュタゴラス伝」(173
ピュタゴラスの奴隷、トラキア人のザルモクシスは、ピュタゴラスの教えをあまさず聴聞、やがて解放されて自由の身になってゲタイ人のもとに戻り、・・・法律を制定、さらに魂の不死を説得して・・・

ここでは、ザルモクシスは立法家になる。おそらくピュタゴラスの立法家としての伝承を投影しているのではないか。

ポルピュリオス「ピュタゴラス伝」(14)
ピュタゴラスにはトラキアから迎えた別の少年がおり、名をザルモクシス、これは、生まれたときに熊の革がかぶせられたからだ。トラキア人は革をザルモスと呼んでいるのである。ピュタゴラスは少年を愛し、天文学と祭儀と神々にたいする崇拝を教えた。・・・(ザルモクシス)は入れ墨を彫られた、このために顔に布を巻いていた。ザルモクシスなる名は「異邦人」とも呼ばれる。

最後に、6世紀のヨルダーネスは「哲学に大変深い造詣がある王ザルモクシス」と述べているが、これ以後ザルモクシスを引用している全く稀少である(エリアーデ)。ザルモクシスの変容は、外国の著述家の制作である。重要なことは、ギリシア人がピュタゴラスとザルモクシスの類似性にひどく心を打たれたということである。

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