タレスのものとされる数学的な業績
 
資料1Puroclos文献1(63)、DK11ーA11   
タレスはエジプトにやってきて、この学問(幾何学)を始めてギリシアにもたらした。彼みずからも、また多くのことを発見したが、ある人びとにはより一般的な仕方で、他の人びとにはより感覚的な仕方で多くのことの原理を後継者たちに伝えた。
                    
資料2Puroclos文献1(299)、DK11ーB20 原論1−15               
「したがってその定理が示してているのは、直線同士が切り結んだ(交わったとき、二つの対頂角は相等しいということで、これはエウモデスの言うところによれば最初にタレスによって発見されたものだ

、プロクロスはこの箇所のすぐ後で「のちに原論の著者によりにより学問的証明が考えられた」と述べている。プロクロスは、タレスが発見したとし、証明はユークリッドのものとしている。
 
資料3Puroclos文献1(250)、DK11ーB20 原論1−5
「この定理の発見のゆえに、かの昔人タレスに感謝すべきである。すなわち、かの人が最初に、すべての二等辺三角形の底辺上の二つの角は相等しいことを知り、そう語たと伝えられている・・・ただし、『相等しい』というのを、より古めかしく『似ている』という言い方をしたのだという」
 
資料4Puroclos文献1(157)、DK11ーB20 原論1−定義1
「円が直径によって二等分されることを最初に証明したのは、かのタレスだと言われている」

、プロクロスは、数行先で「もし君がこれを数学的に証明しようと欲するなら、直径が 引かれ、円の半分が他の半円と相重なるのを想像してみよ」と述べている。
 
資料Puroclos文献1(352)、DK11ーB20 原論1−26
「エウデモスは『幾何学史』において、この定理(一辺とその両端の角が等しいとき、二つの三角形は合同である)をタレスのものとしている。なぜなら、タレスが海上の船同士の距離を示すのに用いたといわれている方法には、この定理をつかわなければならないからだ。

、資料1はプロクロスの「幾何学『提要』」一部。資料2〜5まではエウデモスの現存しない「幾何学史」からの引用とされている。しかし、以下の理由でエウデモスあるいはプロクロスの推測である可能性が高い。
資料2では、注にあるように学問的証明はユークリッドが与えた。
資料3では「エウデモスによれば」とはないが「そう語ったと伝えられている。
資料4では「かのタレスだと言われている」
資料5ではエウデモスの推測であることは明らか
近年の研究者では、これらの資料の信憑性が疑問視されている。
例えば、Nitzは(1990年、p272、274))「プロクロスは、エウデモスの断片的な情報をもとにして推測していることは明確である。しかも、タレスに著作があったとする者は今日ではほとんどいない」と述べている。さらに、エウデモスの幾何学史1巻は「エジプトの数学やタレス、ピタゴラスに関する伝聞をもとに推測的で著し、第二巻はヒポクラテスをはじめとし資料を収集しそれをもとに著した」と推測している。また、KSR(1987年)によれば、タレスの著作はなかったとし(DL1−23参照)、資料5については、「エウデモスは、タレスが相似三角形についての知識を持っていたと考えたが、それは、さもなければこの種の計算ができたはずがないというア・プリオリな根拠に基づいている」とし、「エウデモスは、幾何学者および天文学者としてのタレスについて、若干の肯定的な主張ををしたが(資料5、他は下記に揚げる)すでに資料5でみたように、それらはときにはきわめて理論操作的なものであった。それらは、ことによると、一部は伝説がかった伝記の伝統に立ったものであり、けっしてエウデモスがタレスの著作を目にしたことを意味するものではない」としている。斎藤は(2004年、p93)、資料5について「タレスが船の距離を測ったという伝承から、タレスがこの定理を証明したにちがいないと想像をめぐらせたとしている。
Barnes(1979年p13)、Lloyd(1990年、p80)、Lloyd(1979年、p104f)も疑問視している。
注、エウデモスの証言は、よく引用される数学に関してだけではなく「天文学」を研究したという資料が残されている。これは、日蝕の予言の逸話(ヘロトドス(1−74)から導き出されたようである。
資料、DL1−23
あるひとたちの言うように、彼が天文学を行った最初の人であり、太陽の蝕および回帰を予告した最初の人であるとしてよかろう。エウデモスも「天文学者たちの研究」においてそう述べている。
資料、スミュルナのテオン
エウデモスが「天文学」で考究しているところによれば(あとは上記と同じ)
 
資料6ディオゲネス・ラエルティオス(DL1−22−44)
「タレスはエジプト人から幾何学を学んだのち、直角三角形を円(半円)に内接させた最初の人であり、そしてそのことで一頭の雄牛を犠牲にささげたとのことである。」(パンピレによる)「しかしこれはピュタゴラスのことであると言っている人たちもあり、そのなかには、数学者のアポロドロスも含まれている。(カリコマスが『イアムボス詩集』のなかでプリュギア人のエウポルボスに帰している発見、たとえば、不等辺(直角)三角形や三角形一般、そして線の理論に関する研究を非常に高度な段階までに推進したのはこのピュタゴラスだったのである」

、パンピレ・・・皇帝ネロの時代にローマで活躍した、女性の歴史家
、アポロドロス・・・不詳
、タレスが半円内の角が直角であることを発見した。ということを暗示しているようにも解釈することもできるが、Heathによれば、原論(V-31)では「円において半円内の角は直角であり・・・」という命題を(T-32)の「三角形の三つの内角の和は2直角に等しい」という命題を使って証明している。しかし、プロクロスは、エウデモスを根拠にして、任意の三角形の角が全部で2直角に等しいという事実を最初に発見し、証明したのはピュタゴラス学派であるとしている。したがってタレスが原論にあるような証明をしたとは考えられない。なぜならば、ピュタゴラスはタレスよりも後の人であるからである。従ってこの解釈には無理がある。

資料7ディオゲネス・ラエルティオス(DL1−22−44)
「ヒエロニモスによれば、タレスは(われわれの影)がわれわれと等しい長さになる時刻ほ見張っていて、ピラミッドの高さをその影にもとづいて計測したということである」

、ヒエロニモス・・・BC290年頃〜230年頃の文学史家
 
資料8プリウス「博物誌」(DK11-21)
 「ミトレスのタレスは、かのピラミッドの高さを測量する方法を考察した。それは、ものの影がそれを投じている事物と、ちょうど同じ長さになる時間に、その影を測る、というものである」
 
資料9プルタルコス「七賢人の饗宴」(DK11-21)
「ピラミッドがつくった影の端に一本の棒を立て、太陽の光線が(地面)にあたって二つの三角形ができた場合(ピラミッドの)影が(棒の)影に対して持つ比をピラミッドは棒に対してももっていることを(あなた)(タレス)は示した。」
 
以上が、現存するタレスの数学に関する資料です。直接的な資料はなく、伝説、伝承であるが。エジプトと関連する資料1に関しては、Guthrie(1962年、p54)は、「プロクロス資料においては「いくらかの真実が含まれている」としている。これは、次の資料6〜9とヘロドトスの資料と、当時のミレトスとエジプトの関係(「タレスの旅」参照)より、エジプトのいくばくかの数学ないし幾何学を学んだ可能性は排除できない(これに関しても斎藤は疑問視している(斎藤p92)資料7〜8は、歴史的にタレスよりもかなり後のものであり信憑性に欠ける。しかし、エジプトでは、リンドパピルス問題57,59B(ピラミッドの計算例)にセケド(cot)の概念があり、影を用いないで計算できる。タレスがエジプトで学んだという伝承が、事実であったら、このセケドの概念も学んだ可能性は残されている。なぜなら、この問題は、タレスよりも1000年以上以前の問題である。結局、タレスは様々な実用的な事柄を解決し有名になったようである。アリストパネスの「鳥」では、測地学者としてのタレスが描かれているが、当時のアテネでは、幾何学者としてではなく、そのように考えられていたようである。また、これらの資料から、証明の発見をタレスに帰するのは無理がある。資料の関係でこれ以上述べることはできない。

資料10 リンド・パピルスピラミッドの計算例
   問題57・・・底面の一辺が140、セケドが5掌尺1指尺のピラミッドがある。
           その高さはいくらか。
   問題59B・・・汝は、(底面の一辺が)12、セケドが5掌尺1指尺のピラミッドを(計算)する
           ことになる汝は私にその高さを知らせよ。

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