正多面体(ピュタゴラス、プラトン、ティアイトスをめぐって)

正多面体はプラトンの立体と呼ばれているのは、「ティマイオス」によるもので、プラトンが発見したものではない。

資料、プラトン「ティマイオス」(52c-57d)

プラトンは、直角二等辺三角形と、斜辺が一方の辺の二倍になっている直角三角形を「これを火やその他の物体の始原(アルケー)だと仮定」し火の構成要素として正四面体、同様にして、土を正六面体、空気を正八面体、水を正二十面体に割り当てた。さらに「第五の構成体がありますが、神はこれを、万有のために、そこにいろいろな絵を描くにさいして用いたのでした(おそらく正十二面体)」
注、プラトンは「みんなはは私を理解できると信じる。なぜならみんなが科学的手法に馴染むだけの教育を受けたからである」(53c)
この一説はプラトンのアカデメイアのおいて正多面体の理論が比較的新しいものであることを示唆するものと理解されている。

正多面体は、次のプロクロスの摘要を典拠に一般的にピュタゴラスの発見とされているが、以前から疑問視されている。さらに、作図および理論的な考察(原論13巻)はティアイトスのものとするのが定説になっており、一般向けの書物の記述は間違えである。リンクにあるようにピュタゴラスではなく、ピュタゴラス以後であるピュタゴラス派の数学的な業績は(例えば、平面を埋め尽くされるのは、正三角形、正方形、正六角形であrことの発見)は初歩的なものでありピュタゴラスにせいた正面体の作図を帰することにはもともと無理がある

資料、プロクロスの摘要

ピュタゴラスはこれらの人々の後に現れた人だが、この学問を一つの自由教養の形に変貌し、高所からこの学問の諸原理を考察し、非質量的(非物体的)なしかたで純粋に知的に諸定理を研究した。無理量の問題と世界図形(すなわち正多面体)の構成を発見したにも彼である。

 前半の部分は、エウデモスの「幾何学史」からの引用ではない、つまり、エウデモスがピュタゴラスを扱っていなかったので、プロクロスはイアンブリコスの「数学的学問一般について」を一字一句写したものである。さらに、イアンブリコスは、新プラトン主義の教義「数学を追究していくならば、神のごとく理想化され、浄化をもたらす」と述べている。従って、プロクロスは新プラトン主義をピュタゴラスのものとしてしまった。(Burkert、p410)。さらに「非物体的」という用語が最初はペリパトス派が使い、プロクロスも好んで使った(プロクロス9-13、137-21、63-5)。アリストテレスはピュタゴラス派が「数に関する諸命題を直ちに大きさのある物体に摘要しているが、それは、数を大きさのある存在と考えたからだ。これに反してプラトンは、イデア論において「エイドス数」「中間のもの」つまり「エイドスと感覚的事物の中間に存在する数学的対象との面を認めた」と述べていることからこの章句は、ピュタゴラスのものではなく、プラトン、アリストテレス以後のプロクロスまでのプラトン主義的な色合いのものである。例えばプラトン国家で数学は「魂を強制して、純粋に知性そのものを用いて、真理そのものへ向かう」(526b)、「純粋に知性そのものによって数の本性を観得する」(525c)、幾何学について「魂を真理へ向かってひっぱていく力をもつもの・・・哲学的な思考のあり方をあげて・・・上方に向けさせる力を持つもの」(527b)ということからもプラトン的である。また、プラトンもアリストテレスも科学者ピュタゴラスについては何も語っていない。したがって、エウデモスは数学者ピュタゴラスについて何もかたっていない。プロクロの記述はイアンブリコスのピュタゴラス像を受け取った。
 後半の無理量の発見については、無理量のリンクでかなり遅い時期の資料で、ピュタゴラスではなくピュタゴラス派に帰している資料は確実性は低いとのべた。

 また、Sachs(1917)は、「ピュタゴラスは数学者という神話から脱する」と宣言し正多面体に関するピュタゴラスの伝説は、プラトンの「ティマイオス」から引き出されたもので、ティアイトスの貢献を見えなくしてしっまた。この結論は広く受けいられており異論はほとんどない(Burkert p404) 

結論・・・数学史の書物でよく引用されている、プロクロスのこの部分は、エウデモスの幾何学史からのものではなく、イアンブリコスのものであり,新プラトン主義の教義の範疇に入るものであり、ピュタゴラスには関係ない。これはVoght(1908-1909)およびSachs(1917)で認められている。(Burkert p4119)つまりプロクロスがエウデモスにはない章句を穴埋めするために挿入したのだ。プロクロスは古代ギリシア数学史の重要な発見(無理量)、とユークリッド原論のハイライト(13巻における正多面体論)を付け加えたものである。Burkert(410-412)(ヴァンデル・ベルデンp111も同じ結論に達している)

イアンブリコスの報告には、正十二面体をヒッパソスに帰する資料もある

資料,イアンブリコス「ピュタゴラス伝」
ヒッパソスは「最初に12の五角形からできた球(正十二面体)を描いたことから、不敬虔のゆえに海で溺死した」「20の頂点をもつ図形の構成を公にした人は不敬虔な者として海で溺死したからだということである」であり、「しかし、このような不運に遭ったのは、無理数と非通約性についての教えを口外した人たちであるともいう」

 非常に古いころに正十二面体があったという証拠がある。1885年にロッハァ山で発見されたエルトリア起原の正十二面体は紀元1000年前半期のものだといわれている(Heath p160、ファン・デル・ベルデンp124)。また、イタリア北部のガリア地方では、ブロンズ製の正十二面体が発見され、石で出来ているものもある、この中には先史時代のものもある(Burkert p406) 自然界では、黄鉄鋼の結晶がほぼ正十二面体の形をしており、先史時代から、初期には発火材として後には鉄の鉱石として使われていた従って正十二面体の形は古くから知られていた
さらに、イアンブリコスの「最初に12の五角形からできた球(正十二面体)」という表現はプラトンにも「真の大地は12枚の皮で縫い合わされた鞠のように見え」(パイドン110b)あることからも言えるように知られていたものである。ピュタゴラス派は、正二十面体を経験的に知ってたにすぎない(Burkert p461n67)
 また次の資料から、正四面体はpyramid、正六面体はcube(もちろんエジプト時代からサイコロはあった)は日常生活の会話で使われていたものである


正多面体の名前(古典ギリシア語、英語)
正四面体・・・πυραμιζ(ピュラミスと呼びピラミッドの語源でありギリシア人は底辺が正方形ではなく正三角形のものをこう呼んだ。)英語では、当然pyramid
正六面体(立方体)・・・・κυβοζ
英語ではcube
正八面体・・・・οκταεδρου(οκτは8を表す)
英語では、octahedron(octaは8を表す)
正十二面体・・・・δωδεκαεδρου(δωδεκは12を表す)
英語では、dodecahedron(dodecaは12)
正二十面体・・・εικοσαεδρου(εικοσは20を表す)
英語では、icosahedoron(icosaは20)

以上のことから次の原論の古注の方が信憑性がある。ただし、ピュタゴラス派は経験的に知っていただけである「この13巻では5個のいわゆるプラトンの立体を扱っているが、これはプラトンによるものではない。・・・立方体、正正四面体、正十二面体はピュタゴラス派によるものであり、正八面体、正二十面体はティアイトスによる」(LCL379)
この伝承は何でもピュタゴラスのせいだとする伝承には矛盾するが、まさにこの理由でかえってプロクロスより今日では信用されている」(ヴァンデル・ベルデンp124)

プラトンの立体とは、おそらく正多面体が共通の性質をもっていることが研究され、正多面体の概念ができあがるまでは(原論13巻)、単なる立体の名前でしかなかったのではないか。そして、ティアイトスこそが正多面体の概念を作り上げた。スーダの辞書には「ティアイトは、アテナイ人で哲学者、天文学者でソクラテスの弟子であり、ヘラクレアで教え。彼が初めていわゆる五つの立体を描いた(おそらく作図した)」(LCLp379)

次のウオーターハウスの結論が決定的である(Fischler p89)
正四面体、正六面体、正十二面体はおそらく実物をモデルにして個別に研究されていたが、正八角形は、底面が正方形の三角錐を二つくっつけただけなのに、数学的な研究の対象にはならなっかた。多面体という概念をもった者だけが正八面体を選びだそうとした。ただし、正二十面体にかんしては不確かだが。作図仕方は、多面体の研究中か、やや早い時期に得られた。これ論議は「正四面体、正六面体は日常会話にも使われたろうし、正十二面体は、12の五角形からできた球と呼ばれていた。しかし、正八面体や正二十面体には他の名前がない」ことからも補強される」さらに、ウオーターハウスは正多面体の一般的な理論はティアイトスのものと結論すけている。
、プラトンは国家で「そうした事柄(立体幾何学)はまだ完全に発見されていない」(528b)と述べていることからプラトンに近い時代のティアイトスに帰することが妥当である。もちろんピュタゴラスに帰することはできない。

プラトンの立体を元素に結びつけたのはピュタゴラスであるという主張があるが、以下に見るように、これはプラトンのものである。まず、その典拠になるものは次の資料である。このアエティオスの学説誌は、アリストテレスの弟子のテオプラトス「自然学説誌」によるものである。
注、ヨハネス・ケプラーは「宇宙の神秘」において、ピュタゴラスのものとしている。

アエティオス(DK44A-15)
ピュタゴラスは数学的立体とも呼ばれる五つの形の立体があり、そのうち立方体から土が、正四面体から火が、正八面体から水が、正十二面体から空気が、正二十面体から万物の球体が生じたと言う。

これは、次の理由から否定される
1,土、火、水、空気の四つの元素は、エンペドクレスのものである。「地(土)は、はとんど等しい割合で、それらのものと一緒になった、すなわち、火、雨(水)、そあいて光輝くアイテル(空気)と」(断片98)エンペドクレスは、BC493−433頃)であり、年代的の矛盾がある。
2.アリストテレスの次の報告により、ピュタゴラス派は元素についてなにも語らなかった「ピュタゴラス派は、火についても、土についてもその他この類のいずれの物体についても全くなにごとも語らなかった」(形而上学990-a

従って、これらはプラトンの「ティマイオス」によるもので、ピュタゴラス派に帰している資料は「ティマイオス}をそのまま写したものである。

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