タレスの生年は、以下の資料による

資料1ヘロトドス「歴史」(1−74)DK11Aー5
その後、キュアクサレスが・・・リュディアとメディアの間に戦争が起こり五年におよんだが、この間勝敗はしばしば処をかえた。ある時などは一種の夜戦を戦ったこともあった戦争は互角に進んで六年目に入った時のことである。ある合戦の折戦いさなかに突然真昼から夜になってしまった。この時の日の転換は、ミトレスのタレスが、現にその転換の起こった年まで正確に挙げてイオニア人々に予言したものである。

※注には、この地方には二回日蝕があり、一つはBC610年9月30日、もう一つは、BC585年5月28日であったという。完全な皆既日食は後者でこの日を指すと思われる。デーイルズ(DK)によると、タレスはヘロトドスが丸1年間の幅をもたせいているので、この最古の報告から明らかなように、タレスは当時のギリシア天文学の状況からして、日食という事象についての確たる知識はもちえず、ただ経験的に見積もられた日食の発生確率表(おそらくカルダイア人のサロス周期の仕組みによったものであろう)を知っていたにすぎなかった。これよりタレスの盛年をBC585年とし、40年を引いてタレスの生年をBC625年された。次の資料も参照
 
資料2ディオゲネス・ラエルティオスDL1−37 DK11-A1
「アポロドロスは『年代記』の中で、タレスの生年を第39回オリンピック大会期の第1年(BC624年)においている。そして、彼は78歳であるいはソシクラテスによれば、90歳で 死んだ。というのも、彼は第58回オリンピック大会期の(BC548〜545のことだったからである。」
ディールズは「生年が第35回オリンピック大会期という写本もあるが、第39回が正しかろうとする、すると、タレスの生年はBC625年頃となり、つづく没年についての記述と符号する」また「タレスの生まれをBC625年頃とする伝承は、彼の日食の予言(ヘロトドス参照)BC585年を基準として、その40年前を機械的に当てたものにすぎないと考えられる」と述べている。このようにタレスに関する伝承は、かなり不正確

注、アポロドロス・・・BC2世紀の文献学者
注、ソシクラテス・・・BC2世紀頃らしい伝記作家
*タレスに関する最古の資料は、ヘロトドスによる。ヘロトドス(BC484頃〜BC430位後)
*タレスの数学以外の業績(プラトンまでは実務家であり学者タレスというイメージはない)

 
資料3ヘロトドス「歴史」(2ー20)
 幾人かのギリシア人は学のあるところを示そうと・・・その一つの説によれば、ナイルの水位を高めるのは季節風が原因であって、ナイルが海に流出するのを季節風が妨げるのであるという。                        
※、これはタレスの説であるとされている。ディオゲネス・ラエルティオスの報告「彼(タレス)はナイル川の氾濫は、反対方向から吹く季節風によって河の流れが押し戻されることによって起こる」(DL1ー37)参照
 
資料4ヘロトドス「歴史」(1−170)
 イオニアの敗北以前にミトレスのタレスの述べた意見もまた有益なものであるが・・・彼の意見というのは、イオニア人は単一の中央政府を設けて、イオニアの中央の当たるテオスにおく。
 
資料5ヘロトドス「歴史」(1ー75)
 タレスがクロイソスのために、軍の左手を流れていた河を右手にも流れるようにしたという。そのやり方というのは、陣地の上手から運河を堀り・・・しかし、私にとってはこの話しはとうてい信じられない。だいいち帰りにはどうして河を渡ったというのであろう。
*タレスとエジプトとのかかわりに関する資料。
 
資料6ディオゲネス・ラエルティオスDL1−37 DK11-A1
彼には、師たる人はいなかった。ただしエジプトに赴いて、その地の神官と交流した。(ディオゲネス・ラエルティオス)
 
資料7プルタルコス「ソロン伝」
タレスや数学者のヒッポラクラテスも貿易活動に携わり、またプラトンの旅行の費用はオリーブ油などをエジプトで売りさばくことによってまかなわれたといわれている。
 
資料8 ヨセフス「アピオン論駁」
さらにまた、ギリシア人の間で最初に天空や神的なものについての哲学的考察をおこなった者たち、例えばシュロスのペレキュデスや、ピュタゴラスやタレスなどが、エジプト人やカルデア人から学んで、ごくわずかな著作をしたにすぎないことは、万人が声をそろえて認めており、しかも、それらの著作がどれよりも古いものだとギリシア人は考えているが、実際に書いたものだとは信じられないのである
 
資料9アエティオス「学説史」
タレスはエジプトで哲学を学んだのち、晩年になってミトレスに赴いた
資料10 イアンブリコス「ピュタゴラス伝」
(タレスはピュタゴラスに対して)エジプトに渡り、メンピスやディオスポリスの人たち、分けても神官たちと付き合うよう勧めた。というのも、タレス自身が、彼らから手に入れた知識によってこそ多数の人びとの間で知者と目されているのだから。
 
※プラトン(BC427〜BC347)には、タレスについての報告はつぎの二箇所にある。
資料11プラトン「ティアトス」(174E)
 ちょうどそのひとりであるタレスが、テオドロス、あなたの前ではあるが、星度推考をして上方を眺めていた時に坑陥に落ちて、トラケ(トラキア)出のきいたふうなあるおどけ婢に「あなたさまは熱心に天のことを知ろうとなさいますが、ご自分の面前のことにはお気づきにならないのですね」とひやかされたという。

資料12プラトン「プロタゴスス」(343E)
 完全なる教育を身につけた人間にしてはじめて、可能なのだということを知っているからであります。これらの人々のなかには、ミレトスのタレスがあり・・・」
 
※いわゆる「七賢人」のことでありその最初にタレスの名前が挙げられている このように、プラトン、およびヘロトドスの報告つまり、アリストテレス以前の伝承から推測できることは、日食を予言した。河の流れを変えた土木技師。政治への関心。知恵のある者。というイメージが浮かんでくる。アリストテレスになると『自然学者』『万物の原理(アルケー)は水である』というように実用的、実務的から理論家へとタレス像が変化していく。それは以下の実情による
 ソクラテス以前の哲学者の伝承にかんして、その引用者たちの思想的立場がある制約を与えられており、そのうち最も大きな影響をあたえたのはアリストテレスである。アリストテレスは、ソクラテス以前の哲学者にかんして、ある程度信頼しうる、かなりまとまった量の情報を、私たちは他のだれよりもアリストテレスに負っている。タレスに関していえば、哲学史の冒頭を飾り、最初の哲学者だといわれるのは、アリストテレスがそうしたからである。ヘーゲルは「哲学史講義」で「アリストテレスの『形而上学』では、『この,哲学研究の草分けであったタレスは、万物の元のもの(原理)は水であると言った』これ以後、哲学史の本の初めにはタレスより始まる」と述べている。廣川洋一「ソクラテス以前の哲学者」によると「じっさい彼(アリストテレス)はその著作の冒頭で取り扱うべき問題について、学説史あるいは歴史的概観を行っている。わずかな断片だがつぎの著作がアリストテレスのものとして残っている。彼はかれ自身の研究のために備えた資料集であったとみられている。『ピュタゴラス派について』『アルキュタスの哲学について』『デモクリトス哲学について』。また、彼の弟子たちの著作としては、テオプラトスの『自然学者たちの学説』、エウデモスの『神学史』『数学史』天文学史』、メノンの『医学史』、アリストクセネスの『音楽論』などがある本質的な影響として、ソクラテス以前の哲学者にかんしては、アリストテレス流の解釈の枠組みがあてはめられている。」さらに、学説史については「学説史編纂の仕事を本格的に行ったのは、アリストテレスの弟子で学園リュケンの第二学頭になったテオプラトスであった。彼の『自然学者たちの学説』でありこれが標準的権威であったという。この後、その『抜粋集』がだされ、これが後の学説家たちに利用された」
 
資料13
アリストテレス全集には、タレスについての記述が全部で5回あるが、タレスと水を結びつけたのは、アリストテレスの推測、想像、創作である可能性もある、以下の資料を読むと(アンダーラインの箇所)、アリストテレスの手もとには確実な資料無かったようである。
@「形而上学」(983b20)
 「あの最初に哲学した人々のうち、質料の意味でのそれのみをすべての事物のもと(原理)であると考えた。・・・タレスは、あの知恵の愛求(哲学)の始祖であるが、「水」がそれであると言っている。(それゆえに大地も水の上にあると唱えた。)そして、彼がこの見解をいだくに至ったのは、おそらく、すべてのものの養分が水気のあるものであり、熱そのものさえもこれから生じまたこれによって生存しているのを見てであろう、しかるに、すべてのものがそれから生成するところのそれこそは、すべてのものの原理だから、というのであろう。たしかにこうした理由でこの見解をいだくに至ったのであろうが、さらにまた、すべてのものの種子は水気のある自然性(フィシス)をもち、そして水こそは水気のあるものにとってその自然の原理であるという理由からでもあろう。もっとも、或る人々の考えによると、今の時代よりも遙か以前の古い昔に、初めて神々のことを語った人々もこれと同じような見解を持っていた・・・しかししにかくタレスは、第一の原因についてあのように主張したものと言われている。
A「天体論」(294a29)
 「大地が水の上に横たわっていると主張するひとたちもいる。すなわち、この説はわれわれに伝わる最も古いものであって、ミトレス人のタレスのだと言われる
B「霊魂論」(405a19)
 「そして、タレスも、人々が記録していることから判断して・・・霊魂を何か動かすことのできるものと解したように見える。
C「霊魂論」(411a8)
 「しかしまた、ある人々は全体のうちに霊魂が混合されていると主張する。ここからおして、おそらくまたタレスも万物は神々にみちていると考えるにいたったのだろう。
D「政治学」(1259a18)
 「ミレトスのタレスの話しもそうである。これは・・・タレスの評判が高かったために彼に帰されているが・・・ということを示したという。・・ともかくタレスはこのような仕方で、自分の知恵を皆の前に示したと言われている。
 
※下線の部分から、アリストテレスは、間接的にタレスのことを述べている。 このことから推測できることは、アリストテレスはタレスに関して直接的には、ほとんど何も知ってはいないで、自分の説をおしつけているように思える,しかも、水原理説は、プラトンまでの資料には一切でてきていないのである。したがって、タレスの水原理説はかなり確実性がうすい。なお、アリストテレス以後の伝承は断定的(直接的)証言が多いことからも補強できる。(アリストテレスの影響より)
@シンプリキオス「・・・水が元のものであると語った」
        「タレスは、水がそうであるとした」
Aキケロ「・・・水が諸事物の元のものであり・・・と述べた」
Bガレノス「タレスは、万物が水から成ると言っているが」
Cアプレイウス「タレスは・・・自然本姓についてきわめて確固しとた探究を 行った人であり」
Dディオゲネス・ラエルティオス「万物の元のものは水である、というのが彼 (タレス) の根本的な立場であり」

戻る