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── 痴者は現に夢を見る ──  


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3/21(日)

◆今日はやたらと眠くって、昼過ぎまで布団の中にいました。まったく、何やってんでしょうか……。んー、しかしこうして日記を書くのも久しぶり。自分の思ってることを書くという、別段何でもないことが新鮮に感じられたりします。やっぱり自分のコンピュータ(のキーボード)はなじむなあ。うん、書きやすいというか書き心地いいです。

のらりくらりとすごしている間に、あっさり春分の日も過ぎてしまいました。一年を「夏側」と「冬側」に分けたとしたら、もう今日からは「夏側」なんですよ、これが。まあずいぶん乱暴で大ざっぱな分け方ではありますが。んー、信じられん。おかしいなぁ、この前まで1月だったんじゃなかったっけ? こう思ってしまうくらい時のたつのが早い。「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」というのは本当ですねぇ、トホ……。

◆久しぶりにこうして書いているのはまたしても引用したい文章にあたったから。というわけで早速。アルベルチーヌというのは語り手の恋人です。

ある年齢を越えると、われわれの少年時代の魂と、われわれが血を受けた肉親の亡き人たちの魂とが、われわれによみがえり、彼らのゆたかな富といまわしい呪いとを手いっぱいにわれわれに投げかけ、われわれがそのとき経験している新しい感情に加勢しにやってくる、われわれはそこにきざまれた彼らの古い肖像を消しさって、それらを新しい感情のなかに溶かしこみ、そこから一つの独自なものをつくりだす。そのようにして、私のもっとも古い年月にわたる私の全過去と、それをさらに越えた私の肉親たちの古い年月にわたる過去とが、アルベルチーヌへの私の不純な愛に、母への愛であると同時に子への愛でもあるようなある愛情のやさしさをまじえるのであった。われわれはある時期がくるとむかえなくてはならないのだ、われわれのまわりにはるかな遠方からやってきて集まるすべてのわれわれの肉親たちを。
ちくま文庫「失われた時を求めて8」p.131より

この「ある時期」とやらが来たことをここ数年よく感じます。ふとした拍子に、「ああ、やっぱり私はあの人(父であったり母であったり)の息子であるなぁ」、などと認めずにはいられないような事に少なからず出くわしているのです。それは不愉快でも不思議でもなく、妙に得心のいく感覚だったりします。

繰り返しと誤解を恐れず言えば、それは否応なく「つながっている」、あるいはある一連の「流れ」の一コマのような自分を見出すようで、このことについて考えていると、自分というもの、あるいは個や我といったものがこれまで思っていたほど確かなものではないのではないか、こんな風にさえ思えてしまいます。

言葉にならない状態で、いつものようにただ漠然とこの感覚を持っていた私は、今度の場合も、それをまたしても過去の作家(が発した言葉)のなかに見出したわけで、強く打たれたのでした、「やられた!」と。

んー、それにしても読書はよいですね、面白いですよ。

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