優雅な動き

 

ピアニストの演奏をテレビなどで見ていると、「しなやか」とか「柔軟な」という動きが見られますよね。ここでは、そんな動きを「優雅」としますけど、これ、実は「合理的」でもあるのです。理にかなっているわけです(でなければ、わざわざ苦労するためにやりませんよね)。

 

演奏で生活している方々も、それを目指している私たちも同じ人間です。これまで、「才能は本能であることを成し遂げる能力」ということを言ってきましたが、知識として技術を身につけ、どのようなときにどの技術を使うかの判断力を持ち「どうすればよりきれいな演奏ができるだろう」と考え続けることができれば、コンサートピアニストになれると私は信じています(必要なのは「常に上を目指し続ける態度とそこに合理的に到達するための技術と知識」だと思います)。

 

演奏をする際には「俺は努力してこんなに難しい曲も弾けるようになったんだぜ」と努力の跡が見えるのは望ましくありません。音楽には難易度をはるかに超えた美しさがあります。聞いた方が「難しそうな曲ね、私には一生無理だわ」と思うのではなく「きれいな曲ね、私もいつかこんな曲を弾いてみたいわ」と思ってもらえるような演奏を目指すべきです。そして、普段の練習でそれに近い演奏ができるように心がけることが目標であるべきなんです。

 

と、抽象的なことを言ってきましたが、具体的に私が意図していることは次のことです。

 

苦労しないで演奏しているような錯覚をさせるようにする。肉体的な痛みが生じないように弾く方法を研究するのはもちろんですが、最低限、自分が出す音が気持ちいいかどうか常に考えながら演奏します。肉体的に辛くならないように指だけでなく、腕や手全体、体のほかの部分を使うのですが、それがあまりに出過ぎると「ああ、苦労してるのね」という印象を与えますし、やりすぎると音楽の流れを妨げることにもなります。そこで、「優雅」かどうかが大切になってきます。

 

ピアノの練習は筋肉トレーニングとは違い、負荷をかけて筋肉を発達させることが目的ではありません。作曲家が書き表した音楽をできるだけきれいに聞こえるような方法を吟味し自分のものにして、それを自由自在に操ることです。どういう音がきれいか、その音を出すにはどうすればいいのかと考えることなんです。がむしゃらに時間をかけ、実験することも一つの方法ですし、もしかしたらいい演奏を聴くことかもその方法の一つかもしれません。

 

私も、「苦労しないで弾いている」ような印象を与えるために、努力を続けていくことにします。