歌うように弾く

 

歌うように弾くことを指示された方は多いのではないでしょうか?楽語ではCantabile(カンタビーレ)という指示がそれに当たりますが、私自身も学部でのピアノのレッスン中によく教授に言われたものです。あるサイトでは、自分の弾いている曲を頭の中で聞きながら弾くといいというアドバイスがありました(どこのサイトかは失念しました、ごめんなさい)。私の場合、自分の歌声があまり好きでないので、頭の中で響く音楽というのも新曲視唱っぽくなってしまって、あまりうまくいきませんでした。ところが、です。ある経験を経てから、急に「歌う」ということがわかってきました。ここでは、そんな経験をご紹介したいと思います。

 

その前に、「歌う」ということに関する私の考えを述べさせてください。「歌う」というのは具体的にどういうことなのでしょう?私は「歌う」というのは声によってなされる行為だと理解しています。声は楽器と違って、指使いなどで発する音の高さを変えるものではありません。打楽器には出せない音の高さ(20世紀以降の音楽で言うところの4半音と呼ばれるもの)が出ますし、ある音から別の音までスライドをしたりすることもできます。ピアノの場合、演奏する人の呼吸が音楽の流れそのものに大きな影響を与えずに演奏することが可能であることに対して、声の場合は歌う人の息遣いがそのまま音楽の息遣いになることもあるわけです(そのため、声楽のレッスンでは楽曲のどこで呼吸するかということも重要になってきます)。すなわち、「歌う」という行為は記譜されたものをそのまま演奏する以外のことが含まれるわけです。「歌う」という行為を行うのが機械でない人間だから出てくる「不正確さ」をいかにピアノを演奏する上で移植できるかということで歌うように弾くことができるわけです。

 

      歌の場合、呼吸をする間どうしてもある程度の空白の時間が生じます。

      音程がかなり離れていたり、変わった音程(全三音や増○度や減○度)を歌うときには正しい音符にたどり着くためにも多少記譜された音符よりも長めに保持します。

 

この他にもいろいろあると思いますが、今思いついたのは上の二つでした(もちろん、強弱で表現する場合もあるでしょうけれども、ピアノは打楽器であるため、声楽と同じように強弱を変えることが困難な場合があります)。

 

学部でのレッスンでは教授が「歌うように弾くため」いろいろ楽譜に書き込まれたものですが、理由がわからなかったため、「なんでこの部分をゆっくり弾くんだろう」などと疑問に思っていたものです。教授に聞いても「そのうちわかるよ」「俺もわからなかったけど、だんだんわかるようになったんだよ」などと明確な答えは返ってきませんでした。残念ながらいつまでも大学生をやっているわけにはいかないので、この答えは困ります。いつかは独り立ちする予定でしたから。

 

「これからも曲を仕上げるためにはレッスンに通わなければいけないのかな、痛い出費だな」などと悩んでいました。「どうやったら自分でもそのセンスを養うことができるんだろう?」と思って悶々と過ごしていたある日、その瞬間は来ました(って、オーバーな)。当時、声楽とバイオリンやビオラの学生のレッスンで伴奏していたのですが、リハーサル中のことです。「ねえねえ、この小節のこの部分もう少しゆっくり弾いた方がよくなくない?」とか「ここからアッチェルラウンドするのはどう?」などという提案が頭の中に浮かんできたのです(声楽のレッスンでは、教授の「この部分はもっとゆっくりしてね」と注文を受けるばかりだったのですが)。いきなり「歌う」ということがわかってきてしまったのです(いいことですが)。

 

私は器楽曲の伴奏をする前には機会があればその曲の録音を聞くようにしているのですが(声楽の場合は、数が多いので譜読みだけで済ませることが多いです)、これがよかったようです。図書館で楽譜を見ながら聴いたわけなんですが、そもそもバイオリンやビオラは楽器の中でも人間の声に近い音を出しやすいのですが(バイオリンで人間が話しているように弾くこともありますよね)、協奏曲のレコードやソナタの(あるいは小品でも)定評のある録音をある程度の数聞いたことによって、このセンスが身に付いたのです。このときに、録音をテープやCDに録音して練習室にこもって聞きながら一緒に練習したので定着率もよかったようです。

 

というわけで、「歌う」ように弾く経験があまりない方には、バイオリンやビオラの録音(できればピアノ伴奏が付いていて、有名なバイオリニストが演奏したものが望ましいです)を、楽譜を見ながらお聞きすることをお勧めします。