|
|
1.雨森光太郎氏 雨森良彦氏(元日赤産婦人科部長)のご祖父に当たられる光太郎氏は 美濃成瀬家のご出身でありますが、尾張徳川家の青松葉事件の余波を受け られ、将来が危ぶばれたとき、犬山城の御典医雨森良意がその才を惜しみ、 養子とされた。 光太郎氏は京都府立医科大学を卒業、医師として満州に渡り医療界で大活 躍されました。そのご長男敏彦氏に東京都八王子市のご自宅で雨森良棟遺 書ほかに関して面談しました。(昭和41年)其のとき同氏は{自分は京都無 二膏の出身だが、犬山の成瀬家に連なつているのでそちらの方に関心があ る}と申されました。 どの方も色々の姓に関係があり、其の中で、一番自分にとつて価値のある方 に傾くのは普通であります。しかし自分の名乗っている姓は借り物であると の思いがあるとすれば、可能であれば、元の姓に戻したほうが良いのでは と思いました。
2.雨森信成氏 第四回一門会サミット・スピーカー広光氏の伯父にあたられます。 広光氏のご尊母、慶子様(第一回一門会に、義姉、ご長女の3人でご出席) と東京都高田馬場のご自宅で面談いたしましたとき(昭和41年)義母のも と、夫信成氏のお話がありました。同氏は事情があり まして離縁されました 後も、雨森姓を保持されました。小泉八雲のゴースト・ライターとして、判明 した欧米にも知名度の高い,超一流の英文家であり、実業家でありました。 なお、慶子様のご主人は旧農林省OB、参議院議員であつた故雨森常夫氏 であります。
3.雨森菊太郎氏 同氏は蝶夢居士とも言われ、京都の政、財、教育界等に貢献された著名な 方であります。京都日出新聞(後の、京都新聞)社長、衆議 員議員等を歴 任されました。三歳で雨森善四朗氏の養子になられ、子女のなかったところ から、明治29年民雄氏を迎えて、嗣とされました。そのご長男が雨森和雄氏 であります。和雄氏は旧自治省OBで大阪府警本部長、皇宮警察長官等を 歴任され、第一回一門会にご夫妻で出席されました。 {雨森氏略記}の発信者、京師 雨森善四郎が同氏の御祖先であるところか ら、コピーをご送付致しましたところ、貴重な史料を頂いたと、お礼がありまし た。 因みに、受信者 雨森源衛門は私方の縁者で、本書は私方にあります。
|