|
|
邸宅、建物は老朽して取り壊されていますが、旧庭内に現存しています。
(表) 千早振る天神地祇其の治め所を定めたまひ空蝉の人の代になりて諸神所所に分れませども各王長地久国家無事五穀豊穣万民安楽のちかいは一つにこそ有りけれされば神は人を守り給ひ人は神を敬ふべしそもそも江北冨永の庄雨森の社は久寿の昔雨やどりの由緒ありて鎮座したまいしより其の土守護の霊祠なり其の威を近き辺に かし其の徳を騰を遠き境にしきたまふ に貞英の祖は則此の神の末にして今に雨森を氏とす神護によりて久しく家栄るをかしこみ本家良久にはかりて今度石 文をたて神徳をあらはさんと予に其銘を需むつらつら其所伝をかん考るに正慶の昔後三条内大臣此の家に寓居当社擁護に依て帰洛したまひぬ代代をかさねし末葉に神恩を仰ぎいささか其の由を註し古記によりて一首を詠めるになん 重れる下葉は雨のもりこねど神のみめぐみに神濡しけり 権中納言藤実愛 (裏) 阿賀遠津祖神久寿乃昔此所爾鎮座 与理以来七 百年爾近久成奴礼婆本津家乃良久伊勢国在流昭正 等爾事 国国爾別在流雨森氏爾母言傳都都神霊 乎祭奉止須留因美爾正親町三条殿爾母古乃所縁乎 尋上奉都流爾其御家乃御記録爾毛違波受止 給御文 爾御歌添立賜理奴故如此碑爾彫 建流爾奈母在計留 末代乃徴登裳勢降雨廼森能雫乃己輩 藤原貞英
黒田雨森邸内石碑文の読み方 (表) ちはやぶるてんしんちぎ そのおさめたもうところおさだめたまひ うつぜみのひとのだいに なりて しょしんしょしょにわかれませども かくおおながくちひさし こくかぶじごこくほうぎょう ばんみんあんらくのちかひはひとつにこそありけれ さればかみはひとをまもりたまひひとは かみをうやむべし そもそもこうほくとみながのしょうあめのもりのやしろは くじゅのむかしあまやどりの ゆかりありてちんざしたまひしより そのどしゅごのれいしなり そのいをちかき へにかがやかしそのとくをとおききょうに しきたもふ ここにさだひでのそはすなわちこのかみの すえにして いまにあめもりをうじとす しんごによりてひさしくいえさかえるをかしこみ ほんけよしひさにはかりて このたびいしぶみをたてしんとくをあらはさんと よに そのめいをもとむ つらつらそのしょでんをかんがえるに しょうけいにむかし ごさんじょうないだいだいじん このいえにぐうきょ とうしゃようごによりてきらくしたまひぬ よよをかさねしまつように しんおんをあおぎ いささかそのよしをしるしこきによりて いちしゅうをよめるになむ かさなれるしたばは あめのもりこねど かみのみめぐみ かみぬらしけり ごんちゅうなごん ふじ さねえなる
(裏) あがとうつみおやのかみ くじゅのむかしこのところにちんざましましてよりいらい なな ひゃくねんいちかくなりぬれば もとつやのよしひさ いせのくににあるあきまさ らにことはかりて くにぐににわかれあるあめもりうじにもことずて つつ かみみたま を まつりたてまつるとする ちなみに おおぎまちさんじょうどのにもいにしえのしょえんを たずねあげたてまつるに そのおんいえのごきろくにもたがわずと おおせたまひて おんかみ に おんうたそえたたまわりぬ ゆえにかくのごとくひにほりて たてるになむありける すえつよのしるしともせよ ふるあめのもりのしずくの おのがともがら ふじわらのさだひで
 
|