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雨森清修氏は第4回一門会でサミツト、スピーカーになられた清矩氏のご尊父であります。清修氏が同門の方方の動静をご尊父のご研究を引き継がれおこなっておられた様であります。其の方との出会いが現在の一門会の姿に連らなっていると思います。 それは私が大阪府高槻市に居住して雨森姓の方に関心を持ち始め、各地の雨森氏とお会いしていた頃であります。昭和50年高槻市在住で雨森姓の方にお電話しましたところ、父(大阪府堺市在)が雨森一門の方に非常に関心を持っているとのことでした。それでご面談をお願いしますと、拙宅までお連れ下さいました。 わが家で、早速系図合わせを致しましたところ、全く同一に近く私方の祖先菊若と清修氏のご祖先良定氏が兄弟であることが分かり、奇遇に大変驚かれまた喜ばれたのが、非常に印象に残っております。 これが機縁となりまして、雨森同家名前(嘉永六丑年改)を下さったうえ、後日雨森本家の春良氏(当時、彦根市在住)をご紹介くださいました。 春良氏のお話では、雨森氏のご三家とは春良氏(雨森)只英氏(黒田)清修氏(渡岸寺)であり、三家は同規模の邸宅を構えておられたとか。清修氏の御祖先、清広氏の松江藩ご出仕にともない渡岸寺の居宅は処分されたとか。 この様に、清修氏との出会いが私の一門会開催運動の幅を広めることとなり、秀樹氏、正良氏におよび掛けしたことにより、彦根市春良氏宅で只英氏、清修氏、恒を合わせ六者会議(昭和51年7月14日)が実現しました。これにより元祖雨森三左衛門良治等の墓整備が実現(昭和52年4月)しました。これが第一回雨森一門会実施(昭和59年11月3日)の誘因の一つとなりました。
 元祖墓碑整備記念(昭和52年4月) 人物 左より 恒、春良夫人、清修氏、正良夫人
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