苗字について
教科書には「被支配者階級は苗字を持っていなかった」とありますが、近年は「大部分の庶民は苗字を持っていた」という説が有力です。
苗字の由来は85%がその住んでいた地名から名づけたものです、他にも官職(大蔵、采女、服部など)などもあります
古代には氏や姓というものがありましたが、こちらは割愛します
昔は人が少なかったため名前だけでよかったですが人口が増えるとそうも言えなくなってきます、ということで○○村の太郎さんや△△村の次郎さんという風な感じで苗字が出来てきました、ですから鎌倉時代とかの武士では親、息子、兄弟で全て苗字が違うことがあります、(というより殆どが違います)
(例) 藤原氏 閑院冬嗣ー一条良房ー堀川基経ー小一条忠平ー九条師輔
これはなぜかというと子供たちの住む場所がどんどん変わっていくからです(兄弟でも)
それが室町時代頃からだんだん苗字の固定化が進んできました(場所が変わっても同じ苗字を使い続ける)
室町時代では庶民も苗字を持っていたそうです
江戸時代は「名字帯刀」を武士階級の特権としたため庶民は苗字を公称できなくなりました。
が、私的には苗字を持ち続けた地域もあるようです。逆に捨てた地方もあるようです。
江戸時代の苗字所有は3パターンに分類できます。
1 苗字を持っており、公称できた
2 苗字を持っていたが、公称できなかった
3 苗字を持っていなかった
更に、250年の歴史の中で大きく分けて3段階あります。
初期はあやふや
→幕府体制がまだ固まっていなかったためみんな適当に名乗っていた
中期〜後期はきびしく
→幕府体制が固まり身分制度も明確→苗字帯刀は非常に意味がある
末期は金次第
→黒船来航で国の存続が危ぶまれる→融資をつのる→その代わり苗字帯刀乱発→ありがたみがない
末期は「武士株」を金で売買することもあったので「身分」というもの事態があやふやになった。
金で武士株を買ったり、献金で名字帯刀を許されたりしたものもいるようです。
まずは[苗字を持っていたが公称できた&出来なかった]をみてみましょう
庶民が苗字の公称を禁じられていたのは享和元年(1801)7月の苗字帯刀の禁令から明治3年(1870)9月の平民苗字許可令までの69年間だとも言われています。
禁令中も私称はしていたし、例外的に公称を許された庶民もいます。
また、殆どの庶民は禁令以前から代々使ってきた苗字(約85%は地名に由来)を明治以降もそのまま名乗ったのでしょう。
国民が姓を名乗ることを義務づけられるのは明治8年。
明治4年段階では。平民も姓を名乗ることが許されたに過ぎない。
したがって名乗っていない者も存在した。むしろ課税・徴兵への警戒から名乗らない者の方が多かったという説もあります
天正14年(1586)に書かれた書物には苗字らしきものが載っています
(全ての庶民が苗字を名乗っている)
禁令中は賞民の苗字の公称は原則禁止されたが、私称はごく普通に行われていた。
[私称とは村祭りの寄進書]など
苗字帯刀が許された場合と、苗字を私称する場合の違いは、
苗字が許された場合は、苗字のほかに姓も持つこと。
つまり苗字を許された場合は、苗字のほかに、源平藤橘その他の姓、氏が与えられる。
私称の場合は、姓はない。
江戸時代(中期〜後期)に苗字を公称できたということはある程度の地位(支配者階級)と思われます
そして公称できた人間は苗字以外にも姓というものがありました
例)
足利 左馬頭 源 朝臣 直義
苗字 職名 氏 姓 諱
この場合足利直義が名前だと思いますが、源という氏をもっていました
ということで
われわれの先祖もかなりの確率で苗字は持っていたが公称できず、私称していたという可能性が非常に高いと考えます。
全村民が同じ苗字(地名由来、支配者由来等)、庄屋さんにつけてもらった、地域の僧侶や神主がつけてくれた、という明治時代のエピソードもありますが(明治新姓)、それは非常に稀なケースであったと考えます。「今日から明治になりました、皆さん苗字を付けて下さい」と言われて苗字がバンバン出てくるでしょうか?
明治時代に至るまで本当に皆が苗字を持っていなければ、日本中至る所で一村丸々同じ苗字だらけの村ばかりになるのではないでしょうか。しかしそういう例は少なく、村が同姓で占められているという方が特殊なケースなのではないでしょうか。また特殊な苗字の人に今まで一体何人会ったことがあるでしょうか?そのほうが稀です
私の先祖の話を例に実証してみましょう。
・ 私の高祖父(姓は「田中」)は江戸の末期(嘉永1848〜1853)にA村からB村へ移動した。
・ 現在もA村に高祖父の出生家があり、苗字は「田中」
・ A村(生家)とB村は30キロ離れている
以上まで調査で判明したこと
江戸時代に苗字がなかった場合の矛盾
・ 苗字を持ってなかったので、明治時代に適当に「田中」と名乗った。
ことになります。しかし、現在もA村に高祖父の出生家があり、苗字は「田中」…これと矛盾してきます。
となれば、明治になって両家が示し合わせて「田中を名乗ろう」となっていれば、解決します。
しかし、分家で隣に住んでいるならいざ知らず、車も無い時代に30キロも離れた両家が示し合わせるでしょうか。
武士のように家督や家名を重んずるのであればその手間も理解できますが(まあ武士には苗字がありますが)、単なる農民が、しかも跡継ぎでない家とわざわざ連絡を取る必要性は乏しいでしょう。
さらに、「曾祖父は高祖父の実家が分からなかった」と聞いています。要するに自分の父親の実家が分からないということです。という事は両家の関係は希薄で、示し合わせる可能性は低いと想像できます。
江戸時代に苗字が存在していないなら、偶然両家が「田中」と名乗る確率はかなり低いと考えます。
このことから、昔から苗字はもっており、ただ公称できなかったのを明治になって公称したと推測します。
ただ本当に苗字が無いとか先祖伝来の苗字を忘れてしまったというケースもありそれが明治新姓で新しく名前をつけたということになるのではないでしょうか?
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