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『行ってきました!』 そういう名前のお土産がありました。 このページは、お土産を食べてはいただけませんが、“チョット出掛けてきました”−ご紹介いたします− のコーナーです。 お楽しみください !

-リメイク版-
神戸・厳島神社物語(上)    
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 広島県「安芸の宮島」、朱の鳥居が海上に浮かび、同じ朱を基調にした能舞台が海の上に荘厳に広がる。春の新緑、秋の紅葉と、周囲の自然豊かな景観と海を従え、人々の感銘を一心に集める。
 社の名前は「厳島神社」。潮の満ち引きに身をゆだね、悠久の昔から人々が神を敬う心の原点ともなっている。その美しさは、今「日本三景」のひとつといわれ、その優美な姿は、おとぎ噺に出てくる竜宮城が海上に出現した風情をかもす。

 だれもが知る名高い「厳島神社」−この名前を持つ神社が、安芸の宮島から東方数百キロ離れた神戸の地にある。どうして「厳島神社」が神戸に存在するのか。

安芸の宮島
 (広島県)
 「厳島神社」は推古元年(593年)創建。現在の姿は仁安3年(1168年)平清盛により社殿造営、納経がされる。ご祭神は通称「宗像三女神」といわれる「田心姫命」「瑞津姫命」「一杵島姫命」。航海安全の海神系の代表的な神様。平成8年には「世界文化遺産」に登録されている。
 しかも、この名前がつく神社が、神戸市内の中央区と兵庫区に。早速、中央区「厳島神社」から訪ねた。

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花隈「厳島神社」  住 所:神戸市中央区花隈町6-5
 
ご祭神:市杵島姫命(弁天さん)
      大物主命(金比羅さん)
 JR元町駅から高架沿いに西へ数百メートル行くと「花隈駐車場」(花隈城跡)が見える。そこから東西の筋を二つ北へ数えると、ビジネスビルや高層マンションが迫る細い道の一角に、花隈「厳島神社」の朱の鳥居が構えを見せる。入口右に「厳島神社」と刻まれた石碑が大きく誇っている。鳥居をくぐると奥行きは歩いて数十歩、小ぶりの拝殿が歴史を感じさせる色あいで姿を見せた。
 
 社の成り立ちは、承安年間(1171〜1175年)平清盛が兵庫の地に経ケ島(現在の兵庫港)を築造するにあたり、港の発展と住民の安泰を祈願するため、安芸国厳島神社をこの地に勧請したのが由来とされる。
 また通称この社を「浜の弁天」というが、これは一時期、六甲山から神戸港に注ぐ宇治川の浜辺に祀られていたところからきている。明治時代に海岸工事が行われた際、今の場所へ移された。現在、元の地を「弁天町」と呼び地名としてその名を残している。
 数十年前の花隈界わいは料亭が軒を連ね、そのため芸子さんの参拝も多かったという。
この社のご利益は航海安全、芸能向上とされる。

 次に訪れたのは兵庫区の「厳島神社」。 
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兵庫「厳島神社」  住 所:神戸市兵庫区永沢町4-4-21
  ◇ご祭神:市杵島姫命      

かって神戸の繁華街といえば“新開地”が通説であった。現在この地域は北部ニュータウンからの交通接続エリアとしてその役割を担っている。
 この新開地に近接するのが兵庫「厳島神社」。神鉄会館の南西に位置し、山手幹線から少し南に入り込んだ場所のため目立ちにくいが、目の当たりにすると広い敷地に朱の鳥居が大きく輝いている。

 この社のご祭神は「市杵島姫命」。兵庫津築港に尽力した平清盛が、安芸国厳島神社からご祭神を勧請したのが創建のはじめ。800年余の年月を経る。
 境内に針塚、淡島神社、胞衣塚などがある。針塚では2月8日、盛大な針供養の神事が行われる。淡島さまは医薬の道をはじめられた祖神で、病気の治癒を祈るとご神徳あらたかといわれる。
 境内に足を踏み入れるとそこは広く、端正な拝殿がまぶしく輝く。前庭は箒目がただしく清清しい。ここを俗に「兵庫弁天」または「外弁天」と呼び親しまれている。
 ご利益は、招福、海陸交通安全、芸能学業。

 

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 神戸と「厳島神社」、この結びつきに登場するのが都を兵庫・福原の地に移した(いわゆる「福原遷都」)平清盛。ではなぜ清盛はこの地に厳島神社をおいたのか。
 その理由は、清盛は福原遷都以前からこの兵庫津を基幹に外国との交易を通じ、日本経済の基盤強化に取り組んでいた。そのため兵庫に築島を築き、大和田ノ泊の修築事業をおおいに進めた。
 こういった時期、清盛は工事の安全、そしてこの地に住む人々の安泰を願い、平家一族の氏神である安芸ノ国厳島明神を勧請する。この時、宮島の七浦にちなみ兵庫の七ヶ所にその社を建て七弁天として祀った。ちなみにこの「兵庫七弁天」とは、花隈弁天(花隈厳島神社)、佐比江弁天、夢野弁天、西宮内弁天、真野弁天、外弁天(兵庫厳島神社)。従って、この七社のうち「厳島神社」と称するのが上記二社となる。余談だが、港を造った清盛は、多くの人がこの地に長く“イツク”(定着する)よう厳島神社を建てたともいわれている。また現在「兵庫七弁天めぐり」とコースが設定され、巡拝する人も多い。

 神戸に「厳島神社」。これで意味合いが判明したようだ。やはり兵庫の地に縁が深い源平時代の一方の雄「平清盛」がキーポイントになっていた。昔に思いをはせながら、現代の「厳島神社」に歩を運び当時をしのぶのもいいのではないか。

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 さて、二つの「厳島神社」の調べを進めるうちに、この名前を持つ神社が神戸市内にさらに存在することが判明。
 次回は、市内各区に点在するこれら「厳島神社」をさらに訪ねます。おたのしみに!


〔訪問時期−2006年10〜12月(remake09年11月)〕
      −参考資料−
「神戸の神社」          兵庫県神社庁神戸市支部・編著
「神戸の史跡」          神戸市教育委員会編
「神戸の伝説」          田辺眞人 著
「神戸歴史トリップ」       神戸市中央区役所編
「日本の歴史」          中央公論社

※リメイク版=別サイトに掲載していた当方ページを、一部編集し本サイトに紹介しました

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