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| (No18) | ||
| 『行ってきました!』 そういう名前のお土産がありました。 このページは、お土産を食べてはいただきませんが、“チョットでかけてきました” −ご紹介いたします− のコーナーです。 お気軽にご覧にいただき、お楽しみください。 |
| 新春特集 | |
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メ モ: ◇「兵庫大仏」在地:神戸市兵庫区北逆瀬川町 ◇「日本三大仏」に数えられる |
お正月は大きな話がいいということで、これをキーワードで昨年に続き今年は巨大な仏像「兵庫大仏」を紹介します。(参考:昨年1月は「神戸ウイングスタジアム」を紹介) 所在地は神戸市兵庫区、JR兵庫駅から南東に徒歩20分ほどのところ。住宅と商業エリアが混在する地区に、こつ然と巨大な大仏様が姿を現す。 大きさは高さ11メートル、重量60トンの超ジャンボサイズ、青銅製である。ちなみに日本三大大仏とは「奈良の大仏」「鎌倉の大仏」「富山・長岡大仏」である。しかし、戦前はこの「兵庫大仏」と奈良、鎌倉で三大大仏と称された。参考までその大きさは奈良大仏−高さ15メートル、重量252トン、鎌倉大仏−高さ11.3メートル、重量121トン。「兵庫大仏」も遜色はない。 |
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| る。初代の大仏さまの写真と見比べると、より柔和でふくよかな感じを受ける. この「能福寺」の境内には、遺跡、記念碑が多くあり、身近な歴史博物館と思われるほど。列挙し簡単に説明を記すと、次のようになる。 ◆本堂‥‥京都東山の月輪御陵にあった拝殿「月輪影殿」を昭和28年に宮内庁と九条家より拝領し移築したもので、歴代天皇が参拝した由緒ある建物とされる。国の重要文化財「木造十一面観音像」もある。 ◆英文石碑‥ジョセフ・ヒコ(浜田彦造−1837年兵庫県加古郡に生る)は、13才の時、乗船していた船が暴風にあい米国にたどり着く。日本の「新聞の父」といわれ、リンカーン大統領と握手した唯一の日本 |
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| 「能福寺」入り口から望む大仏様 | ||
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人。下田港で開国を迫ったペリー提督の通訳を務めた。神戸に来た外国人が有名な兵庫大仏へ多数訪れるところから、明治25年頃、当時の住職がジョセフ・ヒコに依頼してお寺の縁起を英文にしたもの。わが国初の英文石碑といわれる。 ◆豪商・北風正造碑‥北風家は歴代兵庫津の諸荷物問屋を営む豪商として知られている。幕末から明治にかけて引き継いだの |
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| 初代の大仏様 |
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が正造。幕末は勤皇の志士に肩入れ、明治にはいると商法司判事、商法会所副頭取などに就任。幅広い活動に身を置く。しかし、明治28年没と共に北風家は絶家する。 ◆平清盛墓所‥平清盛が亡くなった1181年、遺言によりこの寺の初代住職がその遺骨を京都より持ち帰った。能福寺の日誌に遺骨は法華堂に収められたとある。「大和田の泊」改築事業に取り組んだ平清盛、この地への愛着が強かったのであろう。 ◆滝善三郎正信慰霊碑‥慶応4年(1868年)1月、現在の神戸大丸付近で備前藩士の行列を横切った外国人を傷つけたのが発端となり、「神戸事件」として国際問題になった。藩では滝善三郎正信を責任者として同年2月、永福寺で切腹させ事件の解決を図った |
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