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| (No20) | ||
| 『行ってきました!』 そういう名前のお土産がありました。 このページは、お土産を食べてはいただきませんが、“チョットでかけてきました” −ご紹介いたします− のコーナーです。 お気軽にご覧にいただき、お楽しみください。 |
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メ モ: ◇所在地 : 九州・熊本にあり「天草5橋」「ハイヤ節」などが有名 ◇「キリシタン」とは英語のクリスチャンに当たるポルトガル語 |
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熊本・天草は大きく上島、下島と二つに分かれ自然豊かで、西岸を東シナ海に面し夕日100選にも上位に入るという美しい島である。 天草が外国文化、とりわけ宗教におけるカトリック教と出会ったのは、長崎と同じく、日本のどこより早くかつ濃密にかかわった所といえる。豊臣秀吉から徳川江戸時代が終わるまで、苦難の道を歩みながら、この地はキリシタン(カトリック教)の文化と風土を培って来た。 |
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| 崎津教会 |
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込んできた。 |
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加えて1634年九州西部一帯が凶作に襲われ、これが3年間も続くという最悪の事態に見舞われ餓死者も出るほどであった。こんな中でも領主の徴税の厳しさは弛まず、ついに長崎島原・天草地方に圧制に対する反乱が巻き起こった。「天草、島原の乱」である。 時が流れて徳川幕府が大政奉還を行い、時代は明治に移って6年後、キリスト教解禁が決定された。苦難の時代に幕が閉じられ、こころ穏やかに信ずる道に身 |
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| 大江教会 | ||
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をおくことが出来るようになった。 |
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| 教会の脇で‥「スノーフレーク」 | 天草四郎像 | ||
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また、明治40年の初めにこの地を訪れた北原白秋、与謝野鉄幹ら5人の詩人達が、紀行文「5足の靴」を発表。天草の名を全国に高めた。 |
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(注)昔は、教会は天主堂と呼ばれており、当時の名残で今でも特にカトリック系教会をそのように表現することがある。九州の初期教会にはその傾向が強いという。 |
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![]() −参考文献− 「キリシタンの島・天草」 片岡弥吉著 (行った時期 平成16年3月) |
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