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古代 |
大昔の飯詰 縄文時代前期〜 |
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馬神山や摩の岳(坪毛山)のふもとで狩りや木の実をとり、タテ穴式住居に住む |
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平安時代 |
玄武砦(高楯城の前の名)築城 |
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玄武というのは北方を守る神で、砦のある飯塚盛りは古墳だと言われる |
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室町時代 |
飯積の地名 |
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大昔は「泉」といわれた。アイヌ語で景色のいい所を言う意味。 |
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泉→飯積→飯詰となる。 岩村→岩崎 |
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安土桃山時代 |
高楯城落城 |
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1588年 |
250年間続いたが大浦為信(後の津軽為信)との戦いに敗れ落城した。 |
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江戸時代 |
神社・寺院を建てる |
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建てられた年代がはっきりしていないものが多い。村史によると1652年白旗八幡宮建立とあるのが一番古い |
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江戸時代 |
代官所・大場(市場)できる |
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1664年 |
近隣では一番栄えていた飯積に御代官役所は設けられる。市場は弘前、黒石、飯積、板柳、浅虫の5ヶ所 |
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江戸時代 |
天明の大飢饉 |
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1782年〜 |
何年も冷害が続いた。飯詰でも残った家は5,6軒しかなかったという |
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明治時代 |
飯詰小学校創立 |
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1875年 |
それまで寺子屋だったが、国に役立つ国民を育てるため新しい制度ができた。 最初の校舎は八幡宮と先生(松野伝)の家だった。 |
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明治17年 |
役場、駐在所、郵便局できる |
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1884年 |
明治20年駐在所、明治22年飯詰役場、明治40年郵便局開設 |
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大正13年 |
飯詰浄水場完成 |
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1924年 |
券かで二番目にできた五所川原初の施設。市民の大切な水源となる |
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昭和5年 |
津軽鉄道開通 |
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それまでは営林署の森林鉄道を利用したりしていた。津軽鉄道の開通は沿線住民に喜ばれお祭り騒ぎであった。 |
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昭和22年 |
飯詰中学校創立 |
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1947年 |
戦後新しい日本国憲法が公布になり学校教育法、教育基本法は示され、申請中学校が開校された。 |
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昭和29年 |
飯詰、五所川原市となる |
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1554年 |
飯詰村など1町6か村が合併して五所川原市ができた。 |
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昭和48年 |
飯詰ダム竣工と不動公園 |
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1973年 |
五所川原市上水道給水とかんがいの多目的ダム。周辺は不動公園になっている。」 |
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昭和年51年 |
高楯城資料館「あすなろの家」できる |
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昭和42年「高楯城址史蹟保存会」が結成され高楯城を再現し、史蹟として後世にまで語り伝えたいという願いがかなった。 |