神鍼前序
 中国の鍼灸は日本の鍼灸と大きく異なるものである。
 それは基本的に大きいところでは国家的インフラの研究機関の整備状況の違いや厚生省関係の予算編成の違いということになるのだが、小さいところでは整体観念であったり辨証論治であったりするわけだがやはり中国鍼灸と日本の古典鍼灸との最も大きな違いは、日本では経典(内経、難経)のみを重視する刺法が多く見られるが中国ではこの二つの著作よりももっと後の金、元、宋、明の時代の鍼灸著作をも大切にしているということがあげられる。その中心部分は鍼灸の歌賦(かふ・歌訣のこと)というものであり、これを中国の臨床では非常に重要視する。日本の鍼灸家は内経、難経とくれば、なぜかその次に薬の傷寒論を勉強する人が多いが、薬を使えるならともかく、鍼灸家が薬の本をなぜそれほど勉強するのか摩訶不思議である。
 さてこの鍼灸歌賦(かふ)とはいったい何であるのか?実はあなたはこれを知ることによって中国のすばらしい鍼灸の悠久の歴史にふれる事となるであろう。それは明の初代皇帝の洪武帝(朱元璋)の十六人目の皇太子、寧献王ねいけんおう、朱権しゅけんの作とされる「四聡穴歌」や、モンゴル帝国の「元」王朝のフビライカーン皇帝の国務長官クラスの要人であった竇漢卿とうかんきょうの「標幽賦ひょうゆうふ」や「流注指要賦るちゅうしびふ」である。これを読み進むにつれ言語を絶する古代鍼灸名医の治療方法が明らかになるだけでなく不肖著者の今村隆神鍼の治療経験も参考とすることができる。
 鍼灸歌賦とは簡単にいうならそれは鍼灸師なら一度は聞いたことのある、要するに詩の五言絶句、歌のようなもので四総穴歌(朱権)では「肚腹ハ三里ニ留メ」とか「腰背ハ委中ニ求ム」等の歌のことである。
 これを鍼灸系では歌賦(かふ)とよび、中医系(内科)では歌訣(かけつ)と称し、穴位の取穴法や効能の暗記、また中薬の性味や効能の暗記に用いている。
 臨床では明代や宋代、元、清代に著された古典の歌賦、たとえば楊継洲(ようけいしゅう)、竇漢卿や高武、朱権、徐鳳、李梃、王国瑞等の歌賦を非常に重要視している。
 この度谷口書店のご厚意で孫思邈先生針十三鬼穴歌、肘後歌、八脉八穴歌を加えて歌賦をまとめ上げ、表や「臨床配穴」や「臨床応用」や「臨床指南」等を大量に加筆し、全く新しい形で出版することとなった。
 本書は鍼灸歌賦の専門書としては本邦初の試みであり、前例のないものである。それ故、原文等の多少の正誤があれば古訓の年代と底本を指定して頂いた上で諸氏のご訂正を望むものである。

                        神戸の鍼師
                    今村隆神鍼しんぜん

鍼灸の四総穴歌の著者、朱権とは? 1378-1448

 それは明の太祖の17番目の皇太子の朱権しゅけんである。あざなを臞仙(くせん、痩せた仙人の意味)といい、外号を涵虚子(かんきょし)とか丹丘先生とか呼ばれていたが、自分では「南極遐齢老人なんきょくかれいろうじん」と称し明の皇族である。15歳の折り大寧(現在の内蒙古、赤峰市、寧城県)を父の明の太祖、朱元璋皇帝から賜り、ここを統治し「寧王」と称した。皇帝の朱元璋が崩御すると、その孫の朱允炆、しゅいんぶん(建文帝)が即位する。次の年の建文元年1399年朱棣しゅてい(永楽帝、天安門を作った皇帝)が皇帝に反旗を翻し南京に向かって挙兵すると4年間に及ぶ「靖難之役」が始まった。朱棣しゅていは挙兵する前に兄弟の朱権に一緒に挙兵して助けてくれないかと持ちかけていた。そして南京を陥落させ皇帝を倒した後には、天下を二分して統治しようと約束していた。4年の戦争の後に朱棣しゅていは建文帝をうち倒し政権を奪って皇帝に即位した。これが明の成祖、永楽帝の誕生である。日本でも有名な永楽銭はこの時代のものである。さて朱棣しゅてい(永楽帝)が皇帝になってから朱権にはこの事前の約束について何も沙汰がなかったばかりか、彼が傲慢でわがままであるとして、もともと統治していた河北の土地を召し上げられ、江西省の南昌の土地を与えられた。武装解除され、兵隊もつかずただ深い悲しみの中、自己の反省と静かな暮らしを皇帝から求められた。
南昌の郊外に邸宅を構え、遊興娯楽を楽しみ劇作、歌舞や作曲や著述をたしなみ、多くの文人学士と交流した。自らを臞仙(くせん)と称し道教を厚く信奉し、中国の茶道も研究し著作「茶譜」を書き著した。また音曲方面では「中和」という琴を制作し、これは明代唯一のものとされている。医学書の著作は「活人心法」「乾坤生意」等があるが四総穴歌は「乾坤生意」に収められている鍼灸歌賦である。
 明の正統7年、1442年、朱権は現在の南昌市埠郷ふごう、に自ら生きている間に自分の墓を建てた。墓の前には元々「南極長生宮」があったがその前に「南極殿」を建てて、左に「泰元殿」と「衝霄楼しょうしょうろう」右には「璇璣殿せんきでん」と「凌江楼」等を配した大規模なものだった。朱権はここに埋葬されその埋葬物は故宮博物院と江西省博物館に収蔵されている。
余談
 韓流ドラマ「チャングムの誓い」の中でチャングムが中宗王に勧めたのは朱権の「活人心法」の中にある健康法でした。







目次

一、 『四総穴歌』明・朱権『乾坤生意秘蘊』より。
二、 『長桑君天星秘穴歌』明・朱権『乾坤生意秘蘊』より。
三、 『行針指要歌』明・高武
四、 『百証賦』明・高武
五、 『馬丹陽天星十二穴治雑病歌』馬丹陽 
六、 『標幽賦』竇黙(竇漢卿) 
七、 『玉龍歌』元代王国瑞の著作「扁鵲神農玉龍経」より
八、 『流注指要賦』竇漢卿
九、 『席弘賦』席弘
十、 『勝玉歌』楊継洲の「針灸大成」より
十一、『雑病穴法歌』明代の李梃「医学入門」より
十二、『霊光賦』徐鳳の「鍼灸大全」より
十三、『蘭江賦』
十四、『孫思邈先生針十三鬼穴歌』 
十五、『八法八穴歌』
十六、『肘後歌』


附編、『神針四節歌』四万十賦 広河原之隠者 神針先生 撰




一、『四総穴歌』明・朱権『乾坤生意秘蘊』より。
 この歌賦(かふ)は明の初代皇帝、洪武帝(朱元璋)の十六人目の王子にあたる寧献王、朱権の作とされる。号は臞仙(くせん、つまり痩せた仙人)であるとか玄洲道人とか称した。彼は詩や文学に通じていただけでなく、さらに針灸医学にも造詣が深かった。これは同じく洪武帝(朱元璋)の五番目の王子で「普済方」、当時で168巻を編纂した朱橚(しゅしゅく)との影響であろうか?明の王族にはどうも医学に精通した人が幾人か見られる。これは古代中国には儒教の考えで一族の者で年下の者が医学を修得するという習慣があったようだ。この明王朝の皇太子の朱権は晩年は道教をも学び、著作には『活人心法』、『寿域神方』等がある。さてこの日本でも有名な明の王族の朱権の『四総穴歌』であるが

          1肚腹三里留。
          2腰背委中求。
          3頭項尋列缺。
          5面口合谷収。
       (4と9と49は「医家大忌」の数として省いた。以下同じ)

 まずは第一行目の
         1肚腹三里留。
【注釈】腹部の諸疾患には三里に針をうつ。

【臨床配穴】ここでは内経医学において「胃」という概念を考えたとき、それは即ち大腸、小腸を含んだ広範な概念であるといえる。加えてまた足三里は胃経の合穴で土中の土ということもあり、あらゆる消化器系の疾患にここと中脘、合谷、手三里、百会などと組み合わせて応用して良いことを意味している。
 次に二行目の
         2腰背委中求。
【注釈】腰背部の膀胱経の走行部位の諸症状には委中を求める。

【臨床配穴】委中は血郄と称しつまり多くの場合実証の腰背部痛にここに瀉法もしくは瀉血を行うと良い効果があがるということである。(金元時代などは立位にて瀉血していた。)
「素問・刺腰痛論」曰く
「足太陽脉令人腰痛、引項脊尻背如重状、刺其郄中。(郄中とは委中の事。昔は郄中、とか血郄とか呼ばれていた。)太陽正経出血・・・・・・」(足太陽経の疾患では人を腰痛とする。項部から背骨、臀部や腰背部が重くなる。それには委中を刺し太陽の正経を瀉血するのだ。)と述べている。

 三行目の
         3頭項尋列缺。
【注釈】頭部、頚項部の諸疾患は列缺に取る。

【臨床配穴】ここは頚項部痛(頚椎症などの)に用いても良いが、どちらかというと外感病(感冒など)で後頚部等が痛むときに主に効果が上がる、列缺は照海(陰蹻脉)と組み合わせて、胸郭、咽喉、呼吸器系疾患に応用する。ただし中国の治験を追試する場合は日本と取穴法がやや違うので両手の虎口を合わせて、食指の先端でやや陽経側に取穴する簡便取穴法で取穴する事。

 さて最後に
         5面口合谷収。
【注釈】顔面部、口腔疾患には合谷を取穴する。 

【臨床配穴】であるがこれは顔面部の疾患(患側の反対側の手に取穴する。)に用いるということで特に顔面部や口腔の疾病に有効であるという事である。またここは胃腸病の要穴(ここは本経原穴であり、口のあたりの巨髎、地倉で足陽明と交会している。)であり、また中風の後遺症の癱瘓(たんたん)や寒熱痺証の痛みの治療(鎮痛)には太衝と組み合わせて「開四関・かいしかん」と名付けて臨床では頻繁に用いる。
 臨床時にはこれらに各種穴位を加減して用いると良いが、この四つの穴位だけでもかなり多くの鍼灸の適応症に応用できる。またこれ等「四総穴歌」が明の王族によって作られた事は歴史的、臨床的意義は大きく鍼灸界にとって重要な存在であるといえよう。

二、『長桑君天星秘穴歌』明・朱権『乾坤生意秘蘊』より

1天星秘訣少人知、此法専分前後施。

2若是胃中停宿食、後尋三里起璇璣。
3脾病血気先合谷、後刺三陰交莫遅。
5如中鬼邪先間使、手臂攣痺取肩髃。
6脚若転筋並眼花、先針承山次内踝。
7脚気酸痛肩井先、次尋三里陽陵泉。

8如是小腸連臍痛、先刺陽陵後湧泉。

10耳鳴腰痛先五会、次鍼耳門三里内。
11小腸気痛先長強、後刺大敦不要忙。
12足緩難行先絶骨、次尋条口及衝陽。
13牙痛頭痛兼喉痺、先刺二間後三里。
14胸膈痞満先陰交、鍼到承山飲食喜。
15肚腹浮腫脹膨膨、先鍼水分瀉建里。
16傷寒過経不出汗、期門三里?先後看。
17寒瘧面腫及腸鳴、先取合谷後内庭。
18冷風湿痺鍼何処、先取環跳次陽陵。
19指痛攣急少商好、依法施之無不霊。

 これもまた明・朱権の『乾坤生意』より出ているが、作者は朱権ではない。作者は不詳である。長桑君とは鍼灸の名医扁鵲(へんじゃく難経の著者とされる。)の師匠の仙人でである。長桑君がいつも利用する宿屋のマネージャーだったのが秦越人(しんえつじん・扁鵲の本名)こと扁鵲で、ここで扁鵲は長桑君より患者を一目見ただけで患者の五臓六腑が見通せるという超能力を授かったとされている。(伝説、司馬遷・史記より)天星とは道教用語。 この歌賦は作者は不明であるが、一つの疾病に対し「前」と「後」の二回の治療を行うものだが、その時間差に特徴がある。よってこの穴位への刺鍼の順番が重要なことはいうまでもない。ではその具体的内容であるが


一 天星秘訣少人知、此法専分前後施。
【注釈】天星の秘訣を知る者は少ない。この治療法は前と後の取穴の時間差によって鍼を行う治療方法である。
天星とは道教用語である。

二 若是胃中停宿食、後尋三里起璇璣。
【注釈】もし胃内停食があれば璇璣に先に鍼して後に足三里を刺す。
【臨床配穴】この後に手三里、合谷、中脘等を加えると効果が益す。大根おろしを食べるのも良い。
三 脾病血気先合谷、後刺三陰交莫遅。
【注釈】脾の機能が弱り脾不統血、脾失健運、脾陽虚衰を起こしたものは、まず合谷に鍼をし、後に三陰交に刺針する。
ここでいう脾病血気とは脾の病症の血と気の問題である。中医学でいう脾不統血、脾失健運、脾陽虚衰。具体的症状は血便、不正出血、四肢の無力感、水腫、腹脹腹痛、脱肛等がみられる。

【臨床配穴】血便、不正出血等は生検や各種検査機器の検査を経た後、同時進行的に治療を行う。この後、血便には秩辺、大腸兪、上巨虚、地機を取り、不正出血には地機、血海、白環兪。四肢の無力感のきついものは曲池、足三里。水腫には水分、中極に直接灸を完全燃焼して五壮、三陰交に鍼。腹脹腹痛は足三里に強刺激(電気バリを行う)。脱肛には百会に灸、殷門、会陰に鍼をすればより効果が上がる。

五 如中鬼邪先間使、手臂攣痺取肩髃。
【注釈】
鬼邪とは精神病、精神の錯乱の意味。間使は「孫思邈十三鬼穴・そんしばくじゅうさんきけつ」(精神病を治療する13の穴位)の中の一つの穴位で「鬼路」の異名を持つ穴位である。よってここに取穴する。
手臂攣痺とは上肢の痙攣と痛みの事で局所取穴で肩髃を用いる。

六 脚若転筋並眼花、先針承山次内踝。
【注釈】陰虚して肝火が旺盛になったり、大量の嘔吐下痢の後で肝が邪を受けると、熱が筋に及び、痙攣やひきつりが起こる。また内風が起これば、目がくらんだり、チカチカする。これにはまず承山に鍼をし、後に内果の骨尖部に鍼をする。
転筋併眼花とは足の筋の痙攣と同時に目のちらつきがある。
【臨床配穴】
 この後に行間、肝兪、肩井、風池、あたりで肝火より起こった内風を熄する。

七 脚気酸痛肩井先、次尋三里陽陵泉。

【注釈】脚気は風寒湿の三邪が病因である。寒湿邪が盛んであればだるく痛いという証状が現れるので主に足の陽経、足三里に取穴する。できれば灸が宜しい。その前にまず肩井に取穴するのは手足少陽、陽明、陽維の交会穴(奇経八脉考より)で本経取穴である。
【臨床配穴】
 脚気(かっけ)とは足に対照性に現れる多発性神経炎で食物中のビタミンB1の欠乏によって起こる疾患であり,食糧事情が悪い地域,とくに飢餓や飢饉のある地方に発生する.多発する神経炎が特徴で,知覚鈍麻や知覚異常が起こる。下肢から始まって歩行障害が起こり,次第に上部へ進行する.神経炎の発症機序についてはまだ十分に解明されていない。麦御飯、玄米や鳥や牛のレバーを摂ると症状が好転する。
 我が国の針灸処方では「脚気八処之穴」と呼ばれる有名な処方があり、即ち風市、伏兎、外膝眼、犢鼻、足三里、上巨虚、下巨虚、懸鐘(絶骨)である。これ等は直接灸をすると良い。
八 如是小腸連臍痛、先刺陽陵後湧泉。

【注釈】小腸のあたり下腹部から臍にかけて痛む者は先に陽陵泉を刺し後に湧泉を刺す。

【臨床配穴】腹痛には足三里、合谷、曲池を加えても良い。
十 耳鳴腰痛先五会、次鍼耳門三里内。
【注釈】耳鳴りで腰痛がある者はまず地五会に取穴しその後に耳門と三里に取穴する。

【臨床配穴】
肝陽上抗証には行間、肝兪、風池、翳明、翳風、風門、肩井等を加え、
腎陰虚証には腎兪、翳明、翳風、等を加える

十一 小腸気痛先長強、後刺大敦不要忙。
 【注釈】小腸気痛とは少腹と睾丸の間がひきつれて痛むものである。これにはまず長強を刺して大敦を刺す。両穴位は敏感であるので慎重にやれ。
【臨床配穴】、関元、気海に直接灸、もしくは温灸をし、下巨虚、陰包、気衝に鍼を軽刺激で留針し加える。
十二 足緩難行先絶骨、次尋条口及衝陽。
【注釈】足に力が入らず歩行困難なものは絶骨にまず取穴し、その次に条口と衝陽に取穴する。 足緩難行とは足に力が入らず歩行困難である。
【臨床配穴】この方法で治らなければ、環跳、足三里、三陰交、腿動(神鍼穴)、丘墟、解谿を取穴する。それで治らないものは腰や脳神経に問題があるか癔病であるので腰の場合は腰に刺鍼する。(この場合患者が針灸に慣れている必要がある。)


十三 牙痛頭痛兼喉痺、先刺二間後三里。
 【注釈】歯痛と頭痛があり、かつ喉頭に炎症のあるものはまず二間を刺してから手三里を刺す。牙痛とは 歯痛のこと。

【臨床配穴】これに下顎なら龍牙(神鍼穴)合谷、風池、客主人、下関、頬車等を加える。
十四 胸膈痞満先陰交、鍼到承山飲食喜。
 【注釈】脾陽が弱ると食欲不振で、胸がつかえる。その時はまず三陰交に鍼をし、後に承山に鍼をする。
【臨床配穴】これに食竇、章門を温灸或いは神灯(遠赤外線)で暖める。中脘、梁門、足三里には鍼をする。内関でもよい。
十五 肚腹浮腫脹膨膨、先鍼水分瀉建里。
【注釈】 肚腹浮腫脹膨膨とは肚腹(腹部)が浮腫によりぱんぱんに脹るということで、脾陽が邪を受けたためである。胃は食物をいれるが脾がそれを運化しないということ。これにはまず水分に鍼をし建里に瀉法を加えるべし。

【臨床配穴】腹水はこれに脾兪、腎兪に鍼をし神灯で暖める。水分は出来れば直接灸がよく、中極の灸も加える。糖尿病患者、ステロイド剤、抗癌剤使用中の患者には灸は禁忌。

十六 傷寒過経不出汗、期門三里?先後看。

【注釈】 傷寒過経不出汗とは傷寒の病で六日目がすぎても汗が出ないということ、期門穴に鍼をし中焦の寒邪を除き、次に通里?に鍼するのは汗は心の液であるからである。

十七 寒瘧面腫及腸鳴、先取合谷後内庭。
【注釈】寒瘧面腫及腸鳴、寒瘧とは秋に発病するものでまず強い悪寒がしてから熱が少し出る。感熱往来か、強い悪寒が規則的にある。腰背部、後頚部、頭部に痛みがあり、無汗で脉は弦緊。柴胡桂姜湯加減である。これに面部の浮腫があるものや、腸鳴、には合谷を取りその後内庭に取る。この両穴はともに陽明経である。特に合谷は面部にその作用著しく、胃は消化器の代表であるので内庭を取る。

【臨床配穴】これらに悪寒のあるときは足三里、外関、熱のあるときは陽白、太陽、風池、曲池を加えると良い。

十八 冷風湿痺鍼何処、先取環跳次陽陵。
【注釈】 風寒湿痺の鍼はどこに打つのか?まず環跳に鍼をして次に陽陵泉に取穴する。この二穴を取ることにより膝関節部の筋肉を緩め関節をなめらかに動作させることができる。 冷風湿痺、風寒湿痺の事。今でいう関節のリューマチである。

【臨床配穴】これに合谷、太衝という「開四関」方を加え、気海、関元、に灸をすると良い。関節リューマチには附子の入った方剤が有効であり、RA検査も含め漢方内科との結合治療が望ましい。また患者によって疾病の病期(進行の速い遅い)があるので注意する。
十九 指痛攣急少商好、依法施之無不霊。
【注釈】指痛攣急、指が痛み引きつり痙攣するものは少商に取穴する。この方法に従って治療すれば効果がないはずはない。
【臨床配穴】これにでだめなら外関から内関への透刺と上腕骨外側上顆付近への囲刺が効果的である。また弾発指(バネ指)の場合には整形外科の簡単な手術ですぐ治るのでそちらに送った方が効果的であるが、どうしても鍼で治してほしいと患家がいうなら指の関節の上に刺針すると良い。

三、『行針指要歌』明・高武

1 或針風、先向風府百会中。
2 或針水、水分侠臍上辺取。
3 或針結、針着大腸泄水穴。
5 或針労、須向膏肓及百労。
6 或針虚、気海丹田委中奇。
7 或針嗽、肺兪風門須用灸。
8 或針痰、先針中脘三里間。
10或針吐、中脘気海膻中補、
11翻胃吐食一般医、針中有妙少人知。

 『行針指要歌』は明代の漢方鍼医、高武の作とされる鍼灸歌賦である。実際は誰が著したものかははっきりしていないが高武の著作の中に見られるものである。高武は明代の優れた内科鍼灸治療家であり、この時代としてはまれに見る針医であったといえる。『百症賦』は彼の鍼灸歌賦の代表作である。
 この『行針指要歌』の特徴は風、水、結、労、虚、気、嗽、痰、吐、の九種の病因、症候に対する治療方法を著したもので意義深いものがある。

1 或針風、先向風府百会中。
【注釈】 風邪のあるときにはまず風府と百会に針をする。百会はまたの名を三陽五会といい諸陽の陽気が集まるところである。風邪は風府に集まるのでこの二穴に取穴する事は外感の風邪及び内風とあらゆる風邪に用いても良い。

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