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宗参寺の墓で最も有名な人は言わずと知れた山鹿素行です。
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素行は元和8年8月16日に生まれた江戸時代前期の
儒学者、兵学者です。兵学については小幡景憲(蓮正寺
法明寺 円光院)に学んだ様ですね。
朱子学の批判により赤穂に流罪となって後の討入りの浪士の
先生になった事で名を残していますので人生て面白いですね。
母または室の墓は素行の隣にある物で立派な物です、
貞享2年に亡くなった素行より早い延宝5年に亡くなった
女性の方ですね(確認してきます) |
| 山鹿素行墓 |
素行母?室?の墓 |
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宗参寺は酒依家の江戸時代の墓所でもありました。 酒依家は板垣信形の2男昌光が酒依に住んだことで酒依を称しています(別説も
あり)。昌光は天正3年5月21日長篠の戦で戦死しています、娘は三枝昌吉(枝元院)の室となっています。
昌光の子は他に昌吉(三枝ではないですよ)がおり常円寺を開基しています。 その長男に昌次がおり、別に家を興します(墓所は
能仁寺で平成になって常円寺に移転しています)。昌次の三男昌久が宗参寺を墓所として菩提寺としました。
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昌久は徳川家重に仕え元禄9年9月3日に亡くなっています。
娘は漆戸義格(善立寺)室となっています。
その子が昌孝で徳川家宣に仕え、寛保3年9月2日に亡くなって
います。女性の戒名が刻まれており多分室でしょう、室は木村
作大夫重和の娘です。 昌表は昌孝の次の当主ですが実の
子でなく昌孝の娘を室とし酒依家に入ります。室も元々渡辺
弾左衛門の娘で同じく昌孝に養われています。 |
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| 左が酒依昌久で右は不明 |
左が昌孝で右が酒依昌表 |
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不明の墓が一基ありますね、元禄11年に亡くなっている方です。酒依昌久の息子昌利かも知れませんね。
他にも酒依昌吉のひ孫酒依昌純が葬られているようですが、墓は確認出来ませんでした。昌純の子からは甲府の仏国寺を菩提寺に
しています。 |
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宗参寺には室賀家の墓所でもあります。
室賀家は村上義清そして武田に仕えた屋代正国の弟
勝永が信濃国更科郡室賀に住んだ事で室賀を称して
います。正国の子が勝永寺を開基した屋代秀正です。
ちなみに秀正の子孫は吉祥寺を菩提寺としています。
室賀勝永は武田家の武者奉行を勤め天正10年4月28日
に亡くなり恵林寺に葬られています。 |
| 室賀家墓所 |
室賀正朋墓 |
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勝永の子は満俊で武田勝頼に仕え武田滅亡直後の天正11年は屋代秀正ととも上杉景勝と戦い、13年8月再度秀正と
共に虚空蔵山にて再度上杉景勝を迎え撃っています。室は桜井信忠の娘、後妻は飯室内蔵助昌則の娘で寛永3年3月
24日亡くなっています。 その子が正俊で宗参寺を菩提寺としました。 実は正俊は上記屋代秀正の2男で満俊の養子
として室賀家に入っています。 元和7年12歳で徳川家光に仕え慶安元年3月14日より徳川綱吉に仕えています。
天和元年4月22日に亡くなっています。
写真の室賀正朋は推測ですが、正俊の子正勝の孫にあたる方だと思います。
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右写真の室賀正信は上記室賀正俊の次の当主で正俊の娘を
室とし室賀家の養子となり別に家を興しています。 実の父は
中山勘解由直定です。 孫娘は真田幸久の室となっています。
天和2年9月22日に亡くなっています。
慶応年間の室賀家の墓は無縁になっている様ですね。
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| 慶応年間室賀家の墓 |
室賀正信墓 |
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(08 12.11 アップ)
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