| 墓所・祭所-藤原鎌足-天智天皇
死後、奈良県桜井市多武峯の談山神社に祀られる。また、大阪府四條畷市の忍陵神社の主祭神ともなっている。 『多武峯縁起絵巻』には、鎌足が生まれたときにどこからか鎌をくわえた白い狐が現れ、生まれた子の足元に置いたため、その子を「鎌子」と名づけたと描かれている。この逸話にちなみ、談山神社では鎌をくわえた白狐のお守りが売られている。 墓処は定かではないが、『日本三代実録』天安2年(858年)条には「多武峰墓を藤原鎌足の墓とし、十陵四墓の例に入れる」という記述があり、平安時代中頃の成立と見られる『多武峯略記』などに「最初は摂津国安威(現在の大阪府茨木市大織冠神社)に葬られたが、後に大和国の多武峯に改葬された」との説が見える。 なお、昭和9年(1934年)に大阪府茨木市大字安威の阿武山古墳の発掘中に発見された埋葬人骨は藤原鎌足本人であるとする説も存在する。一方、『藤氏家伝』の記述に基づき、鎌足の墓は京都市山科区のどこかに存在するという説もある。その説に従えば、山科には「大塚」という地名があり、そこはかすかに盛り上がった地形であることから、そこであると推測できる。 |