| 唐による新羅冊封-白村江の戦い-天智天皇
新羅は、627年に百済から攻められた際に唐に援助を求めたが、この時は唐が内戦の最中で成り立たなかった。しかし、高句麗と百済が唐と敵対したことで、唐は新羅を冊封国として支援する情勢となった。また、善徳女王(632年〜647年)のもとで実力者となった金春秋(後の太宗武烈王)は、積極的に唐化政策を採用するようになり、654年に武烈王(〜661年)として即位すると、度々朝見して唐への忠心を示した。648年頃から唐による百済侵攻が画策されていた[4]。649年、新羅は朝貢の使者として金多遂を倭国へ派遣した。 |