| 崩御とその後-天智天皇
671年9月、天智天皇は病気に倒れた[2]。なかなか快方に向かわず、10月には重態となったため、弟の大海人皇子に後事を託そうとしたが、大海人は拝辞して受けず剃髪して僧侶となり、吉野へ去った[2]。12月3日、天智天皇は近江大津宮で崩御した。 天智天皇は、大友皇子に皇位を継がせたかった[註 1]。しかし、天智天皇の崩御後に起きた壬申の乱において大海人皇子が大友皇子に勝利して即位し天武天皇となる。以降、天武系統の天皇が称徳天皇まで続く。 称徳天皇崩御後に、天智の孫・白壁王(志貴皇子の子)が即位して光仁天皇となり、以降は天智系統が続く。 大海人皇子から額田王を奪ったという話も有名だが、事実ではないという説もあり真偽ははっきりしない。 |