| 皇太子・聖徳太子-推古天皇-天智天皇
推古天皇元年4月10日(593年5月15日)、甥の厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子として万機を摂行させた。厩戸の父は用明天皇(推古天皇の同母兄)、母も異母妹の穴穂部間人皇女(かつ生母同士が実の姉妹関係)の間柄であり、これが竹田皇子亡き後において、天皇が厩戸を起用する背景になったと見られている。 推古天皇は頭脳明晰な人で、皇太子と大臣馬子の勢力の均衡を保ち、豪族の反感を買わぬように、巧みに王権の存続を図った。在位中は蘇我氏の最盛期であるが、帝は外戚で重臣の馬子に対しても、国家の利益を損じてまで譲歩したことがなかった。ずっと後のことではあるが、推古天皇32年(624年)、馬子が葛城県(馬子の本居(ウブスナ)とされる)の支配権を望んだ時、女帝は、「あなたは私の叔父ではあるが、だからといって、公の土地を私人に譲ってしまっては、後世から愚かな女と評され、あなたもまた不忠だと謗られよう」と言って、この要求を拒絶したという |