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 一部のキリスト教が唱える、創世記が文字通りの科学的事実であるとする創造科学に対して、進化論や地質学によって知られている地球や生命の歴史を受け入れるキリスト教の立場が、「進化論を否定しない創造論」とされている。

まず、進化論を否定しないとする創造論の立場を確認しておこう。

「科学者が、進化論は科学的事実だというならばそうかもしれない。しかし、それは神によって導かれて起こったことであり、神の創造の計画の通りになされた。すなわち、進化という形でもって神の創造がなされた。ヒトは、神が自身に似せて作られた存在であり、たとえ進化という形で創造が行われたとしても、ヒトと他の動物とはまったく別物である。 」

また、人間に進化する個体はあらかじめ別けられていたとすることも多い。そして進化によって獲得したのは肉体のみであり、人間を人間たらしめる魂は進化してできたものではない。

まず、生物学は生物の変化の歴史を言っているだけではない。アメーバから魚、両生類、爬虫類、哺乳類と姿を変えたなんてことを言っているのではなく、突然変異と自然淘汰というメカニズムこそが重要である。個体にしても、あるいはDNA塩基を構成する分子にしても、それぞれは物理法則に則った振る舞いをしているにすぎず、大局的には物理学的な要素に還元できる。物理法則にしたがって起こる宇宙の諸現象の一部として、生物の誕生も説明できるというのが科学の立場である。

ですから、そこになにかしらの霊的な力が働いていたからこそ進化が起こったのだ、という考えは進化のメカニズムとは矛盾していることになる。

確かに、創造科学の唱える神よりは謙虚でつつましく見える。上で述べた科学原理主義的な批判をもすり抜ける、よりつつましい神の概念もコペンハーゲン解釈による不確定性のどちらかに動くかというミクロのところでの操作を膨大な宇宙に対して行いながら生物がどう進化するかを導いている、異次元にいる神、を想像するとすこし滑稽である。こうした存在は透明人間のような存在であり、つまりは、「究極的な反証不可能性」であることを意味する。

さらに、より奥ゆかしい神の概念もある。この神は、神はビッグバンによってこの世界をつくり、その時にこの宇宙を支配するいろいろな物理法則を作った。この物理法則によってその後の宇宙のすべての振る舞いが決定するわけだから、これこそが創造主だ、というものだ。この際、量子力学を採ればラプラスの悪魔はありえないという問題や、多世界解釈を取れば確率論的な浮動を必要としないかという議論は横に置いておくことにしよう。

神とは宇宙の物理法則の総体である、というのならば確かに科学が否定できるものではない。しかし同時に、これは何も言っていないに等しい。「この宇宙を支配する物理法則の総体」に「神」という名前をつけただけである。ビッグバンを旧約聖書の記述と符号させる主張もしばしばみられる。そうなれば一見、科学と調和しているように見られるかもしれない。しかし、それは科学的な専門用語を騙った手口である。

2007/12/28


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