私のホームページでは、宗教の不必要性を説いている以上、宗教を科学的に解釈しておかなければならない。つまり、人類が宗教を作り、活用してきたことを、科学的ないし歴史的に解釈していこうと思う。
宗教の出現も、進化論に近い考え方で解釈できる。人類は生物の一種であり、進化論に則って進化してきた。しかし人類の場合、大脳の発達によって、文化を形成し、文化を世代ごとに継承していく特徴がある。この文化の変化を、進化になぞらえて解釈するのがミームという考え方である。
まず、人類が感情や心を発達させ、そうした思考を行う大脳の機能を発達させてきたことが、生物学的な進化の必要性によるものであることを確認しておく。
生物の戦略として、他の群れをなす生物と同様、人類は共感といった能力を発達させていった。そのうちの一部はDNA上の先天的な要素であるし、あるいは一部は文化といった後天的な要素である。
一方で、他の個体や他の群れと競合し、より有利に自分の遺伝子を残すことも生物としての戦略上必要なことである。戦争や隣の群れとのいざこざを人類は歴史上絶え間なく繰り返してきました。
このとき、同種の個体に共感する能力が、相手を殺してでも自分が生き残るという戦略が拮抗し、ジレンマに陥ることになります。簡単にいうと、良心の呵責、殺人への嫌悪感。あるいは自分が死ぬ恐怖や不条理。天変地異によってもヒトは死の危険と直面します。こうした回りの環境中の情報を膨大に集め把握する能力を身につけてきたヒトの脳は、膨大な受けるストレスを受けてきたことでしょう。
生物郡としての戦略上の集団の規範や、他の群れとの争い。不条理に対する畏怖。こうしたストレスを緩和するために宗教は機能してきました。DNA上の変化よりも急速に変化できる文化によって、こうした需要に対応してきたと思われます。
こうした機能が大きく発揮された事例が、旧約聖書でのカナンの侵略に観られます。カナンとは、今のイスラエルあたりであり、ウガリットなどの遺跡などを残したカナン人が住んでいました。そこに、エジプトから出てきたヘブライ人は住みたいと思いました。それまでいた、民族や宗教観の異なるカナン人は追い出され、ヘブライ人はカナンに移り住むことになります。
「すべての男たちと処女でないすべての女たちを殺せ」(エゼキエル書9章5−7)
というのがキリスト教(ユダヤ教)の神の指示したことです。
「それから私は神が他の男たちに言うのを聞いた、『町まで彼について行け。そして額に印が無い者たちはすべて殺すのだ。情け容赦するな。皆殺しにするのだ・・年寄り、女子供もすべてだ。しかし、印ある者には触るな。この寺院からお前たちの仕事を始めよ」
彼らはまず70人の指導者たちを殺した。『寺院を汚せ!』神が命令した。
『庭を死体で埋め尽くせ。さあ行け!』そうして彼らは町中に入って行き、言われた通りのことをした。(民数記第31章18節)
彼の兵達は、あっという間に全ての男を虐殺し、ミディアン人の全ての町を焼き払ったが、女と子供は殺さなかった。
部下の兵達がこの様に慈悲深い自制をはたらかせた事をモーゼは激怒し、全ての男児と、処女でない全ての女を殺せと命じた。
女のうち、未だ男と寝ず、男を知らない娘は、貴方達の為に生かしておくが良い(ヨシュア記第6章21節)
これは、生物学的に考えて合理的な戦略であり、人類の歴史上いくらでも起こってきたことである。そして、これは人間が先天的にしろ後天的にしろ持っている脳の処理・共感や相手の痛みを不愉快に思う処理能力と拮抗し、人間は葛藤する。戦争体験者が感じるストレスや、例えばベトナム帰還兵を考えるまでもなく、そうした人間の葛藤は大きなものである。
こうした人間の葛藤をうまく解消し、生物学的に合理的な戦略を簡単に取らせることができるように言い聞かせる宗教というミームが発生し、生存競争を勝ち残ってきた。逆にいうと、今の憲法九条下の日本のような考え方をする民族集団は、少なくともこの時代には、こうした宗教をもつ民族集団に淘汰されたきたということが言える。
さて、これに対してよく見かけるキリスト教信者からの反論がある。(もちろん、すべてのキリスト教信者のコンセンサスではないとしておこう)
聖書は侵略を禁止しており、神が他国への侵略を推奨したことも、ヘブライ人が他国を侵略したこともない。カナン侵攻は侵略ではなく、「神の裁き」である。土地に住む人々があまりにも堕落し、もはやその土地を所有する権利を失ったので、神は住民をそこから追い出された。「地は神のもの」である。神は、神の戒めを守る人々に地を支配させるようにしただけだ。
そもそも、こんな解釈をすることがすごいことなのだが、そんなことを納得できるところもすごい。自分の宗教の教義と違うからと「異教徒」を「大虐殺」し、これは「生等な行為」だから「侵略ではない」のであって、「自分たちに所有権のある土地なのだ」と納得できる。しかしそれは、カナン人にとっては他民族の侵略以外のなにものでもない。それこそが一神教の自己中なところだと批判されているのに、「これは神の決めたことなので侵略でもなんでもない」といえる。
ようは、そういう考え方によって、自分たちが負い目やストレス、葛藤を感じることなく他の民族集団なりを大虐殺したりすることができるところが一神教というミームが広がった要素である。大航海時代以降にもこうした考え方によってキリスト教のミームは広がっていきました。キリスト教というミームがなければ人類があれほどの非情をもって他民族を奴隷化することは難しかったであろう。とすると、キリスト教というミームは生物の戦略としては画期的な突然変異だったといえそうだ。
2007/12/28