HOME

「アトランティス〜失われた帝国〜」は、2001年に公開されたディズニー映画である。ウォルト・ディズニー生誕100周年の年に作られたこの映画には、日本の二つのアニメとの類似点が多く、盗作疑惑が指摘されている。

アトランティスに盗用されたと考えられるアニメは、ガイナックスが製作しNHKで放送された「ふしぎの海のナディア」と、スタジオジブリ製作の「天空の城ラピュタ」である。

ナディアとアトランティスは、ともにジュール・ヴェルヌ「海底二万マイル」を原案としている。ディズニー側は、同じ原作を元にしているのであるから類似点があるのは当然であり、日本のアニメは見たことも聞いたこともないと、弁明している。しかし、海底二万マイルにおいてはアトランティスは数々の訪問地のうちのひとつにすぎない。盗作とされている不自然な類似点はすべて、ふしぎの海のナディアでのオリジナルのシナリオ、キャラクターである。つまり、盗作ではないかとされる類似点は原作を同じくすることによるものという解釈をするにはあまりにも無理がある。

ところで、 アトランティスは二つのアニメからの盗作が指摘されているわけだが、‐「ふしぎの海のナディア」と「天空の城ラピュタ」‐この二つのアニメはそもそも極めて類似している。これは盗作ではなく、元の企画案が同じためである。宮崎駿はNHKで「未来少年コナン」などを制作しており、次の企画として同案が出されていた。このときはこの企画は作品化にいたらず、宮崎駿はその後『天空の城ラピュタ』として作品化している。一方、NHKには元の企画が残され、その後、庵野秀明監督によってナディアが描かれている。つまり、同じ企画案をもとに描かれており、この二つのアニメが類似しているのは当然の話である。そして、アトランティスではどうやらこの双方から盗作していると思われる箇所があるのだ。

さて、このように話のあらすじからキャラクター設定までが酷似しているアトランティスだが、オリジナルとは大きな違いがあるところがある。それは、ブルークリスタル(ブルーウォーター(ナディア):飛行石(ラピュタ))の意味づけである。そして、それはアトランティス(あるいはラピュタ)が滅んだ理由を巡る、物語の根幹をなす部分でもある。

「人は土から離れて生きてはいけない」(天空の城ラピュタ:シータ)

この台詞の示す通り、ラピュタでは、人間が土を離れ、自然を離れたことが文明が衰退した原因となっている。宙に浮くラピュタ文明は高度な文明を築いていた。しかし、いくら高度な科学技術を持とうと、自然の営みを離れ、地球の生物循環から離れて人だけが生きていくことはできない。自然と文明との共生というテーマは、ナウシカ、もののけ姫と宮崎駿が描いてきたものでもある。ナディア、ラピュタで描かれているこうした自然観は、近代文明へのテーゼであるといえる。

近代文明は自然を開拓し支配することをよしとしてきた。こうした文明対自然という捉え方はキリスト教に由来する。つまり、神が人を特別な存在としてつくり、地球もその他の動植物もすべて、人間が支配管理し、収穫するためにつくられたという考え方である。こうした発想から、人が地球上で唯一の高等な生物であり、科学をもって地球を支配管理することこそが人間の責務であるという考えが生まれる。

ナディアにしてもラピュタにしても、旧約聖書からのエピソードや名称をふんだんに散りばめられている。舞台は産業革命間もないヨーロッパである。しかし、宮崎駿が‐あるいは日本の映画、アニメが‐提示する答えは、非キリスト教的、アジア的、あるいはアニミズム的な解決である。つまり、自然の一部としての人、あるいは生物叢の一部としての文明という形での共生の考え方である。

こうした視点にたつと、ラピュタ文明もナディアでのアトランティスも文明、近代文明の成れの果てに対しての比喩であることがわかる。(なお、ナウシカやコナンではこの文明の滅亡後の世界そのものが描かれている) だから、これらの文明は現代文明を凌ぐ高度な科学技術を誇っていなければならなかった。こうした科学技術を持ちながら滅んだ理由は、天変地異や戦争ではなく、歪んだキリスト教自然観から自然と隔離し、生物としての基盤を失ったことである。

ディズニーのアトランティスでは、アトランティスの位置づけがかなり異なっている。冒頭での説明こそ、蒸気機関をしのぐエネルギー源を持っていると言われているが、それは単なるマクガフィンとなっている。ブルークリスタルの正体は宝石でもエネルギー機関でもなく、神であり命の源である不思議な石、ということが物語の終盤で語られている。ブルークリスタルは純粋な科学技術の結晶ではなく、「祖先の思いがいつしか宿り命をもつようになった神秘的な石」という意味不明のマクガフィンと位置づけられている。

これでは、話の筋やキャラクター、描画だけは盗作していながら、一番重要なメッセージがけが脱落している劣悪なコピーという評価は免れない。しかし、ここまでコピーしながら、肝心のメッセージまで盗作するのは気が引けたのであろうか。いや、そうではない。おそらく、高度な文明の滅亡という最も重要な問題が描かれていないのは偶然ではない。高度な文明が滅んだ、という表現は彼らには理解できなかったのだろう。このテーマはあまりにも日本的、非キリスト教的であったため、キリスト教保守派の支持を受けているディズニーには受け入れられなかったはずだ。

例えばハリウッド映画にしても、自然を克服すべきものとして描かれている。例えば地球に衝突する彗星を核爆弾で破壊し、危機を回避したり、例えば地球の自転が止まって滅亡しかけている場合、地殻で核爆発を起こして自転を取り戻して滅亡を回避したりする。自然の驚異に対して科学技術をもって解決し、克服したりする。地球の環境をコントロールすることができれば、洪水や地震を避けることができるという考え方がそれだ。

日本のアニメ、映画はこうしたキリスト教的な自然観を繰り返し批判してきた。宮崎駿やナディアをはじめとする日本のアニメは、アメリカでも一定の評価を得ている。しかし、その本質や描かれたテーマを含めた理解を得るにはまだ待たなければならないようだ。

2009/3/4


HOME