スーパーに並ぶ表示には、GM食品を否定的に捉えた消費者の姿がうかがい知れる。この食品にはGM食品を使っていません、という表示がよくあるが、わざわざ使っていないことを表示するというのは、消費者にとってGM食品は避けるべきネガティブな要素だという前提でなされているといわざるをえない。
たしかに、自分の食べるものがどのようなものであるかを知る権利は尊重されるべきであり、食品の情報は開示されるべきです。しかし、GM食品であることがネガティブな情報として開示せざるをえないという形態をとる以上、消費者への情報開示が、産地、生産者などと同様に、知る権利を満足させる機能を果たしているとは言い難い。
消費者が不用意にGM食品に危機感を抱くのに反して、実際には、GM食品の避けられるべき科学的な理由は明確ではない。市民団体によって煽動され、遺伝子を人工的に改変することがいかに人類の不利になるか、という主張が科学的プロセスを置いたまま侵食している。
GM食品を問題視した一連の論争は、ヨーロッパを中心として世論を形成してきた。そこでは、西洋の倫理観を背景に、人工的な遺伝子操作を神への冒涜と位置づけられ、危険性を示す論理が付け足されてきた。
創造主である神が植物や動物を、ヒトの食べ物として作られた、という前提。(日本人には信じがたいことですが、アメリカ、ヨーロッパは現在もこのようなコスモロジーの中で生きています。)
遺伝子を変えるのは神の御業であり、人間による遺伝子改変は神への冒涜である、という考えがGM食品を許さないのです。
このような宗教的なバックグラウンドによって、先進国(日本以外の先進国はキリスト教圏なのです。)では、GM食品の有害性や非倫理性がしきりに騒がれる。そしてこれらの論調が日本に紹介される際、彼らのバックグラウンドを置き去りにし、あるいは、ヨーロッパの食の基準は進んでいるように錯覚し、純粋に自然科学としての不信感と誤解され、浸透してきた。
ところで、食の安全基準が高い(と一般の方が錯誤している)ヨーロッパと対照的とされるのが、味音痴の代名詞、農業の機械化の申し子、アメリカである。しかし、このアメリカもキリスト教圏。GM食品を大量に生産してきたアメリカでは、もっぱら生産の合理性に視点が置かれ、害虫対策が中心となっており、そのことが、GM食品への不安をさらに煽り、また批判論者の的になってる。
しかし、これからのGM食品は量的な改善のみならず、食の質の向上にも寄与するであろう。すなわち、栄養面において改善され、食感、味などの点でも、積極的に研究されていくと考えられる。
これは歯学分野においても研究対象になっていきうる。味覚の研究は他の受容器とくらべても複雑で、味を感じるメカニズムは現在でも大部分が謎のままであり、他の分野にくらべ、臨床的な応用や経済的効果が薄い、ということが研究を遠ざけてきた。しかし、ヒトがより良い食を求めようとするとき、どのようなたんぱく質を作ればどのような味になるのか、といった研究は多いに力を発揮ていくだろう。
生物としての植物の遺伝子の理解、品種改良は人類が数万年かけておこなってきた一大プロジェクトで、生産性と味、栄養の面での改良がなされてきた事実を認識したとき、歴史に残る食の発展がこの日本の歯学分野で成し遂げられるだろうと期待してやまない。
2007/4/2