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科学原理主義をとる科学者として

 

このページは、「進化論と創造論〜科学と疑似科学の違い〜」のなかの一部を引用し、パロディとしたものです。

http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/index.html

「科学主義は、疑似科学と同じぐらい有害だ」

http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/scientism.html

 

パロディに対する考え方

パロディは引用の一部か二次著作物か、あるいはその場合に満たす条件に関して、さまざまな見解があるようです。このページは、ネタ元であるNATROM氏に敬意を評しながら、同じ創造科学に触れながらも見解の違いを明確に表現したもので、次の条件を満たしていると考えます。

 

(1)明瞭区別性 (内容は正反対ですから、明瞭に区別がつきます)
(2)
附従性 (多くの改変を加えていますので、創作の部分が主を占めます)
(3)
引用される側の著作者人格権を侵害しないこと(引用元の見解を尊重し、敬意を表します)


科学原理主義とは、いってみれば「真理に至る方法があるとすれば、それは科学的手法だけである。宗教では真理に到達しえない。」という立場である。科学原理主義に立てば、神の存在証明がされていない以上、存在しないとみなすことが科学的だと考える。(神の存在を主張する側に証明責任があり、否定する側には反証する責任はない。)

私のサイトは科学原理主義の立場に立っている。疑似科学や創造科学を批判する人の中にも、科学万能主義・科学原理主義に否定的な人もいる。しかし、注意深い読者は、私のホームページはより突っ込んだ科学原理主義であることに気がついていると思う。

科学原理主義者は、何かの価値を肯定したり否定したりしない。それは科学の役目ではない。しかし、生物学や人類学、歴史学や脳生理学などの科学によって、宗教ができた経緯や過程が説明できると考える。「歴史的に聖書が成立した過程は・・・うんぬん。人類がそのように宗教を造りあげてきた理由は、進化の過程で脳が発達し、死というものを「発見」し、だが人間の脳は、ストレスに弱く、自らの生存を確保するようにできているわけで、これも進化の過程で・・・うんぬん。生物としては群れをなす動物である一方、脳の処理が良いだけにジレンマも多く、それを解決するミームとしても宗教は機能していた。・・・うんぬん。」というわけだ。私はそのような立場をとる。多くの進化生物学者をはじめとする科学者は、それぞれ専門分野には秀でているだろうが、他の分野には疎いことがままある。ましてや、あまり宗教とか聖書とかを考えたことがないだろう。むしろ、それを考えることは厄介なので、「別の次元の問題だ」と思考を放棄している場合も多い。そして実際、キリスト教徒の科学者はたくさんいる。彼らは、「科学と宗教は次元が違う。生物学者が、進化論こそ正しく、創造科学は間違いだというのならそうなのだろう。しかし、それは科学的には、である。神学的には創造論は正しい。心の目で観る人は、神が人を創造してくださり、導いてくださったことが理解できるはずだ。決して進化して人が生まれたのではない。」という説明さえ受け入れる。科学原理主義者は、科学で何かの価値を決めることはできないと考える。「聖書はデタラメだ。聖書には価値はない」とは主張しない。(※漫画の描写が現実にはありえないとか、推理小説に穴があるからといって、価値がないとはいえない。) つまり、科学原理主義者以外の人にとっては価値があるかもしれないし、実際にきわめて価値があると考えている人たちがいる。しかし、そうした価値判断の前提となる事実を提示することは科学にもできるし、実際にそうした事実を直視するならば、宗教にそれほどの価値があるとはいえないと気づくはずだ。

進化生物学に関して、キリスト教徒のとっている立場はいろいろある。一つは、進化を否定せず、科学の成果を受け入れていると見せかける立場だ。例えば「進化論者は、進化が科学的に説明されているという。彼らは、突然変異と自然選択によって生物が進化したと主張する。しかし、突然変異がいつ、どこで起こるかや、どの個体が生き残るかはすべて偶然だという。ようは、なにもわからないが偶然できたというのだ。しかし、偶然で生物がこれほどまでに精錬され美しい合理的な姿になるわけではない。神が突然変異や自然選択という形で人を導いてきたのだ」というわけだ。あるいは、進化する間も、人になるべき個体は他の生物とは隔離されて進化してきた、と考える人もいる。

いうまでもなく、これらの考え方は間違っている。表面上、進化論を受け入れて教義と折り合いをつけるようにして自分では納得しているのであろう。しかし、突然変異が「ランダム」だということや、「自然選択は集団の統計的な遺伝子分布の変化を起こす」という基本的な部分で間違って理解している。

一方、もちろん進化を許容しない聖書解釈をする立場をとるキリスト教徒もいる。彼らは、科学よりも、逐語的な聖書解釈が正しいと考える。科学は価値や思想を規定することはできないのだから仕方ない。「地球は宇宙の中心で、太陽はその周りを回っている」と固く信じている人がいたとしても、科学者にはなすすべがない。彼らに地動説を強要したって受け入れないだろうし、放っておくしかない。

2007/12/28


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