石造りをベースとよる西洋建築は、強固で丈夫である。西洋では、文明が発達し、洗練された建築様式が発達した。それに引き換え、木や竹、藁で構成された日本建築は、なんと簡素で、原始的な構造だろうか。文明が未発達な地域では、藁や木材などの素材を使った、原始的な建築物が作られてきた。これが、西洋からみた日本建築に対する評価である。
しかし、今でも木材は日本人を魅了し続けている。日本人は木にぬくもりを感じ、愛着をもってきた。近代的な西洋建築、巨大なビル群の中にさえ、巧みに木材を取り込んできたほどだ。大量の木材需要を、海外からの大量輸入に頼ってまで、日本人は木にこだわってきた。
こうした、日本人の木材へのこだわりは、西洋からはあまり理解されない。石造りの建築ならば、何千年経とうともその姿を保ち続けるではないか。なぜ日本人は、朽ち果て、腐り、燃えるような材料をあえて選択するのだろう。日本人は大量に木材を伐採し、消費している。石の文明の視点からすると、日本は「使い捨て文化」であり、森林伐採の主犯格であるとされてきた。しかし、それこそが日本人の築いてきた、森との共存の知恵であったのだ。
日本人は、住環境を通して森と向き合い、森とともに生きてきた。森は日本人の住環境の一部であり、日本建築の背景には、里山という生活スタイルがあった。人間と自然とを連続の中で捉えてきた日本人は、里と山、家と庭とに明確な境界を設けず、開かれた家を作ってきた。この構造は、日本の気象条件、例えば暑い夏や梅雨にあっているとしばしば言われる。付け加えるならば、生活の場となる家が集落、森へと連続する一連の結びつきの中で機能することを意味していた。自然と対峙し、自然と人間を切り離すことを出発点とした西洋文明に対し、日本は森の文明の中で、自然と人間との関わりをもってきた。
障子が壁、あるいは扉の和風スタイルであると捉える限り、たしかにその脆弱性は近代的建築には遠く及ばない。しかし、日本人が培ってきたのは、永久に壊れない強固さではなく、壊れては生まれ変わる永遠の循環であったのではないか。家が建物として自己完結する西洋建築とは違い、日本の建築は再構成されることによって初めて生きてきたからだ。
障子や畳や、かやぶき、ふすまなどのそれぞれのパーツは、それぞれの周期によって交換されなければならない。毎年張り替えられる障子紙に始まり、数年で取り替えられる襖、畳、数十年の周期を持つ茅葺。定期的に取り替えなければならないのであるから、身近にある素材でなければならない。このようにみると、どの材料も合理的なことに気付く。いずれの材料も、人間の生活の中に溶け込んだ素材であるばかりではなく、稲や下草刈りの副産物、あるいは廃棄される材料まで用いられているのだ。
また、自然をねじ伏せるのではなく、自然にまかせ、その力を引き出す知恵を発達させてきた。日本人の大工は、木材は呼吸をしているとか、木の声を聞くという表現をする。木は水分を絶えず放出、吸収している。これによって膨張や収縮をしており、こうした性質をたくみに利用することで日本建築は機能していた。水分を含んだときに、どちらに湾曲するかを見抜き、力学構造に取り入れてきた。木材との対話を通し、その背後にある森を感じることで、私たちは木のぬくもりを感じてきたのだ。 こう考えたとき、日本建築の源流が、縄文時代のアニミズムから受け継がれる、森の文明の一部であることに改めて気づく。 構造的にも、縄文時代の建築:竪穴式住居に、日本建築の原点を見ることができよう。竪穴式住居では、柱を中心とした構造をもち、柱が梁を支える基本的な構造が完成されている。この基本的な構造には、弥生には南方系の高床式構造が加わり、天井が加わり、軸組み工法へと受け継がれている。時代とともに複雑化してきたにしても、私たちの家は、柱を建てることに始まるという点で一貫している。大黒柱に神を祭るし、神を数えるのに柱を用いる。森を背景とし、森とともに生きてきた日本人は、縄文人の精神を受け継いできたのだ。西洋建築は確かに、長い年月を耐えることができよう。しかし、長い年月の風雨に耐えようとも、いずれは崩壊し、あとには廃材としかならない。コンクリート、鉄、石油資源など、建材が多様化したとはいえ、石の文明がもつ自然観を踏襲してきた。すなわち、石切り場から石を切りだし、それを消費するという考え方が西洋建築のベースである。自然と文明をわけ、森と人間を分かつことを出発点とし、自然から人間への不可逆的な搾取の構造を作ることに、西洋の住環境が成り立ってきた。
自然を搾取することでしか資源を得ることができないとすれば、文明の膨張のまえに為すすべは無い。
家を生活圏と考えるとき、かつてあった日本の建築のありかたを見直す意義は大きい。もちろん、だからといって里山のシステムをそのままもってくるわけにはいかない。日本が海外からの大量輸入し、工業的で無計画な木材の伐採が自然環境にダメージを与えてきたことも事実である。しかし、建築や都市計画を生活の延長でデザインしようとするとき、人間の生活の場を地球の生物環境の中でどのように位置づけるかを考える上で、先人たちの知恵に学ぶものは大きい。生物資源である木材は、計画的な維持が行われた場合、自然を破壊しないばかりか、森と文明の物質循環の中心となり、二酸化炭素の固定化にもつながる。また、森と文明との共存は別の形でも進んでいる。屋上緑化、緑のカーテンといった挑戦がそれである。縄文から受け継がれる森の文明、アニミズム的自然観の中で、日本独自の形で西洋建築を融合する試みは続いている。
2006/7/20