HOME

自然破壊、環境汚染の蓄積と、天然資源の限界を目の当たりにした私達人類は、持続可能な開発を掲げ、自然との関わり方が問われている。こうしたなかで、先人たちの知恵を見直そうという動きがある。かつてあった日本の里山風景は、エコサイクルの理想郷であったはずだ。昔の日本人は、自然とともに生きてきたではないか。  

たしかに、西欧文明が世界を支配するまで、人間が自然を枯渇させることはなかった。日本を始め、ほとんどの地域では、荒ぶる神々との距離に関して、卓越した距離感を保ってきた。この距離感は、アニミズムに基づく自然への畏敬の念であったといえる。また、現代の言葉を借りるならば、それは食物連鎖と物質循環の中で人間のニッチを位置づけたものだともいえる。つまり、タヌキがいて、イタチがいて、ヘビがいるように、ヒトがいる。それぞれの生物はそれぞれの生態をもち、それぞれの生活の場を生きている。その中にヒトを位置づけてきたのだから、人間と自然という対立構造は成り立たない。人間が自然を消費するという発想すらそこにはなかった。  

しかし、だからといって、日本人は自然を畏れるあまりに自然への介入をしてこなかったというわけではない。むしろ、積極的に森と関わってきた。森の一員として人間を位置づけた彼らは、その役割を果たす対価として恩恵を甘受してきたのだ。   

米を得るためには、自然を切り開き、水田を作らねばならない。薪や木材を得るためには、ふさわしい樹木を植林しなければならない。このように、里山の造成は原生林の破壊でもある。それにも関わらず里山が日本の田園風景となり得たのは、里山が自然を制覇したからではなく、(荒野をさまようヘブライ人やアメリカの開拓者とは対照的に)自然の多様性を積極的に利用してきたからである。

水田はカエルやメダカ、水生昆虫の棲家となり、またそれを狙って哺乳類や鳥類も集まった。太古の森(鬱蒼と生い茂る照葉樹林)に替わって出現した光の入る明るい森は、落葉による肥沃な土壌と、光が適当に入る開かれた空間を生物に提供し、そこでは多くの植物、微生物、昆虫から哺乳類などを受け入れられた。このように、人間の消費活動は太古の森には住めなかった多くの生物に産卵、羽化、採餌、成長の場を提供してきた。哺乳類、鳥類を含めた生物叢が里山にできあがった。これらの豊かな生物叢は、環境を安定させる仲間であり、彼らとの共存共栄によって人間側の生活が安定してきたのだ。

 明治維新以降、日本は、近代西洋型の国家として歩みだす。これは、薪から石炭・石油への転換でもあり、森との長い共生の歴史の終焉でもあった。こうした消費社会が世界に及んだために、やがて森は破壊しつくされ、資源もいつかは底を尽きることが予測されている。これだけ地球への侵襲が進んだので、今度は翻って保護しよう、というのが先進国の課題となっている。しかし、西洋を中心とした先進国の自然保護の視点は、日本人の抱いてきた自然観とは大きく異なる。  

ヨーロッパと北アメリカを中心に興った近代国家は、キリスト教世界観を共有している。すなわち、神が自身を模して造った特別な存在である人間こそが地上の支配者であるとする意識である。したがって自然とは、人間によって攻略、支配されるべき対象であるとみなされてきた。そうであるから、西欧にとっては人間が自然を搾取することはむしろ人間の正義であり、使命であるとさえいえる。破壊するまで搾取してきたことと、それを保護しようという動きは、人間と自然という二項対立の構図において同値である。

しかし、私たち人間だけが自然を破壊したり、保護したりする力があるとする西洋型の思考は、人間の思い上がりではないだろうか。私達は、生物以上のものではない。生物である以上、私達は自然を汚すことでしか生きてはいけない。どのような理屈を並べようとも、外界のエントロピーを増大させることでしか肉体も文明も保てない。そうであるから、消費の削減、自然への不可侵といった今までの自然保護には無理がきている。 今私達は、西洋のように地球の庭師として自然を守っていくのではなく、地球に生きる生物の一員として生きる知恵を必要とされている。

もちろん、里山というスタイルが現代の私達にそのまま適応できるわけではない。したがって、私たちにできることは、私たちの森との新しい関係性を構築していくことである。生態系の一部として人類を捉え直し、自然との収支を維持できるシステムと、そうした自然観を受け入れるコスモロジーを構築することが、私達の課題である。  

2007/7/30


HOME