園主のひとり言

あくまで独り言。言葉使いが悪くても、決して他の人や組織を卑下・中傷するものではありません。このページを印刷して、どこかで配ったりしないでください。また、夜中に無言の電話などしないでください。
これ以前のひとり言 >>

29.西日本豪雨

2018/7/10 更新
この度の西日本豪雨により被災された皆様方には、心よりお見舞い申し上げますとともに亡くなられました方々のご冥福をお祈りいたします。
また、私宛てに心配の電話、メールを下さいました皆様方には、誠に有り難く、厚くお礼申し上げます。
 
愛媛県内の友人・知人の中には、床下は勿論のこと、天井までも、灌水した人がおり、現在も水道の復旧めどが立っていないなど、悲惨な状況にあるようで、「まさか自分達が・・」と同じ言葉が出ていますが、普段、台風や豪雨などによる災害にあまり縁のない岡山県、広島県、愛媛県に多くの犠牲者が出てしまったのは、同じく「まさか」の気持ちが分かれ目になってしまったのではないかと思います。
 
幸いにも私の住む松山市旧市内においては、とんでもない量の雨が4~5日間続いたものの、災害とは縁もなく、ごく普通の生活を行えておりますが、片道25km程の農園につきましては、侵入道路が何か所も崩れ、園内においても二か所大きく土砂崩れしていましたので,昨日から近くの海の砂を運び凹んだ箇所に投入するなどゴソゴソと復旧作業を行っているところです。
 
農作業は、いつから始まるか分かりませんが、とにかく元気でおります事をお知らせいたします。 お気遣い有難うございました。

28.三度目の入院

2018/6/20 更新
日頃の不摂生か、成るべくしてなのか、3度目の入院となった。もちろん、病名はNO.18、NO.23と同じである。半年に一度の定期検査で、様子見状態が一年半続き、結局、治療・入院ということになった。
遅れ気味の農作業など懸命に前倒し、わざわざ梅雨時を選んでの入院としたが、入院中は連日の晴れ日で降雨ゼロ、退院の日になって雨が降り出し、今日も大雨、明日も90%の雨予報で、どうも週を間違えたようである。
また、交流戦とはいえ、我が広島カープの入院中戦績は1勝6負という惨たんたる結果で「なんとも!」
入院中は、1・2度目と同じ様な過ごし方となったが、担当医を始め、お世話になるスタッフが全員替わっていたので若干のとまどいもありつつ、なんとか無事に8日間で入退院できた。
この後、1ヶ月程の断アルコールを我慢すれば2年程は生きられそうである。  
 
ところで最近、入院時の提出書類について大きな社会問題となっているが、当病院は、これまでと同様「入院承諾書」と称し本人の施術承諾以外に「身請け保証人」「治療費支払者」「治療費支払い保証人」の記名・押印が求められ、加えて「手術立会人」に係る書類提出が必要となっていた。
世間では、家族に先立たれ身よりのない人、親族がいても全く親交がない人、お金に不自由してなくても信頼できる友人関係に恵まれない人、勤務先や入所・ホームなどで保証がもらえない人など、色々な事情で上記の書類を揃えることが出来ない人が沢山いると思われるが、この場合、簡単な手術であっても、早期に回復できる手術であっても受け付けてもらえないのが現状である。  
私の場合、男やもめとは言え、頼れる親族がいるので問題はないが、もし、親族がいなかったら、はたしてどうなるかと考えてみた。
そこで今回は試しに、友人頼みでやってみようと思いつき、引き受けてもらえるかどうか3分程悩みつつ、友人3名に電話したところ、有り難くもいとも簡単に話がまとまり、結局、「身請け保証人(手術が失敗した時の死体引き取り役)」、「治療費支払い保証人(私の代わりに病院代を支払う役)」そして「手術立会人(始まりから終わりまでの半日付き合い役)」がすんなり決定し及ぶに至ったのである。  
しかしながら、今回引き受けてくれた友人たちが、私より先に逝ってしまったらどうなるかなど考えると笑い事ではすまされない話である。  
   
これらに係る「保証人」業務について代行するNPO法人など多くの組織があるようだが、現時点では法律整備が全く為されていないため、金銭トラブルが耐えず、ほとんどが泣き寝入りと聞く。
私は、本来、県市町など行政のなかで対応すべき問題ではないかと思いますが、皆様方におかれては、如何でしょうか。

27. 年賀状から暑中見舞いへ

2018/1/5 更新
宮仕えの頃には400枚前後あった年賀状も、退職後は300枚、200枚となり、64才の正月には130枚程となってしまったが、この程度の数ながら25日の締切前3~4日間は殆ど徹夜状態となる。しかも来年の事を今年と書かねばならない。この矛盾した苦しい作業を何十年とやってきた。
頂く年賀状を分析?してみると①今も親しく交流がある。②学生時代の友人でほとんど交流がない③宮仕え時代の役職交流で現在全く交流が無い等々で、「出すから来る。来るから出す」の様な裏も表も完全印刷の年賀状がかなりある。
そこで、65才を機に27年元旦とし、大変失礼ではあるが年齢の上下、お付き合いの深さ関係なく全ての方々に「今後の年賀状は失礼させて頂きますので、どうか寛恕をお願い致します」という「年賀状止めます宣言」をさせていただいた。
28年元旦付け年賀状が42通届いた。業者関係を除くと31通である。手書きが添えられているのがおおよそ半分で、中には返事いりません。私は死ぬまで書き続けます等がある。ただ、どう考えても私の最後の年賀状を読んでいないのではないかと思われる方が7人いた。
昨年の7月中旬頃から、暇を見て24人の方々に「暑中見舞い」を出した。夕食後、酔っぱらいが今のことを思いつくままに書くので、10日程かかったのではないかと思う。最後の方は「残暑見舞い」が適切だったかもしれない。
今年29年元旦付けで19通の年賀状を頂いた。昨年末に届いた喪中葉書3通を加えると22通。二人落っこちである。でも、19通の中に1通だけ全て手書きにも関わらず差出人住所・氏名の無いものがあった。誰か全く検討がつかない。字は私より、かなりヘタである。

26. 私の広島東洋カープ

2017/1/10 更新
私の「広島東洋カープ」がリーグ優勝した。と言っても私がオーナーではない。
オーナーではないが、各方面、沢山の方々からお祝いのメッセージ、メール等を頂いた。しかしながら、ホームパーティで私の家で飲んだくれている連中からは一言の挨拶もない。彼らが、私の家に来てもカープの「カ」の字も言わずグッズを見て見ぬ振りをしているのは、飲んだくれの私でもわかる。
ボランティアで広島から毎年2~3回農作業を手伝いに来てくれる浦栃君から、優勝胴上げ写真、祝勝ビールかけを行った時の全選手名入りのTシャツ、中国新聞の優勝号外、翌日の中国新聞など、ファンにとってはよだれの出るような優勝記念品をたくさん頂いた。持つべきものは金より「友」である。
「広島野球倶楽部・青い軍団」として1949年に球団設立され、翌1950年(昭和25年、私の生まれた年である)にプロ野球に初参戦したもの最下位の結果で終えた。 その後1968年に「広島東洋カープ・赤い軍団」となったものの、私の人生と同じく長い低迷期を続けたが、25年目(私が25才)にしてリーグ初優勝し、1991年までの間に計6回の優勝した後は、いわゆる第二次低迷期に入り込んだが、なんと昨年25年ぶりに7回目の優勝を成し遂げた。これが皆に吹聴している私の「私とカープ25年説」である。  
20億円のオファーを蹴り、2億円で広島復帰した「男気の塊」黒田投手が昨年引退し、おそらく今年は新井選手が引退すると思われるが、暫くは優勝、そして優勝に絡む結果を残してくれると期待している。
それにしてもマツダスタジアムの切符が手に入らない。昨年は、浦栃君の頑張りで一試合だけ応援に駆け付けることが出来た。もちろん11対3で中日相手のボロガチ。自慢ではないが(本当は大自慢)今まで数十試合応援観戦しているが一度も負けたことがない。
出来ることなら、衣笠祥雄氏の監督姿を見てみたい。そして私が逝くまでは、第三次低迷期が来ないよう節に祈っている。 なお、なぜ私が1996年からカープファンになったかの壮絶ドラマは、後日お話する事にする。

25.デコのあるデコポンは二級品

2015/4/6更新
当園がお届けしたデコポンについて、「デコポンの形してないけど?」とか「本当にデコポンなの?」って時々聞かれますが、デコポンの正式名称は「不知火(しらぬい)」といいます。
もともと長崎県にある農水省果樹試験場で開発されましたが、見た目が悪く(じく部の突起が大きく)腐敗しやすいことなどから品種登録されませんでした。
その後、熊本県不知火町の農協が品種改良のうえ「不知火」の名称で品種登録し、現在に至っておりますが、相変わらずポッコリ出っ張った不揃いの果実が多いため、これを売り物にしようということで、農協系統出荷で「デコポン」と名付けられたのです。
現在、各農協・市場関係等では、(市販されている殆どの果樹については)「選果基準」を設定しており、色・形・糖度・酸度・重量などをクリアして、秀品・優品・1級品・2級品他に分別されます(優秀という熟語が有りますが、柑橘類に関しては、優より秀が上位です)。
スーパーや通信販売など、皆さんが良く目にするデコポンは、軸のところがポッコリ飛び出ている物(写真の③④程度)が多いと思いますが、ハッキリ言ってこれらは2級品なのです。 あの飛び出ている部分には実が入っていません。ポッコリが大きいほど重量ばかりかさばり、中の実が小さく糖度も低いことから、選果基準では下位にランクされます。 右の写真①が、一番形の良いデコポンとされています。
 
当園では、極力①に近い物をお届けするようにしておりますが、数に限りもありますので、ご予約の遅かったお客様には、ポッコリばっかりになる場合もありますことを、ご了承下さい。
なお、ポッコリばっかりをご希望する場合は、その旨お知らせいただければ、喜んでお届けさせていただきます(笑)。

24.ゆず塩にはまる

2015/4/6更新
年末の「道の駅」でのこと、柚の小袋をいきなり10袋ほどを買い物かごに入れた女性に「そんなに沢山なにに使うの」と聞くと「ジャム」と「ゆず塩」を作るとのこと。その作り方を聞いてみたところ、とても簡単だったので早速作ってみた。
  1. サッと水洗いをして、ヘタや汚れた部分(種有り柚の場合は種を取り除く)を切り取り適当にカットする
  2. 柚の重量確認後、ミキサーにかけて、ドロドロ状態にする
  3. 柚の重さの20%分の塩を入れよくかき混ぜる
  4. 熱湯で殺菌した瓶やタッパーに小分けして出来上がりです。
  
事前にインターネットで調べてみたところ、作り方や、塩の種類(私は伯方の塩:あら塩を使用)、量も色々でしたが、結局教えてもらった塩の量を10%減し20%で作ってみました。 我が家では、里芋の煮付け、ぶり大根など、煮物に醤油を少な目にして火を止める直前に大さじ半分ほどを入れて、味、香りを楽しんでいます。 また、たまたまヒットしたのが、焼き飯で、塩こしょうを少な目にし、これも火を止める直前に大さじ1パイを入れかき混ぜるとメッチャさわやか味に仕上がり、我が家のホームパーティで大好評でした。
ちなみにタッパーに入れ冷凍保存すると1年以上保存が利くそうで、塩を10%減らした我が家の「ゆず塩」も同じか今年の分で試しております。
友人達に配りすぎて、我が家から小瓶が消滅してしまいました。
 
28.11.25
 使いながら冷蔵庫で一年間腐らずに保存できました。味・香り共に若干減退したような気がしますので、小瓶に分けて使うまで冷凍保存することをお薦めします。

23.二度目の入院

2014/1/8更新
生まれて二度目の入院は、クリスマス、正月共に病院で迎える二週間の酒・歌・踊り禁止のハーレム生活となった。
昨年5月の定期検査で5ミリ程度の腫瘍が確認されたが、11月の定期検査まで様子見ということでの再手術である。
12月の上旬から入院可能であったが、一番お誘いの多い時期に退院より、入院中の方が楽だと思い、仕事の段取りを見極めての年末入院・治療とした。 二度目なので総てのことにおいて段取り良く、スムーズに進み腫瘍自体も7ミリと前回治療時より小さかったため、内視鏡による施工時間79分の手術で無事終えることが出来た。切除は、3.3×2.3㎝である。
 
車の運転が必要な「夜の会合」や車の運転の必要ない「夜のパトロール」が無い日は、毎日下記のような家飲み状態であったが、
帰宅後、即
  • 缶ビール500MLを先ず1本
  • シャワー後に缶ビール500ML 
  • 夕食を作りながら缶ビール500ML
  • 夕食を食べながら焼酎1.5合(を湯割りもしくはロック)、時に缶ビール350ML追加、
  • くつろぎながら、PCの前でワイン360mL(半本)、
主治医から、一番の原因が酒とたばこの病気だから、喫煙しない私は酒を控えるようにと指導され、1回目の手術以降は、「ホームパーティ」や「夜のパトロール」以外は、
帰宅後すぐに
  • ノンアルコールビール350ML1本(情けない)
  • シャワー後 缶ビール350ML
  • 食事を作りながら缶ビール500ML、若しくはノンアルコール350ML1本、
  • 食事をとりながら缶ビール500ML1本、または焼酎1.5合(を湯割り)、
  • 食後くつろぎながらワイン半本(360MlL)
の生活になった。「夜のパトロール」が大幅に減った為、1回目手術前の五分の一以下となり、もちろん休肝日などと面倒くさいものは依然無く年中無休だ。
主治医からすると「何を何度言っても聞かない奴」とあきれ果てていることと思う。
ただ、今回も治療後の生活指導をしっかり頂いているので、守る努力もある程度必要かと思うが、私の場合半年に一度の定期検査をキッチリ受検し早めの治療を行ってもらっているから安心して飲めるのである。これも優秀でやさしいスタッフのお陰だと厚く感謝しており、お礼を兼ねて?来月はじめには、看護師さん達と我が家でワインパーティを予定している。
最近、食道癌患者が非常に多いと聞きます。治療(手術内容)、対策・対応、酒量など気になる方は、遠慮無く問い合わせ下さい。経験の範囲内でお話いたします。
 
今朝、家鋪隆仁(やしきたかじん)の訃報ニュースが入った。私の最初の手術より2ヶ月遅れで「食道癌」の手術をしたが、経過も良く昨年秋には三度目の年の差結婚をしたと聞き安堵していたが、三日の日に亡くなったという。
話し声とかけ離れた美声が好きで、また同級生、年の差結婚(私は一回こっきりだが)、毒舌と共通するところが多くあり、大ファンであった。「ゆめいらんかね」「やっぱ好きやねん」カラオケでよく歌ったが、彼に会える日まで封印しよう。心からご冥福を祈ります。

22.懲りない面々

2014/1/8更新
少しだが親から相続した四国電力(以下、四電という)株を保有している。両親が元気な頃、この配当金で毎年家族旅行をしていた記憶がある。
株価は、私が相続した時期の三分の一となり配当も一昨年から止まっている。本来なら株価の上昇と復配を願うところであるが、今は紙くずになっても良いと思っている
各電力会社の原発再稼働にかける執念は大変なもので、ちょんまげをつけていた時代の文献まで引っ張り出し、辻褄合わせになり振り構わずといった状況である。
我が県にある四電伊方原発3号機(福島第一原発と同じ「沸騰水型」)においては、現在、再稼働審査で焦点となる「基準値振動」を巡って、四電側の主張が中央構造線活断層から原発側への断層の傾きを過小評価していることで問題となっている。
四電の主張は最大地震を迎えた場合に3ケースを想定し、これら総てが科学的根拠としながら過去の文献等を前面に押しだして、中央構造線活断層より北側(広島県寄り)とする。
一方原子力規制委員会外部有識者でもある高知大学総合研究センターの岡村真特認教授(地震地質学)は、海上音波調査、地質の境界を調べる航空重力測定等を根拠に反論し、南側(原発側)の確率の方がより高くしかも震度が四電想定よりも大きいとしている。
以前のブログで紹介したようにこの中央構造線活断層は、原発沖6Kmのところを走っているのである。
 
今回、「基準値振動」を挙げたが、単なる一例でこれ以外にも数え切れない程多くの問題を抱え、言い訳山積みの再稼働申請である。
福島原発事故以来ほとんど改善・進歩の無い悲惨な現状を「対岸のよそら事」として見ている様な気がしてならない。
本来なら、全電力会社の原発担当最高技術者達が総出で福島に結集し、事故原因の究明、対応・対策、そして早期終結に向けて奮闘真っ直中でなれけばならなのに、3年目を迎える爆発現場は未だに手付かずのまま汚染水の垂れ流し状態であり、今後増え続ける使用済み核燃料(プルトニウム)の処理方法・処理場の先行きも見えぬままに再稼働も何もあったものではない。
 
今年の5月で原発全面停止となって丸2年となる。当初、電力不足で大変なことになると吹聴し「計画停電割り振り表」なるものを各家庭に送付してきた四電も「天に向かって唾を吐く」の如く、消費者の節電効果のお陰で生産電気が大きく余り収入減となった。この減収を円安による燃料コスト増に便乗して電気料金値上げでの回収を図っている。メチャクチャな話である。 電気料金が上がると企業の経営が成り立たなくなるとか、電力会社が弱体化すると出資している多くの金融機関が倒産するとか、あれこれ何でも再稼働の言い訳に使かってくる。それこそ一度ガラガラポンでやり直して欲しいものである。
 
私が知っているだけでも、松山市内の中心部に殆ど誰も使ってないテニスコート、鍵が締まって入れない四電公園と称する広大な空き地がある。確認できないので知るよしも無いが、四国内には同じような施設が無数にあるような気がする。企業本来の健全経営努力が全く無い。
私の母校は、バブル期終末頃に都心の駿河台(お茶の水)から八王子に移転した。当時、夜間部の学生・OBから凄まじい反対があったと聞くが今はどこ吹く風のようである。もちろんこの移転のお陰で大学の経営母体を再構築し健全経営を行っている。 各電力会社も原発敷地内へ本社屋を移転し、商社の言いなりでなく自社の燃料買い付けに始まり正当な入札による施設管理など、出来る限りの経営努力を見せてくれれば、電気料金が倍になろうが、食料品・工業製品等に転嫁されようが消費者は納得して支払う。
 
今年の年賀状に「最近、顔の縦じわが気になるので、年内にすべて横じわになるよう頑張ってみる」と書いてしまったが、ほうれい線は消えても眉間のしわは無理のようである。

21.猪肉の末路

2014/1/8更新
19.イノシシの初捕獲を読んで、「その肉はどうなったの」という質問メール、電話が併せて10件を越えたので遅まきながら回答いたします。
当園をこの世の天国とばかりに荒らし回っていた猪軍団一味の小兵を、一昨年の暮れ・昨年の正月明けと、立て続けに捕獲した。収穫前になると必ず出没し、一年かかってやっと作り上げた作品を食いあさってゆく憎き猪である。
鳥(カラス、ヒヨドリなど)獣(狸、猪、猿、鹿など)害は、農業者にとっては命取りの大変な被災であり、特に猿は対策がほとんど無く、猿が出だしたら農業を辞めてしまう人も沢山いるのが現状である。
幸いにも当園周辺では、現在のところ、猿、鹿の被災は聞いていない。 たまに「そういった動物達の食料としてうまくシェアし共存できないのですか」などと間抜けなことを言ってくれる人がいて、死活問題として必死に戦っている全国の農業者が聞けばドン引き、必ず袋たたき?
 
話は捕獲した猪に戻るが、捕獲したものの気持ち悪くて(最近は不思議と可哀想という感情は全く湧いてこなくなった)屠殺等出来ないため、2頭とも知り合いの知り合いという(全く知らない)人に行ってもらった。 地域によって異なるようであるが、その人の狩猟仲間では、捕獲した者、解体作業を行った者の人数で平等分けするとのこと。当然私にも(1/4の分け前)肉が配当されたのである。
その昔何度か料理店で「ボタン鍋」と称した猪肉を食したことはあったが自分から進んでまた食べたいと思った記憶は無い。 調理方法を2~3種教えてもらい頑張ってみたものの、臭いはショウガ、ニンニク、ユズ皮などで消去出来るが、とにかく固い!前歯3本差し歯の私にはリスクが伴いちょっと無理、圧力釜をしても固い! 近頃、県内でも町おこしのB級グルメと銘打って鹿や猪肉を使ってのハンバーグやホット猪ドッグ?など各地域で売り出しているが、食べてみたいとは思わない。「猪肉は美味しい」という人の食感が今ひとつ理解できない。
 
結局もらった猪の肉は、当園の警備対策本部長のおやつ、小料理屋をやっている友人へのプレゼントとなった。
「牛肉に敵無し!牛肉に勝るものは無し!」である。

20.消える寄付金・義捐金

2013/1/8更新
正月休みにボーっとテレビを見ていたら、福島県だけで 305,000人の人々が仮設住宅に住み、食料に不自由したり、暖をとる灯油もままならず寒さに震えている多くの人達がいることを知った。原発事故被災地のため帰るに帰れない、津波に対応できる住宅地の確保が困難、被災地の整備が出来ない等理由は色々とあるらしいが、私が最も気になるのは、被災地支援の名目で集められた善意の寄付金・義捐金の行方である。
一人で億を超える巨額の寄付をしたアスリートや芸能人、少ない小遣いをかき集めてみんなで寄付した子供達、色々な組織・団体・町内会など、日本全国から善意が寄せられた。また、海外からは、官民併せて(殆どが民)200億円を超える台湾からの寄付を始め、多くの国・組織から莫大な寄付が被災地救済として届いている。
あくまで日本赤十字社の発表であるが、同社では昨年11月末で3650億円集まったとのこと。発表のない(私がしらないだけかも)共同募金、足長育英会、その他諸々の受付者を併せると私の皮算用では総額7000億円以上集まっているのではないかと思う。これらの寄付金・義捐金が被災地の方々にまっとうに届いておれば、お腹を空かし、ストーブや灯油も買えず布団にくるまって正月を過ごしている人はいないはずだ。 震災復興特別予算がバカな役人・議員によってとんでもない使い方をされている事は、既に承知の事であるが、まさか寄付金・義捐金も同じようなことになっているのではないか危惧される。
 
共同募金、日本赤十字社からは回答が得られなかったが、ネットで調べた限りでは足長育英会と同じような内容であった。ちなみに足長育英会の総務T氏からいただいた情報を要約すると、
任意法人であるため、①「定款」は無く「会則」で運営されており、②会則により、寄付金の三分の二までは、同会の啓蒙普及活動、理事・職員・その他構成員の給与・報酬等に充てることが出来るとなっており、寄付金全額が被災者へ提供される保証は無い③公益法人でないため、行政監察・外部監査等、社外からの監査のチェック機能が働かないため、同社から公表される資料のみでの確認となる
以上であるが、私のネットによる知識では、足長育英会は元々交通遺児救済を目的として立ち上げられた組織であるが、交通災害保険の進歩による救済が大きくなったことにより、収入(寄付)が減り運営が厳しくなってきた?ので、震災等災害遺児救済部門に触手を伸ばしたとして、一時国会でも問題視されたことがあるとのことであった。
 
社会人になって4~5年目のことと記憶する。職場にて「アフリカ難民救済の寄付を」ということで、やむなく2千円を寄付し領収書代わりに名簿へ住所・氏名を記入した。月給が手取りで五万円そこそこの時代である。
忘れた頃に、ユニセフから礼状と再度寄付依頼の振り込み用紙が届いた。その後何度も送られてきたが無視していると私の氏名を印刷したステッカーが届き、転居するまでの10数年間送られ続けた。 郵送料・振り込み用紙やステッカー印刷代に幾らかかっているか知るよしもない。

19.イノシシの初捕獲

2013/1/8更新
このところの狸とイノシシ被害には、頭を抱えている。 昨年の夏頃までは、主に狸の被害が多く、そこそこ対策も行い、毎年2~3頭の捕獲をしていたが、秋に入ってからはイノシシが加わって我が園内を闊歩しているのである。
狸の場合、小柄であるためか樹の下部を食い荒らして行くが、イノシシは、樹になっている実の殆どを食い尽くし、手足の届く枝は遠慮無くヘシ折っていくのである。 両者とも収穫直前の味が良くなってくる時期になると必ずやって来る。
4年ほど前に「罠」を仕掛ける資格、いわゆる狩猟免許を取得した。
受験のための講習会参加費用、受験費用、登録費用、登録条件となっている人身損害保険料、狸罠購入費、イノシシ罠檻購入・運搬料、免許更新料など出費も半端でない。 狸は頭が悪いのか罠の中にバナナや竹輪(値段は関係ないようで、いつも3本98円のやつである)など入れておくと付近を通れば必ずかかってくれるが、イノシシはなかなかのものですぐ横に足跡を確認できてもかかったことがなかった。
ところが、昨年の12月24日サンタさんの贈り物かのように3年目にして初めてかかったのである。
自分では始末を付けられないので、可哀想ではあるが知人の知人にお願いして屠殺してもらった。
生後7ヶ月程度の男の子との事であった。未だに我が園を闊歩し、好き放題しているのは、この両親と兄弟達に違いない。 翌日から、仕返しされているかの如くイノシシ被害は続き、徐々にひどさを増しているように思える。
今後、当園自慢のデコポン、ネーブル、せとか、カラマンダリン等、近隣農家には無い越冬した「木成り完熟果」が続々熟成していく。
集中攻撃を受けるのかと思うとマジで頭が痛い!気が重い!

18.癌の告知

2011/12/22 更新
毎年、秋口に「ペット2日ドック」を受診し健康体を確認している。ところが今年、ペット検診では異常がみられなかったものの、内視鏡検査によって「食道癌」が発見された。サザンオールスターの桑田圭祐やタレントの故宮尾すすむ、ごく最近では落語家の故立川談志(死因は転移した喉頭癌)と同種である。 進行度によってステージT0から1・2・3・T4に分類され、初期のT0でも施術5年後の生存率が14%といい、他部位への転移率が非常に高い厄介者である。
思えば、今から27年前に父が体調不良により検査入院をした際、父に内緒で母と私が医師に呼ばれ詳細説明を受けた後、本人には極秘のうちに「癌」の治療・加療が進められた。 父は若いころ獣医師をしていたので、知り合いの薬品会社社員に錠剤に打ち込まれている数字で何の薬か調べさせていたようで、自分が癌であることを知っていたのではないかと思われる。
それにしても、当時は、「癌病は不治の病」とされ、宣告を受けると本人がパニックになる可能性があるとのことで、先ずは家族に告知され、これを受けた家族は、ばれないようにピリピリしていたものであった。
医学の進歩と共に民事訴訟法のとらえ方も変化し、告知の方法も大きく変わってきたのではないかと思われる。
私の場合、ドック結果通知が2週間後にもかかわらず5日後に携帯電話へ「腫瘍が見つかり悪性の可能性があるので再検査する」旨の連絡があり、翌日に内視鏡検査を行い、その約10日後に手術の方法を決めるための再々内視鏡検査を行っての入院日決定となった。
この間、父の時とは真逆で、家族へどの様に話そうか、入院期間中の仕事の段取り等もあり、どこまでの範囲にまで話しておけばよいのか等、自分の病気よりもこちらのほうで悩むといった始末。 告知の時期・方法については、病気の進捗状況や患者の性格にもより、今昔のどちらが良いのか判らないが、あまりにもアッサリと「悪性の癌です」と言われた時の私は、「ハァそうですか」と言いながら薄ら笑いをしていたような気がする。
 
おかげ様で、主治医はじめ良いスタッフに恵まれ、無事に治療・加療を終えることができた。 「悪性腫瘍」ということもあり、数ヶ月に一度の追跡検査と酒量を減らすなどいくつかの宿題をもらってはいるが、今は元気に日常生活を送っている。

17.TPP反対より脱原発

2011/11/24 更新
愛媛県には原子力発電所があり、県都松山市から直線距離で45km足らずの伊方町に3基、しかもA級活断層の中央構造線まで6kmの距離である。 1号基は現在休止中で、運転開始30年となる2号基は24年1月に休止・定期検査に入る。又、3号基は定期検査・ストレステストを終えて国に報告書を提出中である。稼働に当たっては県知事と地元首長が0Kを出せば否応なしに進められる。地元、県共に「四国管内(四国電力)の原発依存度が高いため、国が安全方策と、これに係る責任・補償を明確にすれば稼働もやむを得ない」さらに地元では「主たる産業もないため原発廃止に当たっては国の助成等の確約が必要」と稼動前向きの公言をはばからない。
全く持ってふざけた話である。すべて国に責任を押しつけ、できるだけ何かをもぎ取ろうとしており、自分たちで解決しようという気力が全く感じられないだけでなく、周辺市町が総て脱原発を表明しているのに一番危険にさらされている地元住民の過半数以上が原発推進賛成という。 電力社においては、原発の代替電源確保は難しく四国管内への供給不足は必死としながら、今持って下請け業者や住宅建築メーカーなどを使って「オール電化フェア」を派手に繰り広げ、完全に原発ありきである。 原発を抱える多くの県・地元市町が同じ感覚ではないのでしょうか。 原発事故を矮小化する政府や過小評価をする御用学者を告発すべき立場にある新聞・テレビなどの報道機関が機能していないことも大問題である。先の全く見えない福島県の生々しい惨状をみて、まだ目が覚めやらない愚か者達にウンザリです。
原発の恩恵を受けている伊方町・八幡浜市は愛媛県でもトップレベルの「ミカン生産地域」であり、今、農業者・農業団体が一体となってTPPで「柑橘が壊滅的打撃を受ける」と大騒ぎしているが、TPP交渉によって仮に農産物すべてが輸入自由化されても、原発事故が発生すれば、農産物価格がどうこう言う前に、農業そのものが出来なくなり、そこに住むことさえ出来なくなる。
かつての牛肉・オレンジ一部自由化、ガット・ウルグアイラウンドによる米の輸入一部自由化の時も「日本の農業は潰れてしまう」と日本国中の農業者・農業団体が大騒ぎしたが、未だに潰れていない。
結局、国から莫大な税金が、各種農業関係事業の補助金、個々の農業者へ直接払いする助成金(ばらまき行政)に投入された。
今、日本の農業は後継者不足による従事者の高齢化によって衰退の一途である。ただ、沢山の若い農業者達が「農業は大きな転換期にあり」とブランドを立ち上げたり、生産・加工・販売の一貫経営目指すなど、海外を見据えたグローバルな経営感覚で頑張っていることも事実である。
農業が衰退していくのは、日本の農地の6割ほどが中山間地域にあることと、これまでの誤った農業行政といった日本のお国の事情で、決して自由貿易などによる外圧のせいではない。 私も農業者の一人であるが、安全な良いものを自信を持って生産すれば、少々値段が高くなっても消費者は絶対についてきてくれると信じている。
ダラダラとただ数多く作れば農協が面倒みてくれる。文句たれれば国が補助金を垂れ流す。「政治家や農業団体の飯の種」といった時代は既に終わっている。 TPP反対のパワーを「脱原発」パワーに転換して欲しいものである。