深夜、飛燕は厠へと立った。
暗い廊下を歩いていると低い声で話す雷電と月光の会話が聞こえてくる。
飛燕は無意識のうちに気配を消して二人の居る部屋へと近づいた。




 「子供たちには… 飛燕と臣人にはまだ告げぬほうが良いで御座るな。」
雷電は考え込みながらこう続けた。
 「臣人は我等から離したほうが安全やもしれぬな。三面拳と共に行動すれば嫌でも目立ってしまう。」
 「異国の寺では如何でしょう。わたしが以前体術を学んだ覇極流の寺ならば…。」
飛燕はそっと、その場から去った。

寺の修行僧達と雑魚寝している大広間に音も無く入ると、そっと伊達の肩を揺すって起こす。
 




伊達がふたたび、うとうとし始めた時に部屋の外に足音が聞こえたかと思うと、室内に月光が入って来た。
隣に敷いてある布団には飛燕が枕などを入れて、細工していたようだが、流石に月光は誤魔化せない。すぐさま伊達は月光に詰問される羽目になった。
月光に嘘をついても仕方が無い。あっさりと飛燕が寺を抜け出した事を白状する。
 (こりゃあ、飛燕は当分罰掃除。俺も付き合わされるんだろう。)
そんなことを考えていた。
 「雷電!」
月光が大声を出して立ち上がり、部屋を跳び出した。その声に他の修行僧達も目を覚ます。
その月光の鋭い声に、伊達は何事かが起きているということを知った。


暗い森の中を伊達と月光、そして雷電が駆け抜ける。
一番早いのは月光。盲目であるから光も闇も関係が無い。むしろ闇の中のほうが心眼が研ぎ澄まされるのだそうだ。
寺を出る時、二人を呼び止めて伊達は手首の包帯を解いた。そして呪われた刻印を見せながら言った。
 「俺のせいだ。きっとあいつは、飛燕は」
雷電は少年の骨ばってはいるがまだ細い手首にそっと触れる。
 「飛燕のところへ急ぐで御座るよ。」
雷電は優しく微笑んだ。月光は微笑むかわりに包帯を拾い上げ、少年に手渡した。

駆けながら雷電が伊達に向かって安心させるように声をかけた。
 「安心するで御座るよ。あの子はお主が考えているより強い。
この暗闇であれば子供ということで敵が自分と臣人を間違えること、そして千本での遠隔攻撃で混乱を誘うつもりで御座ろう。与えられた状況を活かして闘う筈で御座る。」




 相手にしているのは果たして、孤戮闘から逃げ出した子供なのだろうか。
 伊達と同じ刺青を持つ男は疑問に感じ始めていた。確かに強い。強いがこのように繊細な闘い方をする子供であったろうか。脱走してからは数年経っているから、闘いも変化するだろうし、武術を学ぶ寺に滞在していたという事も耳にしている。なにより、その子供をよく知っているわけではない。それでもこの闘い方は孤戮闘で生き残った者とは違うような気がする。
ああ、そうだ。死ぬか生きるかという孤戮闘の掟が感じられないのだ。
感じ取れるものは、自らの命を投げ打っても何かを守ろうとする意思。孤戮闘の人間にはそんな意思は存在しない。
そう男が気がついた時、気配が増えた。
ひとつは熟練した思慮深げなもの。
ひとつは冷たさを感じるほどの静かな殺気。
もうひとつは子供のものとだけが感じ取れた。


すべてが終わった時には朝陽が昇っていた。
黒尽くめの男の遺体を人目につかぬよう埋め、寺への参道を無言で歩く。
ふと、伊達は横を歩く飛燕に目を向ける。
朝陽に照らされた飛燕の髪が真紅に染まって見えた。飛燕自身の血あるいは返り血が付いているのかと思うほど赤かった。朝陽のせいだと、すぐに気付きはしたが。
幼くして地獄に堕とされ、修羅の道を歩くことを運命づけられた自分。
では、こいつはどうなのだ。
この可憐な容貌で生まれ落ちた瞬間から、あるいはこの世に生まれる前から地獄に堕ちていたのではないだろうか。
そう思わせる程の凄絶な美しさを太陽は赤く照らしていた。

自分の追手と闘っている間、ずっと飛燕を怒鳴りつける事ばかり考えていた。
俺の身代わりなど、余計なお世話だ。ありがたがるとでも思っているのか。ついでにぶん殴る事も予定していた。
しかし、今は何も言葉が出て来なかった。やっと搾り出すように一言だけ告げた。
「もう…、やめてくれ。こんな事は。」




この三人に見守られて、ゆっくりと子供は少年になる。