イラク戦争から見た のアメリカ・ろな日本
−平和を守るための「整憲論」(第九条考え直し論)-



■3、日米安保と自衛隊と有事法制■



●戦後世界の原理●



E:
繰り返しになるが再確認しておこう。

 第二次世界大戦が終わり、西欧各国は“軍事力でなく話し合いを外交の手段とする”という1928年に締結された「パリ不戦条約(ケロッグ‐ブリアン協定)」を基礎とした「国連憲章(1945)」に則って国作りを再開した。ということは、アメリカを除くどの国にも、 “もう戦争はこりごりだ”という共通認識があったわけだ。だから軍隊を編制するにしても、かの不戦条約を基礎に編制したはずだ。

 つまり他国からの侵略の可能性があるから仕方なしに軍備を持つという共通了解があった。だが日本はその軍備すら奪われた。「軍事及び交戦権の否認」、これは「パリ不戦条約」の視点から見ても極端なものに違いない。

H:
とはいえ当時の壊滅的状況からすれば、たとえ占領軍による押し付けであっても、決して時代に則していないものではなかったはずなんだ。むしろ時代の最先端にあったわけだ。

E:
まあ、ある意味ではそうともいえるが、むしろさっきも言ったように、“自衛権すら奪われる”というのは終戦直後といえども、やっぱり現実的でなさ過ぎる。さすがに西欧諸国は軍隊を否定することはしなかったからな。

 もっとも軍隊といっても、国防軍(自衛隊)として作られたし、今だって基本的にはそうした性格のものであるはずだよ。アメリカのあの巨大な軍隊だってとりあえずは国防軍(自衛隊)なんだ。つまり、もし他国が攻めてきたら国を守るが、戦争は仕掛けないということだ。現実を見ればそうなっていないから変な気がしてくるが、ともかく原理的にはそういうことなんだ。


●集団的自衛権とは?●



H:
だが、現実は自衛権を超えて他国へ侵略する可能性を秘めている。

 つまり、軍隊を持つということは、お前の言う界の相対的自立性の危険性が介在し、その自衛の原理自体がねじれてしまいがちだ、ということになる。

E:
その点はもっと後で議論することにしよう。

 ともかく国連創設の際にはそうした個別的自衛権だけの保証を当初意味していたのだが、中南米諸国に渦巻くアルゼンチン(ナチスドイツ関係国)からの侵略への不安から集団的自衛権の要求が強く、自衛権の一つとして「集団的自衛権」が採択されたんだ。

H:この前、集団的自衛権は補足的なものだ、と言っていたのはそういう意味だったのか?

 というのは、小国が自国だけでは侵略を防ぎきれないとき、同盟国が助け舟を出すという意味なんだよな。でも、それではまるで「パリ不戦条約」から一歩も二歩も退いた感じではないか?
 それに国連軍はどうしたんだ。

E:これは複雑な問題を含むが、それを簡単に説明すると、『国連憲章』の第六章(第三十三〜三十八条)で「紛争の平和的解決」を求め、当事国が国連の勧告に従わないとき非軍事的措置として外交制裁や経済制裁(第七章第四十一条)をとるが、それでも不十分なときは、軍事的に紛争への強制行動(第七章第四十二条)ができるわけで、そのとき国連軍の出動となる(13)

 ところがこれには安全保障理事会の決議を待つことが必要で、それには時間がかかるからね、それまでの間、個別的自衛権、及び集団的自衛権(第七章第五十一条)が許されることになっている。しかし集団的自衛権の行動とて、国際連合の目的や原則(第一章第一条・二条)に反しないことが条件なのはいうまでもない。

 ところで、国連軍の発動って、これまでに聞いたことがあるか? ないよね? つまり問題なのは安全保障理事会には常任理事国[五大国=米・英・仏・ロ(ソ)・中]の拒否権(第五章第二十七条)があるわけで、簡単には実現できない仕組みになっているんだ。特に冷戦時は、米・ソのどちらかが拒否権を発動したから、国連軍が機能するわけがない。

H:ここでも現実的には大国間の利害が優先されていて、平和への道が閉ざされてしまうんだよな? そして集団的自衛権が現実の紛争解決の手段となっているのが現状ってわけだ。



●日米安保と自衛隊と解釈改憲●



E:
話は微妙だが、大枠ではそうだろうな。国連の不備がますます問題を複雑にしていると言っていいかもしれない。

 それはともかく、時代が少し下って朝鮮戦争(1950)が勃発し、周知のようにアメリカは日本国内の治安維持をさせるために「警察予備隊」(1950)を発足させ、その後それが「保安隊」(1952)と改称され、更にその二年後には、保安隊が陸上自衛隊に改編され、警備隊が海上自衛隊に変わり、新規に航空自衛隊が創設されることで、現在の「自衛隊」(1954)が発足したわけだ。

 『自衛隊法』第三条には、「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし…」と規定されており、自衛権を意味する内容となっている。ここから、それまで燻(くすぶ)っていた解釈問題や改憲問題がいよいよ本格化したんだ。

H:
「自衛隊」は充分戦力に当たるわけで文字通りにとれば、『日本国憲法』に違反している。だから解釈問題として、つまり「解釈改憲」の問題が延々と続いたわけだ。

 確かに自衛隊は憲法違反ではあるが、それでも、とりあえずは他国と同じ自衛部隊を持ち「普通の国家?」になったのではないのか? それだけでよかったのではないのか? 「集団的自衛権」は国連創設の際、補足的なものであったはずだろう。それに1951年に「サンフランシスコ平和条約」とともに調印された「日米安全保障条約」は二国間条約で、しかも日本に何か起こったときはアメリカが守り、その逆はないということ、つまり片務的(へんむてき)だから日本にとっては集団的自衛権ではないといえる。現在のままでもいいのではないのか?

E:
この問題は憲法問題と絡むから、結論は最後まで保留しよう。

 まあ、これまでは解釈改憲でやり過ごせてきたのは事実だよ。しかし、時代状況はいろいろな意味で複雑になり、やり過ごすことが難しくなったのが現代なんだろう。


●イラク戦争の問題●



E:
ともかくもう少し歴史をなぞってみよう。

 第二次大戦後、集団的自衛権が主流になり、今に至っているわけだが、確かに、「集団的自衛権」は、冷戦時は北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構(WTO)として対立し、相互に牽制するのに利用され、それにはそれなりの意味も、本来の役割もあったのかもしれない。

H:
それでも、この前お前が言っていたように、現実にはアメリカによるベトナム戦争やソ連によるアフガニスタン侵攻も集団的自衛権の発動とされている。しかし、あれからちょっと調べてみたんだが、アメリカのニカラグア侵攻(1981)には国際司法裁判所が米国に有罪の判決を下しており、さらにグレナダ侵攻(1983)は国連総会が侵略と判断しているらしい。つまり、集団的自衛権なら何でもよいというわけにはいかない。

 こうして、戦後発動された10近い集団的自衛権の発動のほとんどはアメリカが絡んでいたと言えるのではないか。アメリカは冷戦中も国連を軽視して紛争に介入していた…。

E:
その通り。だから、軍産複合体の戦時国家アメリカが中心になる冷戦後の様相は推して知るべしなんだ。

前回にも言ったが、東西冷戦が終わり、それでも湾岸戦争の多国籍軍はまだしも、アメリカは今回の同時多発テロを「戦争」と定義し、NATO軍も「集団的自衛権」の行使を決定したわけで、それを梃子(てこ)にアフガニスタン空爆が開始され、さらに今度のイラク戦争へと繋がっている。

 だから今こそ集団的自衛権とは何なのか? が改めて問われねばならない。冷戦時のような仮想敵国がなくなりアメリカはますます横暴になっている気がするからね。その分だけ世界全体に不安要素が増しており、日本はこのままでいいのかどうかが疑問視されている。

H:
現実はそうだろうと思う。特にイラク戦争は、国連決議を経ず単独で行なわれ、攻めてくる意志があるのかないのかも分からない国に対する先制攻撃以外の何物でもなく、「国連憲章」違反であることははっきりしている。
 つまり、集団的自衛権の正規の発動とはいえない。しかもそれがアメリカの国益や私益と密接に絡んでいるということなのだ。それは「集団的自衛権」という名でなされる「侵略権」の保証ではないか、とお前だってこの前言っていたではないか。

E:
そうだね。確かに日本はその侵略のおこぼれのために追随しているわけだ。旧来の帝国主義的侵略とは位相を異にした、「集団的自衛権」「世界平和」を隠れ蓑にした侵略。見えない侵略への加担がこれなんだ。

 しかし、だからといって自民党(政府)も民主党も日本を軍国主義国家として戦前に復帰させようとは思ってはいないだろうと思うよ。



●不安な世界と有事法制●



H:まあそう言われれば、確かに有事法制の問題も、日米安保の再定義(日米軍事同盟強化)、日本の再軍備化の動きも、アメリカの軍事的プレゼンスへの協力という意味合いが強い。

 とはいっても、それだけで憲法改正への動きがこうまで急になるものか、やはりそこには軍国主義への動きが働いているのではないのか?

E:君が“日本が軍事的に海外に出て行って植民地化しようとする意味での軍国主義”をイメージしているのなら、それは違うと僕は思っている。

 これからは歴史がどう動くか流動的だから何ともいえないが、グローバリゼーションを基礎にした新種の《帝国》ができつつあるのなら、アメリカを強く意識せざるを得ない現状もある。これまで見てきたように国連が事実上不備であり、しかもアメリカの意見を無視できない状況であるのも事実なのだ。これは本当に危険なことだよ。アメリカは前にも話したように第二次世界大戦中の国家意識をそのまま保持した軍産複合体の国家なのだから。

 世界がアメリカの一極支配に向かうのか、それとも多極化するかは不明だが、現時点ではまだ前者(アメリカ)が優勢だからね。

 ところで、有事法制(14)
はアメリカの要請に添おうとする側面だけはでなく、日本固有の問題も含んでいることに注意しなくてはならない。
先にも触れたように、アメリカは同時多発テロ以降、「ホームランド・ディフェンス」をとり、戦略も「トランスフォーメーション」へと比重を移している。つまりアメリカの戦略が非対称的戦略になると、日本の立場は多分微妙なところに立たされることになるはずだ。

 時代の状況が変わり、冷戦の論理が通じなくなった今、少なくとも日本固有の意味でも有事立法は不可避であるに違いない。東アジアは未だ不安定要因を抱えていて、北朝鮮の危険性、まだ顕在化していないが中国の覇権主義も流動的で不気味だともいえる。アメリカの傘の下に安閑としてはいられない時代なのだ。しかも、そのアメリカは今では日米安保の片務性に対し、ますます苦々しく思い始めている。もう15年も前に冷戦の時代は終わったのだから…。アメリカの関心の対象は、さっきも話したように、非対称型戦略に移行しているのだから…。

 その上、アメリカの覇権主義こそが不安材料にもなっている。これからは「このままで何とかなるさ」「なるようになるよ」という冷戦時代にはそれなりに通じた無責任な意見は通用しなくなるだろう。事が起こってからでは遅すぎる。やはり、「 “武力攻撃”に対する自衛は考えておいた方がよい」と考えてしまうんだ。政府や民主党がどういう意味を含んで改憲を唱えているかは別にしても…。

H:おやおや、いつの間にやらお前は改憲論者になったらしい。ずいぶん保守的な考えに傾いていないか?

E:いや、そう言われると困るんだが、少なくも保守的なわけではないよ。まあ、そんなに結論を急ぐこともないさ。有事法制の問題にしても保守とは異なった視点で考えることもできるだろう。

 その前に現実をもっとしっかり見据えておいた方がよいと思う。それを抜きに、「護憲だ」「改憲だ」と言ってみても何も生産的な議論は生まれないからね。もう少し現実につきあってみよう。


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