イラク戦争から見た のアメリカ・ろな日本
−平和を守るための「整憲論」(第九条考え直し論)-



■6、「護憲」か?「改憲」か? それとも「整憲(せいけん)」か?■



H:
そうかなぁ? 今日もずいぶん話してきたが、お前の言いたいことはまだよく分からん。やはりどこかで行き違いになっているような気分になってくるよ。

 アメリカからの相対的自立性が話題になったところで、そろそろ先延ばしにしてきた「護憲」か?「改憲」か?の問題を片付けよう。お前は意識的に結論を引き延ばしてきたのだろう?

E:
バレバレだね? というか、最初に君のスケジュールを聞いたとき、最後に「護憲」か?「改憲」か?を議論することになっていたから、だから先延ばしにしたのさ。


●憲法改正の可能性と焦点●



E:
ともかく今日本で憲法問題が熱く議論されているのは、憲法改正の可能性が出てきたからだろう。これまでは憲法改正は恐らくありえないと思われていたから…。

H:
現行の「日本国憲法」は、硬性(こうせい)憲法だから、『憲法』を改正するには、第九十六条で「国会議員の三分の二以上の賛成で発議し、国民投票でその過半数の同意を得なくてはならない」と、かなり厳しい条件が課されている。

 ところが最近になって、憲法改正論を唱えている与党「自民党」「公明党」と最大野党「民主党」をあわせ、議席の約92%を占めるようになったというからね。

E:
つまり憲法を改正する条件の一つはクリアできる可能性が出てきたということだ。とはいっても、自民党と民主党の意見が調整できるかどうかの問題はあるが…。

 ともかく、これまでは憲法の改正を議論したところであまり現実的な感じがしなかった。もっとも、もう一つの条件、国民投票の方はまだ微妙だが…。

H:
改憲論といっても、第九条だけではなく、時代に合わなくなった理由として「プライバシーに関する権利」や「環境に関する権利」それに「日本国籍を保有していない定住外国人の権利」などという新しい権利が憲法に含まれていないということ、その他にも「首相の直接選挙」とか「国会の一院制への改編」などが挙がっている。

 しかしこれらはさして問題にはならない。今の憲法のままでも何とかなるものや、わざわざ変えなくてもというものだからね。それらを持ち出す理由は第九条改正問題から国民の目をそらす隠れ蓑でしかないだろう。やはりメインは第九条の改正に他ならない。

 ところで、これまでの話を聞いているとお前は“改憲論”に傾いているような気がするんだが、違うか?



●憲法第九条の問題点●



E:
一挙に切り込んできたね。僕は、憲法「第九条」を考え直すことは理論的には不可避ではないかと思っているよ。その意味では一種の「改憲論者」だと言っていいだろう。でも自民党や民主党の改憲論とはくれぐれも一緒にしないでくれよ。

 ところで君は根っからの「護憲論者」だが、一番の論拠はどんなところにあるんだ?

H:
それは、第九条はやっぱり政府や政治家それに自衛隊の暴走を抑える「重石(おもし)」というか、「頚木(くびき)」になっているところかな。なんといっても「憲法」は国の基本法で、「国民が公権力を縛るルール」だからな。

E:
なるほど。「憲法頚木論」か? 確かにそういう主張は分からなくもない。そして頚木がはずれてしまえばどの方向へ進んで行くかは不明だからね。危険性も強い。

H:
そうだろう? 今はそうでなくてもやがて軍国主義に走る可能性はあると思うよ。皆無ではない。だからこそ頚木が必要なんだ。

E:
だが、現実のことを考えてみると自衛隊が不要だという結論にはならないだろう?

H:
うーん…、でも、確かにアメリカと行動をともにしている限りテロの標的になる可能性はあるけれど、アメリカと一線を画していれば、テロの標的にされることはまずないだろう。

 それに、北朝鮮や中国など東アジアの問題も、これらの国を敵視するアメリカに追随していることが原因であったり、これらの国と日本を分断させようとするアメリカの裏工作が原因だったりする。

E:
まあ。多分そうした側面はあると思うよ。それに国と国の直接的な戦闘は今では可能性が薄いのも事実だろう。だから、この点では確かに巷(ちまた)で騒がれるほどには危険ではないのかもしれない。

 だが、たとえそうだとしても、そんな直接的な侵略戦争に対する自衛的意味ばかりでなく、国家間の経済的・外交的な抑止的意味がないわけではない、やはり自衛隊は必要に違いない。

 事実、アジア近海は海賊的行為が横行し、公海で日本の漁船や物資を輸送する船舶が被害を受けたり、1991年には東シナ海で中国船による銃撃事件が頻発した。それに1999年や2001年には不審船が日本の領海内で発見され海上保安庁の巡視船と銃撃戦になったり、その他にも尖閣諸島や南沙諸島を通る日本のタンカーが中国海軍から砲撃を受けたことも見逃せない。北朝鮮の弾道ミサイル、テポドン、ノドンによる脅しも無視できない。

 要するに、何も国家間の戦争や侵略などという大きな問題を必ずしも想定する必要があるわけではないんだ。もちろんそれとて絶対にないとは言い切れんが…。それはともかく、ここに挙げた日常に起こる国家間問題は丸腰の政治的外交だけで抑止できる種類のものではないだろう。自衛隊が存在することで政治的な外交のあり方も変わってくるに違いない。自衛隊が適正規模かどうかは別の問題として…。

H:
そうかなあ? 軍隊を持つことでかえって危険に陥ることもあるさ。

 まあ、そうは言っても俺は極論を言うつもりはないよ。自衛隊すら必要ないのは確かに理想だが・・・。だから、俺は現時点で自衛隊が不必要だなんて思っていない。

E:
でも、さっき君は「自衛隊は違憲だ」と言っていなかったか? 確かに君は自衛隊があることで普通の国家になったとは言っていたが…。それにもかかわらず、自衛隊は憲法違反だ、とも言っていた。多くの護憲派は、君だけでなく、こうした矛盾を往々にして意識の内から消しておいて、旧来の主張を延々と繰り返している。

 僕が思うのに護憲派が筋を通そうとするなら、「自衛隊は憲法違反だ。だから今すぐにはできないが徐々に自衛隊を縮小し、やがて廃止すべきだ」ということにしか正当性はないだろう。つまり、「自衛隊はいらない」と言うべきなんだ。

H:しかし、現実はそうはいかないよ。現行憲法の「頚木」のもとに、とりあえず自衛隊を認めて…。

E:そうはいうけれど、問題はそこに齟齬があるから、それをどうするか、ということだろう? 「自衛隊の必要性を認めて憲法を考え直す」のか、それとも「憲法の理念を認めて自衛隊を廃止する」のか、…そういうことだと思うんだ。

 第九条を引用すると:

[第一項]
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
[第二項]
 
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

  となっているだろう?

H:
でもある法律家は、第九条は自衛権を否定していないという解釈を施しているらしい。自衛権は国際法上の独立国に当然認められているし、だからこそ明文を必要としない…、と。

E:
そういう解釈は確かにあるが、先ほどの「憲法の制定過程」を鑑みれば、[第一項]と[第二項]の間にはその解釈を拒むものがあるように思うよ。

 確かに、[第一項]は、戦後のどの国にも保証されている自衛権までは否定してはいない。

 だが[第二項]では、基本的には、やはり一切の戦力も交戦権も否定されるわけで、これだと自衛権も保証されていないことになるのではないのか? つまり[第一項]と[第二項]をざっと通して読めば、その意図するところは日本には自衛権すら存在しないことになる。つまり、自衛隊は違憲だ、と。

 古来ソクラテスの時代から法律家はソフィストで白を黒と黒は白と読み込もうとするものだが、この第九条の意図するところをざっと読めば、どうやら自衛権の保証は含まれない、と読める。マッカーサーは、日本の牙を完全に抜き去るために、自衛を含んだ「一切の戦争の放棄」を謳(うた)っていたわけだからね。

 こうして第九条は本来は「自衛権すら保証できないもの」になっているといっていい。


●解釈改憲と第九条の曖昧さ●



H:うーん、何だか奥歯に物の挟まったような物言いだな? 「意図するところをざっと読めば」とか「本来は」って、またお前の人を煙に巻く戦法かい?

 ところで、意図するところを読めば「自衛権の放棄」を意味する第九条が、なぜ「解釈改憲」を呼び込んで自衛隊の存在を肯定することになったんだ?

E:そうそう、そこだよ。

 確かに、「解釈改憲」が必要になったのは、歴史的に見れば、朝鮮戦争を介してアメリカの対日政策が大転換したことが一番の原因だよ。それによって日本の憲法は二進も三進もいかなくなったんだから。

 でもね、憲法の方にも問題があったから政府は切り抜けることができたのではないかと思うんだ。第九条に「自衛権の放棄」をきちっと明文化しなかったことによる、と…。要するに、第九条は粗雑すぎるんだ。

 [第一項]で自衛権もありそうな表現をし、更には[第二項]の冒頭に「前項の目的を達するため」と言う文言があることで自衛権の肯定を暗示しており世界的な常識(自衛権)を呼び込んでしまう。だから解釈改憲が可能になる…。

H:何だかよく分からんなぁ。ところで、
「前項の目的を達するため」が入ることでどう変わるんだ。

E:第九条をしっかり読んでみなよ。しっかりとね。しっかり読めば自ずから見えてくるはずだよ。

 さっきも言ったけれど、[第一項]では侵略戦争や国際紛争の解決のための手段は否定しているが個別的自衛権までは否定していない。だから[第二項]の冒頭で
「前項の目的を達するため」を挿入することで、「国際紛争を解決する手段」としての「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」となり、「自衛戦争」までは否定していない。だから本来持っていた意図から切り離して言葉だけを読めば、[第一項][第二項]ともに自衛権(自衛隊)を肯定していることになるんだ。即ち自衛隊の存在は合憲、つまり憲法に違反していない。

 だからこうした第九条の曖昧さに気づいた政治学者の丸山眞男達を中心にした民主的な学者のグループ(「公法研究会」)は早くも1949年に『憲法改正意見』を発表したんだ。それは、この第九条では戦争を肯定してしまうから、戦争放棄を徹底させたものに「改正」しなくてはならないというものだったんだ。

H:そうか、確かに第九条をしっかり読めば「自衛権の肯定」と読めなくもない。一体どうしてこんな捩(ねじ)れた事態に陥っちゃったんだろう。なんだか不思議だなぁ。

E:問題の「前項の目的を達するため」の挿入の事情をもう少し詳しく言うと、1946年4月17日、日本政府はGHQ案をもとにして「日本国憲法草案」を発表し、その後6月25日に第九十回帝国議会の衆議院に提出した。その時の新憲法案は次の通りなんだ。

 「国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。」、と。

H:ふむふむ、ところでこれって多少表現は違うが、現行の憲法と内容はちっとも違っていないじゃないか?

E:確かにこれは、ざっと読むと現行の憲法と大して違っていないように見える。これもしっかり読んでみるといい。しっかり読むと、これはどう読んでも「自衛権の放棄」以外の解釈は成り立たない。つまりマッカーサーのGHQ草案にまったく添った内容になっている。

H:なるほど、確かに「前項の目的を達するため」がないからな。完全に「個別的自衛権も含む一切の戦争放棄」ということになる。

E:そうだよ。ところがだ、これからが問題なんだ。

 その後、かの新憲法草案に修正を加えるために、与野党共同で衆議院に設置した憲法改正案特別委員会小委員会(通称、芦田小委員会=1946・7/25〜8/20)が開かれ審議されたんだ。その際、時の憲法改正案特別委員会小委員会委員長であった芦田均は、その草案に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」と「前項の目的を達するため」という文言を付け加えたのさ。それが世に「芦田修正」と呼ばれているもので、これによって日本にも自衛権があるとされる根拠になっているわけだ。

 そして、これこそが1946年11月3日に公布され、翌年5月3日に施行された、先に引用した現行の『日本国憲法』第九条に他ならない。こうして、現行の第九条には「前項の目的を達するため」という、
ここで問題にした文言が明確に書き止められることになったんだ(17)

H:ふーん。それは知らなかったなあ。ところで芦田均は何故そんな文言を入れたんだろう。よくそんな大胆なことができたね。それに、GHQがよくそれを許したものだよ。

E:まあ芦田もきっとヒヤヒヤものだったんだろうよ。当時は本音を隠していたらしいが、後に1957年に政府の憲法調査会第七回総会で、「この条文が通るまで、そういう意向(自衛戦力保持)を持ったものであることを、他人に悟られないことが必要だ、こう思っておった」と芦田自身が語っているからね。まあ、国民やGHQを巧妙に欺く意味であの文言を挿入したというのが真相だろう。しかし、先にも言ったように、GHQの民政局の内部には「どの国にも自己保存の権利があるはずだ」という意見が燻(くすぶ)っていたわけで…。民政局長のホイットニーは芦田修正を「それはいい考えだ」と承認し、次長のケーディスも歓迎したんだ。

H:ということは護憲派は第九条擁護を貫く限り、解釈改憲を阻止できないということになるんじゃないのか?

E:その通りだよ。護憲派は、自衛隊の存在だけでなく小泉首相のイラク派遣すら(とりあえず復興支援を目的にしているのだから)根本的には批判できないことになる。第九条は曖昧(あいまい)な表現だからな。つまり護憲派は曖昧なままでよいと言っているにすぎないんだ。奇妙な言い方になるが、護憲派が筋を通そうとすれば改憲しないとダメなんだ。「自衛権の完全放棄」を明文化するという改憲を…。そうしない限り現状を肯定せざるを得ない。

 ともかく「前項の目的を達するため」の効力は大きいよ。しかも、その一文言の挿入のお陰で、解釈の仕方によっては集団的自衛権だって肯定できなくはなくなった。後方支援である限り集団的自衛権を発動することはできる。ともかく解釈によっては米軍への兵站(へいたん)補給なども合憲のうちに入ってしまう。今は内閣法制局が「日本政府は集団的自衛権を持つが、それを行使することは憲法上許されない」という《解釈》を施しているから大っぴらには行使しにくいだけだともいえる。もう一歩踏み込めば集団的自衛権の行使だって現行憲法内で解釈できるかもしれないよ。

 結局、現行憲法の「頚木」はこの程度のものなんだ。こう考えると、第九条は、君や護憲派が考えるほどには「頚木」になっていない。そして、この程度の「頚木」すら面倒になったから政府は「改憲」を訴え始めたわけだ。もっとアメリカに追随することが国益だ。アメリカが日米安保の片務性に嫌気をさしているのも事実だからね。ただそれだけのことさ。

H:でも…、だからこそ、動かないものを動かそうとする危険性が潜んでいるんじゃないか。

E:うーん、それはどういうことなんだ? 動かないものって第九条のことなのか?

H:そうだよ。動かしてはならない原理を動かそうとするのは危ないということさ。

E:何だか不思議な思考法だな? ということは第九条は「神」のような存在だとでも? 無謬の神? 僕は宗教を否定する気はないが、護憲派が不安に感じる心理って、もしかしたらそうした宗教心理なのかもしれないな。

H:いや、そんなことはないよ。ただ動かしてはならないものを動かすと言うことは…。

E:しかし今は政治の世界の話をしているんだ。宗教の話ではない。

 冷戦中はさして問題のなかったものが今になって問題になっているんだ。第九条は動かないものではない。今、ぐらぐら揺れていて、その根底を問われている時なのに、不安に駆られて「永遠の真理」「不磨(ふま)の大典」に手をつけるな、って言っているように聞こえるよ。これほど曖昧な第九条なのに「永遠の真理」?「不磨の大典」?

 でもな、そうした不安心理に取り憑かれて政治を語るのはもっと危ない。もっともっと現実を見据えて考えなくては…。

H:それでも、今の話だけでも「改憲」は危険だということにならないか? それでもお前は「改憲」を主張するのか?

E:何はともあれ「自己保存権(個別的自衛権)」は自然権(理念)の観点からしても不可欠だし、憲法に明文化したほうがよいように僕は考えている。それは「頚木」を曖昧なままにしないことにもなる。僕達は不安な気持ちを抱えながらも、今後の日本をもっと考えねばならんのだ。



●政府の「改憲論」と「護憲論」の現状追認●



H:
ところで、アメリカがトランスフォーメーションとやらで日本の基地を依然として必要としており、最新のハイテク技術を駆使し自衛隊とも連携する、つまり自衛隊のミサイル防衛システムがそれを前提にして組織されるなら、一体どうしたらいいんだ。小泉政権は憲法を改正して日本をどうしようとしているんだ?

E:
なんだよ、君だって分かっているくせに…。それは簡単なことだよ。自民党は恐らく憲法を改正して「アメリカへの追随をもっとやりやすくする」ことを目指しているんだろうね。それが日本の国益だと…。

H:
だからこそ反対しなくてはならないんじゃないか? 世界でもっとも危険なアメリカに追随していくのだから。それが国益だとしたら恐ろしいことだよ。

E:
その危険性は為政者の姿勢によってはやっぱり拭いきれない。

 だが、改憲前の、つまり現行憲法のままでもアメリカ追随は変わらないんだ。僕が第九条の考え直しを意識するのはその点だよ。護憲を押し通せば現行憲法の(戦力の不保持・交戦権の否認というタテマエの)性質上、日米安保は形式的には必要になり、片務的な関係も存続しなくてはならない。曖昧な憲法の苦渋の選択。とは言え、アメリカはそんな身勝手な片務的な関係をもう許しはしないだろうが。  

 つまり、日本は主権国家だとはいうものの、このままではいつまでたっても「アメリカのお妾(めかけ)さん」のままだ。差別的な言い方で顰蹙(ひんしゅく)を買いそうだが、それに、君によればどうせヘソ曲がりの僕のことだ、まあ、許してくれ!

H:
お妾さんだっていいじゃないか。平和憲法が守られるならそれでよし。日本の誇りにこだわることはない。

E:
僕は日本の誇りという心情の問題で言っているのではないよ。このままでは今後いつまでたっても最も危険な国・アメリカの後方支援をするしか道がなくなるといいたいんだ。

 小泉首相がいち早くイラク戦争支持に走ったのもお妾さんの悲しさなのかもしれないぜ。彼の言動もその意味では分からなくもない。その結果、旦那(だんな)であるアメリカはジャパン・バッシング(日本叩き)の姿勢から ジャパン・サーパシング(期待を上回る日本)と評価を変え、それで毎年春に発表している『国際テロ白書』に、今年(2004)は北朝鮮の日本人拉致問題をテロに含めた(『朝日新聞(夕刊)』2004・4/2)ともいえる。皮肉な言い方だが、小泉首相の功績だよ。

 ともかく僕の言いたいのは、今の曖昧な憲法のままでは日本は絶対にアメリカから自立できない、ということだ。旦那の顔色を判断材料の第一とせざるを得ない…。

H:
しかし、改憲して日本が他の国のような軍隊を持つことになれば、当然「片務的な日米安保」はなくなるが、その代わり「集団的自衛権」へと進んでいくだろう? そうなればアメリカが要請すればイラクにだって、どこだってホイホイと出て行くことになるだろう?

E:
確かに今のままなら、アメリカとの「双務的(そうむてき)な日米同盟」関係や「集団的自衛権」の問題も国内で議論されることになるだろう。ともかく、そうなると旧来の形での日米安保は不必要になる。これからは強大なアメリカとますます親密な関係になるに違いない。これまでの日本のままならそうするしか方法は残されてはいない。

H:
うーん、それなら一体どうしたらいいんだ?

E:
なにはともあれ、少なくともフランスやドイツのように、自らの意に反することには(石原都知事の言うのとは違った意味で)NOと言えるスタイルに変えることは必要不可欠ではないかと僕は思う。

 もちろんこれまで話してきたように国連すらアメリカに牛耳られているわけだが、それでもアメリカから相対的に自立することが絶対に必要なんだ。ここを基点に日本は再出発するしかないだろう。このことは君だって僕と同じ意見だろう?

H:
それでも危険性は増大するよ。日本も資本主義の国だから、憲法の「頚木」のもとで今では恥ずかしそうにこそこそやっている兵器の部品輸出が、今度は兵器そのものを大っぴらに生産し、かつ輸出もできるようになる。改憲すれば軍需産業が日の目を見るかもしれない。自衛隊だって同じことで、戦争を欲するようになるかもしれない。 お前の言う界の相対的自立性というメカニズムが働く。

E:
僕にしても個別的自衛権に限定した自衛隊、つまり専守防衛だけがよいとは考えている。それに、軍需産業をセーブする方法も具体的に考えたほうがよいに違いない。

H:
しかし、政府自民党の改憲論は、いっそうのアメリカへの追随ではないか。それに民主党の改憲論もそれとそれほど掛け離れてはいない。 それでは危険性だけしかイメージできない。アメリカに追随している限り日本国内へのテロの可能性は高くなるし、そうなれば『有事三法』や『有事七法案』に見られるように国民に様々な犠牲を強いることにもなる。

E:
確かに、国民の選択によっては、アメリカに飲み込まれ危険に身を委ねることだってないとは限らない。
 だが、それは国民がどのような政府を期待しているかの問題だよ。結局、今の国民はアメリカ追随の政府を期待しているということなんだ。不正に選挙が行なわれているわけではないからね。国民の選んだ政府なんだから…。

H:
しかし、改憲というのは、それ自体が危険なことではないのか?

E:それ自体が危険なわけではないよ。それは改憲の問題ではない。憲法に対する発想や改憲の仕方(内容)の問題はあるが…。

 ともかく、今起こっていることはまだ憲法改正もされていないのに生じている事態だからな。イラクへの海外派遣だって「解釈改憲」の範囲内だからね。問題は、むしろ国民の選んだ政府がどんな方向性を持った政府か、ということなんだ。

 だからこれを「護憲か?」「改憲か?」の問題に摩り替えてしまうから革新勢力はちっとも相手にされないんじゃないのかな。「革新=護憲」、「保守=改憲」、それが間違いのもとなんだ。こうした姿勢でいる限り、結局アメリカ寄りの危険な考えがますます有利になっていくことになる。だから護憲派はもう少し認識を改める必要があると思うんだ。



●Eの「整憲(せいけん)論」(第九条考え直し論)●



H:話を聞いていると、どうやらお前の意見は一般的な改憲論とは違うらしい。ならばどうしたらいいんだ?

E:僕は一億三千万分の一でしかない存在だよ。どうしたらいいと言われても…。何はともあれ僕がどう考えているか、というと…。

 ともかく、これまで話してきたように、護憲派は自衛隊を廃止する方向にしか理論的整合性はないわけだ。そうしたいならそれで押し通してゆけばいい。とは言っても、先ほども触れたように何とも奇妙なことに、護憲派はそのように「改憲」しなくてはならなくなるが…。そうしなければこれまで同様、解釈改憲に足を掬(すく)われることになる。この立場の結論は、攻撃されたら両手を挙げて降参し生殺与奪の権を相手に委ねる、つまりガンディーの非暴力不服従主義さ。それに米軍基地も返還してもらわねば…。ともかくそうなればアメリカはもう完全に日本を見限り、軍事的な手伝いはしなくなるだろう。丸腰で危険な世界に立ち向かう、まあそれも一つの方法だよ。しかし、それではあまりにも理想に走りすぎていて今ではほとんど評価されないだろう。これまで見てきたように、日本の周辺には不穏な空気がいっぱいだからね。これでは「国家における自己保存権」の放棄にすぎない。

 では護憲派の意識のままで自衛隊を認める方向で生き残ろうとしても、理論的整合性がないし、何といっても曖昧すぎるからその点では改憲派に勝てるわけがない。今のままでは護憲派は相手にされず、議論の蚊帳の外でしかないからね。駄々っ児が自分の思い通りにならないとごねているようなものだから相手にされないのも無理はない。確かに心情的に国民を扇動することはできても、結果として現状追認にしかならないから限界があるし、なんといっても情けない。

 ということは、革新勢力だって「第九条の考え直し」をして、「改憲」の土俵の上で、どういう憲法を構想し、どういう政府を構築するかで戦うしかないだろう。曖昧で玉虫色の現行憲法の弊害を正すという意味でも…。つまり、現行憲法の精神をできるだけ生かしながら曖昧さをなくし、危険な「改憲論」に対抗することが必要なんだ。

 だから、主旨を厳密に規定すること。前文はほぼそのままでも問題はないし、第九条の[第一項]の考えは基本的にはそのまま継承しつつ専守防衛としての《個別的自衛権》を明確に謳(うた)い、[第二項]は[第一項]の規定に反しないように書きかえる。

 更に大切なのは[第三項][第四項]を加え、そこではある程度具体的なことを規定する。つまり「あらゆる軍事同盟は禁止する」とし、集団的自衛権から切り離して国際貢献のあり方を定義し直す。自衛隊の派遣ではない復興支援・人道支援に参加できるようにする。そのために、海上保安庁、警察庁、消防庁を改組して軍隊組織でない海外派遣隊を創設し、NGO、NPOも海外派遣隊に加える。つまり自衛隊はあくまでも専守防衛のためにのみ存続させるように限定することが必要なのだ。

 もっとも国連がきちっと『国連軍』を創設できた場合の自衛隊の海外派遣だけは例外規定としたいが、それまで条文化するのは難しいだろう。しかも、緊急時の正規の『国連軍』への参加は政府の判断に任すしかないにしても、政府に対する事後訴追ができるようなシステムにするくらいのものでなくてはならないだろう。そうなれば政府も軽々しい判断は下せなくなるに違いない。その点はかなりしっかり詰める必要があるが…。

 ついでに[第三項]か[第四項]に「武器輸出の禁止」や 「非核三原則」なども明記したらいい。文民統制(シビリアンコントロール)はもちろんのこと。そしてできる限り“解釈改憲できない”ように明瞭に規定する(18)

H:うーん、俺は、憲法は擁護すべきものだとばかり考えていた。どうもお前の思考に絡め取られそうな不安を感じるよ。

E:その気持ちは良く分かるよ。戦争を知らないまでも、僕達は戦後の世界を歩き続けてきた。平和というものを『日本国憲法』に託して生きてきた。少なくも理念としての『日本国憲法』を愛してきたからね。だが、若い世代にはあの理念のエネルギーを憲法の中に感じる人はほとんどいないのも事実だろう。だからこそ、若い世代にも納得できるようにきちんとした文章として残さなくてはならないんだ。

H:でも、理念の部分は学校で教えてやればいいんじゃないのかな?

E:もちろん今でも中学や高校では教えているさ。学校では「日本国憲法の三大原理」を「国民主権主義」「基本的人権の尊重」それに「平和主義」としている。つまり日本の憲法の理念は平和主義で「一切の戦争放棄」だと…。でも子ども達には実感が全く湧かないみたいだね。テストのために覚えるだけで全く自分の問題とは考えていない。あまりにも当然と言えば当然なのだが…。

H:いやぁ、そう言われてしまうとなぁ。それにしても不思議なのは、もしお前が言うように政府が「自衛隊」を合憲として政策を練っているのなら、公務員である学校教師が生徒(国民)には「戦力の不保持」を教えているって言うのはどうも理解できない。

E:確かにね。でもこれは、思想家の久野収が戦前の天皇制の捉え方の自家撞着を顕教(けんぎょう)・密教(みっきょう)として説明しているのと同じ構造なのではないかと僕は思っているんだ。

H:またまたお前の怪しげな論法か?

 ところで仏教で言う「顕教」って大衆向けの教えで「密教」は大衆には理解できない深い教えってことだろう。…なるほど何だか少し分かってきたぞ。

E:そうなんだ。学校では先生達は大真面目で「戦力の不保持」を唱えているが、これが実は「顕教(大衆向けの教え)」なんだ。それに対して為政者は「密教(大衆には教えない秘密の教え)」として「自衛隊合憲論」を保持している。この両者には矛盾が発生するけれど、行政を行うにはまさに「密教」で問題ないんだ。大衆には曖昧なままにしておき、日本は平和憲法の国だと思わせておけば統治しやすい。教師もその辺の事情は全く知らされていないし理解していない。

 だから自衛隊を保持していても政府はちっとも揺るがない。筋が通っているからね。つまり、これまでは顕教・密教で押し通す方が統治しやすかったんだ。

H:なるほど、論語に言う「民は之に由(よ)らしむべし之を知らしむベからず」って奴だな。

 そして今ではその密教も現状に合わなくなってきた。そこで顕教に向かって「平和憲法」ではダメだよ、改憲が必要だよ、と言い始めたわけか?

E:現行憲法が存続する間は恐らく顕教・密教は続けるだろう。だが、密教の教義が現実から乖離し始めただけでなく、顕教の方も若者の実感には届かなくなった。事ほど左様に、若者には通じない理念に期待すべきではないんだ。こうして僕達は現状をもっとしっかり認識してより良い憲法を考えなくてはならなくなったってわけだ。
 というわけで、文面だけで誰にでも確実に読み取れるものでなくてはならないのさ。憲法は文学ではないからね。

 ここに第九条の「改正試案」を僕が勝手に作ったものがある。実現には時間がかかるだろうし、これはまだまだ直さなくてはならないが…。それでも、君に話してきた内容からすると大体こんな感じがしてくる。改憲が叫ばれる今だからこそ提起しなければならないんだ。ちょっと読んで君の意見を聞かせてくれないか?

 『日本国憲法』第九条改正試案

第九条(戦争の放棄)

[第一項]
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、軍事的侵略から我が国を防衛する自衛隊は保持するも、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

[第二項]
 前項の理念を実現するために、国際紛争を解決するための陸海空軍その他の戦力を保持せず、そのための国の交戦権は認めない。故に、自衛隊は我が国への軍事的侵略を阻止するため、及び、我が国に生じた災害などの支援のためにのみ存するものとする。

[第三項]
 我が国は国際法の遵守を第一とする。また、我が国はあらゆる軍事同盟を締結することを禁止する。更に、非核三原則を遵守し、一切の武器輸出はこれを禁止する。

[第四項]
 自衛隊は内閣総理大臣の指揮監督に服する。
 なお、国際平和維持活動は国際法の下でのみ行い、内閣総理大臣の指揮監督の下に、海上保安庁、警察庁、消防庁が支援組織と連携して組織した「国際平和維持隊」が行うものとする。

       
 ついでに言えば、第九条以外でも、矛盾する部分は整合性を持たせるようにする必要はあるだろう。つまり、ここでも本来は全面的に整理し直さねばならないのだが、でも、よほどの不備がなければ、現行の内容をそのまま残す。特に第九十六条の「憲法改正」の際の国民投票は必ず残さなくてはならない。付言すれば、いつのことやら遠い話ではあるけれど、もし時代が進んで個別的自衛権すら必要としないほど平和な時代が訪れたら、そのときは改めて考え直せばいいことなんだ。

 これなら君も少しは安心するだろう。 ともかく、今はまだ、その内容はアメリカから相対的に自立できるものにすることが必要なんだ。そして、君がさっき言っていたように、平和を求めるという日本の「大義」を、夢想でなく、できる限り実現してゆく革新の改憲論、もし改憲という言葉が嫌なら、憲法を整理し直すという意味で「整憲(せいけん)論(第九条考え直し論)」でもいい。つまり保守とは一線を画しながらも筋を通した革新の「整憲論」が求められているというわけだ。かくして僕の「整憲論」は、保守の「改憲論」と真っ向から対決することになる。アメリカに追随するのか、それを拒絶するのか、そういう問題なんだ。だから僕達は、現実を見据えながらも、日本の立場を「平和を軸に」もう一度捉え直すこと、これは絶対に不可欠だと僕は思っている。

 もっとも保守の「改憲」を取るか? 革新の「整憲論(考え直し論)」を選ぶか? は、国民ひとりひとりがしっかり考えて決める必要がある。



●護憲派の行く末●



H:
まぁ、お前の言いたいことは分かったよ。それに、突然、改憲試案と言うか整憲試案を見せられても俺としては返答の仕様もない。ただ、現状を見る限り、それが実現に漕(こ)ぎ着けるには時間がかかりそうな気がするな。

 それに、お前の整憲論では、あらゆる「軍事同盟」は禁止されるわけで、それだと「日米安保条約」も禁止だし、新たな「日米軍事同盟」も締結できないわけだから、確かにアメリカの軍事的な影響(支配)からは逃れられるが、それでもあの巨大なアメリカの影からは離れられない。さっき、外交はGIVE & TAKEでアメリカは切り札を何枚も持っていてそれをチラつかせて…、と言っていたではないか? どうしても避けられない巨大な存在、アメリカ。

E:
もちろんだよ。だからすっきりはしない。

 それに、多くの人はアメリカの軍事力から離れることに不安を抱くに違いない。恐らくその不安を解消することが一番難しい問題だろう。

 現に、覇権国家化しつつある中国や何を考えているのか分からない危険な北朝鮮が日本の周辺に存在しているからね。中国はここ十数年間連続して10%を超える国防費の増加を示し続けている。何のために? 本当のところは分からない。だが、こうした事態を無視することはできないだろう。たとえ日本が筋を通して、つまり日本的な正義を盾に外交しても、それが相手に通じる保証は全くない。これまで護憲派は能天気にもそのことに気がつかなかったんだ。日本が真摯に対応すれば、相手もきっと分かってくれる筈、という思い込みが強かった。しかし、価値観の違いは拭いがたいほど大きい。これからは価値観つまり考え方の違いからくる危険性も射程に入れねばならん。今はそんな時代なんだ。確かに過剰に反応する必要はないけれど、個別的自衛権の明記はそんな意味でも避けられない。日本がまともな国であるためには…。

 ともかく、そんな日本の周辺危機を感じて、国民の中にはアメリカの軍事力に心をなびかせてしまう人が増えるかもしれない。事実、政府やマスコミは周辺の危機だけを煽って国民に日米同盟の必要性を訴えかけている。だが、これまで話してきたように、アメリカの軍事力、軍産複合体こそ一番の不安材料だということをここで再度確認しておかなくてはならない。

 それに、憲法で決められており、国民投票で決定した判断なら、国民自身も納得するだろうし、国際的な批判にも耐えられるだろう。むしろ、アメリカは別にしても、国際社会からの承認も今より得やすいのではないかと思うよ。

 確かにアメリカを無視できないにしても、政治的に自立しなくてはこれからはもっともっとアメリカに飲み込まれる可能性は強い。それにアメリカにしても本気で日本を守る気があるかといえば、そんなことはないわけだ。国益の問題で同盟を結んでいるだけに違いない。つまり、そうした意味でアメリカは日本の米軍基地を必要としているに過ぎないんだ。しかも、繰り返すが、アメリカの対日政策もかなり変化してきている。つまり日本への要求がますます強くなってきている。だからこそ日本がとりあえず「対等な立場」で渡り合えるようなものにする必要があるのではないか、と…。

 だから整憲の必要性は理論的整合性だけでなく現実的にもあると思うんだ。繰り返すが、君が危惧するように、国民が判断を誤り、危険な政府やその危うい見解を選択する可能性もあるわけだが…、それは絶対的には避けられない。それは今でも同じことだ。

 それに、これまで話してきたように、曖昧な護憲ではどう考えても理論的にも現実的にも無理がある。アメリカの軍事力に依存している「日米安保条約」を前提にしている限り(繰り返すが、日本はタテマエでは軍隊は持てないから)、どんな政党が政権をとってもアメリカの後塵を拝するしか方法はない。

 それは社会党(現・社会民主党)の村山富市元委員長が総理大臣になった時(1994)を思い起こすだけでも充分だろう。結局、日米安保も自衛隊も肯定せざるを得なかったんだ。こう言ったからといって僕は村山元首相を揶揄(やゆ)するつもりはないよ。護憲である限り、現実を見据えれば、この選択も仕方ない。これは村山個人の問題ではない。結局、護憲派が政権をとっても何も変わらないことを証明して見せただけなのだ。かくして護憲主義政党は国民から見放されたんだ。

 イラク問題の今後の動きによっては、国民の感情がどう傾くか分からないが…。そして心情的感情的宗教的「護憲派」が力を持たないとも限らないが…。しかしそうした場合は改憲問題(改憲か?整憲か?)が先送りになっただけでしかない。

 そうなれば、ここで話してきた「イラク戦争と日本」と同じようなこと、つまりアメリカの顔色を窺いながらずるずるとわけのわからない国際貢献とやらに参加することが延々と繰り返されるだけに違いない。しかも今ではアメリカはそんな生ぬるい関係をいつまでも続けるつもりは微塵もない。何一つ解決できる要素がない。



●Eの複雑な想い●



H:
ところで最後にもう一つ質問したいんだが…。もしもだよ、もしも民主党が自民党と野合(やごう)していっそうアメリカ寄りの「改憲案」に同意したとしよう。その時の政府がアメリカべったりの政府で、さっきお前が言った「アメリカへの追随をもっとやりやすくする」という政策に都合のよい改憲案を打ち出したら、お前はどうするんだ? そのところを聞きたいんだが。

E:
うーん、鋭い質問が最後にきたな。一言で「第九条を考え直す」といっても、細かい点は多々考えねばならんし、具体的な内容についてはもっと深めなくてはならない。

 でも今の君の質問への答えは、はっきりしているよ。きっとそのときの僕は「危険な改憲案には反対票を投じる」だろう。憲法を変えれば何でも良いということではないからね。

 ただ言っておきたいことは、だからといって僕は護憲派を擁護してそうするのではないということなんだ。まあ、一緒に寝たくもないが護憲派との《同床異夢》ということにでもなるのかな? 確かに表面的には護憲派擁護に見えるにせよ、それでも憲法を考え直すことが必要なことには違いない。現実の判断は時の状況による。そしてこうした一見矛盾したように見える判断を下しても、決して卑怯でも寝返ったことにもならないのではないかと思うんだ。僕には特に支持政党があるわけではないし、ともかく自由に考えることができるからね。

 ところで、まだ言い残したことがあったよ。僕が一番言いたかったことは、「何となく護憲」「何となく改憲」で事が進むのは一番よくないということだ。それに、ここでは僕の意見を語ってきたし、それへの僕個人の想いは深いが、だからと言って、みんながみんな僕の意見に同調しなくてはならないという意味ではない。個々人には温度差があるからね。許容範囲もそれぞれ違う。それはどうやっても避けられない。しかし、時の気分や不確かな情報に踊らされての判断は絶対に避けなければならない。過てるところは素直に直し、つまり自分自身の立脚点を検証して、それから、どんな「護憲」か? どんな「改憲」か? はたまたどんな「考え直し(整憲)」か? を自らの意思で選ばなくてはならないんだ。

 何はともあれ、自分の住む国の、そして自分の生活を深いところで支えている「憲法」だからね。そして僕にとっては、何といっても可愛い我が子や生徒・卒業生の未来がかかっているんだ。

H:
なるほど。お前の言いたかったことはそういうことか? 確かにお前らしい意見だよな。それに、お前の考えるような「第九条考え直し論」もあり得るってわけか? 何だか少しは分かったような気がするよ。

 護憲そのものの問題というより《第九条の曖昧さの弊害》がすべての問題の根幹に横たわっているということなんだな。だからその《曖昧さを正そう》と…。何だか俺もそんな気がしてきたが、まだ完全にはすっきりしないよ、もう少し考えたいな。

E:
そうだよ、そうなんだ。本当なら改憲問題は急がない方がいい。国民みんながじっくり考えて決めるべきことなんだ。

 憲法改正問題は、自民党は来年(2005)憲法草案を提出し、民主党も再来年(2006)提出する予定だろう? それでもすぐには決まらないだろう。まあ、そのころになるとイラクの状況も変化しているに違いなく、また日本の政治の分布も変わってきてはいるだろう。それに、ここで語ってきた主張とは多少ズレるが、イラク戦争の泥沼化でアメリカ人の意識も軟化して協調型(民主党大統領の選出?)に変化する可能性も出てきた。アメリカの社会構造はちっとも変わらないと思うが、そうなれば、それでも少しは落ち着くだろう。それに時間をかければ僕の考える「整憲論(第九条考え直し論)」の可能性もある。

 確かに加藤典洋が言うように、『日本国憲法』というバトンを地に置いて、それを受け取るかどうかを国民が見定める時期が近づいたのかもしれない。しかし、60年近く続いた憲法だよ。充分時間をかけて、それから国民の審判に委ねても遅くはないはずなんだ。

 それにしても、このところ改憲問題が喧(かまびす)しくなってきている。ともかくもう少し時間が欲しい。この問題はあまり焦らない方がいいと思うんだが…。

H:
そうだな。ゆっくりと…だな!

E:
どうやら議論も大団円に漕ぎ着けたようだし、そろそろにしますか?



●長夜の飲、再び●



H:
ふー、疲れたよ。「イラク戦争と日本」を論じてきたはずが、何だか「憲法問題」が中心になってしまったね。

E:
そうだね。でもこれはこの問題からくる必然の結果でしょう。 自衛隊の問題が絡んでいるのだから…。

 ところでこの前、うちの生徒と話していたら、「愛国心」の話が出てきてね。もちろん愛国心自体は悪いことじゃない。だが、何か軽いノリで「国家」や「日本」を語られると僕の方がギョッとしてしまう。戦争に関しても、バーチャルな戦争と現実の戦争が無批判的に混在しているような気がして…。若い人の中に、こうした軽いノリが以前より強くなっているような気がするね。

H:
そうなのか? うーん。強い国家や戦争への憧れみたいなものなのか?

E:
いや、どうやら戦争を積極的に肯定しているわけでもなさそうなんだ。ある種、現代に蔓延しているあの閉塞感の裏返しのような気分だろう。手ごたえのない日常生活、自己中心にしか考えられなくなった世の中、自尊心は強いが大したことのできない自分、これらに対するアンチ・テーゼが欲しい。自分が納得できる生き方が欲しい。

H:
それがナショナリズムへの芽ではないのか?

E:
そうだとも言えるし、そうでないとも言える。焦点の定まらない茫漠とした時代。だからこそ、ここで僕達が考えてきたことが大切になるように思うんだ。つまり、自分たちの気分とは切り離して現実の世界はどうなっているか、という視点が…。

 …さてと、この前は君からの「百年の孤独」で一時(いっとき)孤独を忘れ…?! 今日は「カミュ」で不条理を味わいますか?

H:
へえー、価格破壊で安くなったとはいえ、貧乏人のお前が…コニャックの「カミュ」?

E:
もちろん貰い物さ。貰い物で悪かったな。

 世界は、そして人の心は非合理で分かったもんじゃない。でも分かり合いたいという郷愁(ノスタルジア)が人にはある。そこに不条理が生ずる。アルベール・カミュの世界がそこにある。

H:
今日もいい酒うまい酒。酒は飲むべし飲まれるべからず、本は読むべし読まれるべからず、ってか?

E:
何だよ、飲む前から酔っ払ってるみたいだぞ。まぁ夜は長いぜ、ゆっくり飲もうよ。そう、ゆっくりと、…ね。

                                                                (2004年4月5日)


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