イラク戦争から見た のアメリカ・ろな日本
−平和を守るための「整憲論」(第九条考え直し論)-



7、マスコミのありようと民主主義■



H:
お前の話を聴いていると、最初は分かるんだが、どこかでねじれて違う方向へいってしまうような気がするよ。

 「どんな政策も、国民の感情や考えを無視しては行い得ない」と、よく言われるじゃないか? 国民の意見まで封殺できないのが民主主義ではないのか?

E:
まあ、原則としてはその通りだな。決して封殺はしない。でも、アメリカの軍需産業はマスコミの有力なスポンサーで…。

H:
おーっと、また始まった。やれやれ、また軍需産業との癒着の話か?



●アメリカの報道の怪?●



E:
まあそう言うなよ。君はヘソ曲がりの僕と話をしに来たんだろう?

 確かに軍需産業との癒着の問題は報道に大きな影響を与えているが、ここではマスコミ独自の問題を中心にすることにしよう。マスコミも、アメリカという一つの大きな界、つまり軍産複合体の一翼を担っているからね、このマスコミという界を覗くだけでも見えてくるものが、たくさんあると思うんだ。

 アメリカは第二次大戦後大きな戦争を何度かしている。それがこの問題にもいろいろ影響して今日に至っている。

 ベトナム戦争(1965〜73)のときは、自由な報道を旨としていたのだが、それが結局反戦ムードを高めてしまったのは周知のことさ。というわけで報道規制へと向かうんだ。

 つまり、父ブッシュの湾岸戦争(1991)のときは、プールシステム(代表質問)という形で報道規制が敷かれたわけだ。ともかく今言ったようにベトナム戦争のときのように自由な報道で反戦ムードを高めてしまうのは何といってもマズイ、だから報道規制を敷いて「クリーンな戦争」を演出したわけだ。つまり、ピンポイント爆撃(スマート爆弾)だから市民を殺傷はしないとか、降伏した大量のイラク兵士の列の局部映像を流し、戦争が多国籍軍にうまくいっているように印象づけたり…。

 しかも、国民もその映像の虜(とりこ)になってしまったらしい。これは、CNN効果と言われていて、アメリカ国民が24時間放送のCNNテレビに釘づけになり、買い物も忘れて、個人消費も冷え込んだほどだったという話もある。

H:
ああ確かにそんなことがあったような気もするな? 思い出したよ。俺なんかテレビで見ていて本当だと思ってしまったのは、「油まみれになった鵜(う)」の映像だ。

 あれは、石油施設がイラクの砲撃で壊され、それによって流れ出た原油がもとで「環境破壊」が起こっていると伝えていたんだ。そしてそのシーンを見た環境保護派の人びとが激怒して反イラクの運動の火が燃え上がった。だけど滑稽なことに、結局その映像はアメリカの情報機関が作成したもので、全然別のところ、つまりペルシア湾(アラビア湾)以外で撮影したものだったことが発覚し、それ以降流れなくなった。アメリカの “でっちあげ”に、国民は、いや世界中が踊らされてしまったってわけだ。

E:
そういうのもあったな。それに、「クウェートの少女の泣きながらの訴え」の話を知っているか? 米国議会の少し前にCBSでドキュメントが流されたんだが、これがその映像だったんだ。それはクウェートの少女が、「クウェートに侵入したイラク兵達が、保育器にはいっていた未熟児を投げ出して殺しているのをこの目で見ました」と泣きながら訴えたって話さ。

H:
うん、思い出したよ。確かあれも “やらせ”、つまりあの少女はクウェートの駐アメリカ大使の娘だったんだろう? そしてアメリカ中が一気に参戦の方向へと走り出した。

E:
その通り。でもこれにはもっと深い裏があるんだ。今も言ったけれど、その放映時期が米国議会の少し前だったってことだ。その結果、その議会でイラクとの戦争をするかどうかの票決はたった五票差で採択されたのだが、賛成した議員の6人がその映像を見て決めたんだそうな。そして湾岸戦争は始まった…。

H:
そうか、そんな微妙な票決で湾岸戦争は始まったのか? そしてマスコミがそれを操作していたのか? そうしてみると、俺達が無意識に見たり聞いたりしているものには、いろいろな背景があるんだな。それなら、今度のイラク戦争はどうなんだ。

E:
これはもう少し巧妙なんだ。今度は、もっと報道規制に見えないように規制する方法さ。 

 FOX効果といって報道陣に従軍させて映像を流させる。つまり規制をしていないように示すんだ。「報じるのは我々、決めるのは皆さん」とキャスターは語り、従軍記者の映像を流し、客観的な風を装って、その実「流すのはニュースでなく、オピニオンだった」というわけなんだ。

 こうした米軍応援報道をしたFOXがCNNなど他のメディアより視聴率が高くなると、まさに「界の論理」、視聴率を稼ぐために他の局もFOXに倣って結局「愛国主義的放映」を避けられなくなったというわけだ。
 それに、バグダッドでフセイン大統領の銅像が米軍とイラク人に引き倒される映像が流されたが、それも、後になって、どうやらフセインの銅像ではなかったらしいことが分かったんだ。

H:
やっぱり、米国の国民はだまされてしまったんだな。

E:
そうなんだが、問題はもう一つある。つまり国民は国民で、「国民願望を反映したFOXの放送」を選んだという事実も底流にある。

H:
またお前はそういう紛らわしいことを言うから困るんだ。つまり政府や報道陣が国民をだましているんだろう。

E:
そうだよ。だましているんだよ。そして喜んでだまされているんだ。

H:
それにしても、どうして政府寄りの報道が流されるんだろう。報道は中立でなくてはならないのが道理だろう?

E:
そこだよ、つまり規制であって規制でない構造が背後にあるんだ。さっき積み残した「イラク戦争と石油の関わりが何故見えてこないか?」にも関係する・・・。

 アメリカの報道陣には階層があって、政府や産業の中枢部にコネクションを持っている「インナーサークル」、その周辺に次の「ミドルサークル」、そして最も遠いところに「アウターサークル」があるらしい。まるで太陽の周りを回る惑星のように…。

 主なインナーサークルには、【テレビ】では、NBC、ABC、CBSのアメリカ三大放送、とCNN、それに新参のFOX、【通信社】では、AP、UPI、【新聞】では、ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナル、ロサンゼルス・タイムズ、【週刊誌】では、ニューズウイーク、タイム、などなど、があって、財閥が創設者であったり株主であったり、スポンサーであったりで、彼らの意向が反映しているみたいなんだ。これまで見てきたことを考えれば、あまりにも当然だよな。財閥が背後に控えているんだぜ、インナーサークルには…。それぞれの報道には温度差はあるけれど、あまりにも批判的だと、どこかでストップがかかってしまう。

 だから「イラク戦争と石油の関わり」が見えてこなかった理由もここにあるのさ。

H:
なるほどな、でも今の話では、FOXが新参と言っていたようだが、FOXはもともとはインナーサークルではなかったのか?

E:
これはちょっと微妙でね。FOXニュースは、オーストラリアのメディア王、ルパート・マードックのニューズコーポレーションが1996年に設立した新しい会社なんだ。でも、このマードックという人物は、もちろん財閥ネットワーク(ロスチャイルド財閥系)内にあり、ユダヤ系でネオコンとも親密で「アメリカへの愛国心」や「イラク戦争の正当性」を強く訴えているんだ。だから、比較的新しいけれど、完全に政府と密着し、政界、財界に強い影響力を持っているんだ。メディアを制することは世界を制することにもなる。

H:
そうなのか? なかなか難しい問題だな。

 ところで、だったら、ミドルサークルやアウターサークルの報道は公正でもいいんじゃないのか? 旧来のインナーサークルや新参のFOXは無理だとしても…。

E:
僕もそう思うんだが、さっきも言ったように階層化されていて、ミドルサークルの連中はインナーサークルに何とかもぐりこみたいし、アウターサークルの連中も上を目指したいわけで、批判的なことを報道すれば夢が実現しないということにもなりかねない。まあ、アメリカンドリームの弊害だね。マスコミ界に勤めるのはそこそこ上の階層出身者だからな。

 それに、国民もインナーサークルや勢いのある報道を信頼しやすいわけで…。こうして国民は、報道陣も含め国民自らの意思で…。

H:
その構造はひとまず肯定しよう。じゃあ、湾岸戦争のときの「クウェートの少女」や「油まみれの鵜」の話や、イラク戦争の「大量破壊兵器が見つからない」ってのが発覚することの理由は分からないじゃないか?

E:
僕もはっきりしたことは知らないが、想像するにだ、どんなものもみんながみんな同じ方向で進むわけではないし、スクープ、スッパ抜きというのは、「界の相対的自立性」で、マスコミ界に独自の行動原理でもあるからね。

 たとえインナーサークルの内部でも一枚岩ではないだろうし、上層部と下層部でのズレもあるに違いない。そして、そのスクープが既成事実化すると、大っぴらに報道できるようになるんじゃないのかな? だから、いつでも問題がずいぶん遅れて社会問題になるというような…。大っぴらになったときはもう戦争が始まった後だったりしてね。だから政府は本来の目的を達成できる。

 とはいっても、発覚すれば、今回のように支持率に大きく響くからね。今回もあまりうまく行ったとも言えないが…。そこが杜撰(ずさん)といえば杜撰なんだけれど。ともかく、アメリカだとて、北朝鮮のようには完全には報道規制はできないんだ。いや、翻って言えば、報道規制をしていないから、スッパ抜きの自由もある。



●アメリカの民主主義と愛国心とは?●



H:
結局はアメリカには基本的には自由が無いようでいてあるってことか。自由の国、アメリカ? どうやらまた迷路に踏み込んだみたいだ。

E:
もっともアメリカ政府だってすべてを管理しているわけではないさ。それに重要なことを国が管理するのは当然のことだ。それでもアメリカは自由な国だよ。そうでなければあんなに能天気で明るい国民性は考えられない。

 だが、問題はその自由の性格にある。言語学者のノーム・チョムスキーが「(アメリカという)この国には言論統制はない。しかし、情報が表に出てこないということです。ただし、これは選択の結果です。統制ではありません」と自嘲的に語っている意味をもっと深く考えねばならないと思うんだ。

 つまり、国民は自由に政治家や政府を選ぶことができる。その政治家は国(国民)のために重要な情報は管理し表に出さない、統制するわけでもなく報道機関がそのように動く。そして、その限られた情報を通して国民は “自由に”考え、政治家や政府を選択する。しかも管理した情報が不用意に発覚すれば、自由に批判する権利もある。つまり統制されていない…。

H:
自由であって自由でなく、自由でなくて自由である、ってことか? ということは、まだしも日本のほうが自由なんじゃないか?

E:
“まだしも”という点では僕もそう思うよ。でも、日本だって似たり寄ったりだろうな。

 それはともかく、チョムスキーの言うことが正しければ、アメリカの民主主義は、底割れした民主主義、ということになる。しかも民主主義のルールに反していない…。

H:
言論統制されていないのだから、ベトナム戦争のときには反戦の狼煙が自由に上がったわけか…。

E:
その通り。当時、徴兵制だったから、国民の大半は戦争に連れ出された息子の生死が気になった。戦争が長期化すると厭戦気分も起こり反戦運動も盛り上がった。

H:
だが、あのときは反戦運動も確かに自由に広がったけれど、国家がかなり弾圧したじゃないか。言論統制というよりもむしろ露骨に…。

E:
だから政府はベトナム戦争が終結した1973年には国民からの風当たりが強い徴兵制を止め、志願兵制に切り替えた。国民の選んだ政府は、方針を変えた。そしてイラク戦争のときも別に言論統制はしなかったのに、反戦運動も局所的で、弾圧もなかった。とってもいい国になった???

H:
その“???”は何だよ。つまり、そこにもまた何かカラクリがあると言いたいのか?

E:
政府は、ベトナム戦争などの経験から政府への風当たりを弱くしなくてはならない。これは政界の独自の論理だよ。徴兵制は政権を危機に陥れる可能性が強い。それなら志願兵制で行こう。

H:
アメリカは戦争を止められないからな。ところで志願兵制になると、どう変わるんだ?

E:
結果論的にはとてもよくできているんだ。

 もちろん軍人が中枢部を占める。その周りに志願兵…となるんだが、多くの国民は自分の子どもを戦争にやりたくはない。極端に強い愛国心に燃えた人は参戦するかもしれない。だがそれはきっとそう多くはないだろう。

 だから戦争に志願したものには特典を与えて兵士を募るわけだ。たとえば、@一定期間軍務についた者には除隊後の学資が与えられる A入隊すれば家族の医療費や歯科治療費が大幅に軽減される、等々。

 いいかい、この手の特典で志願する富裕層がいるとは考えられないだろう? つまり特典で集まるのは、黒人系、ヒスパニック系などマイノリティや白人の低所得者層に限られるんだ。そして彼らは、戦争の最も危険な最前線にたたされる。つまり位は兵かせいぜい下士官なわけだ。

H:
なるほど。しかも危険を知った上で志願したわけだから自己責任ってことで、何かあっても、場合によっては死んでも、家族は文句も言いにくい。

E:
もちろんアメリカは民主主義の国で国民を守る義務があるから、彼らを捨て駒のようには扱わないし、できるだけ危険を避けようとはするだろう。あまり犠牲が出すぎると、反戦ムードにも繋がるし。

 実際、イラク戦争の「大義の喪失」と、「少しも先の見えない占領」や「テロの頻発」で米兵の犠牲者が増加、そろそろ反戦ムードが強くなり始めている。しかし徴兵制とはそのあり方が違うのは事実さ。

H:
お前の言いたい気分はよく分かったよ。反戦運動がさして広まらないのは、多くの白人は自分の子どもを戦場に送っていないし、戦場に赴くのは軍人か熱狂的な愛国者、それにせいぜい特典に期待したマイノリティや白人の貧困層というわけだ。

E:
それに、僕の言いたいことはもうひとつ。つまりイラク戦争時の戦争支持者70%の意味だ。

 国民は、強いアメリカを賛美して戦争を支持するが、それは所詮、戦地に行かない白人達、自分の身内に犠牲者を出さない人達の空疎な愛国心だということなんだ。アメリカの愛国心(ナショナリズム)もこの程度のものだっていうことは知っておいたほうがいいように思う。底割れした民主主義、底割れした愛国心…!!!

 もっとも、アメリカ本土が本格的に攻撃の標的にされたのは、今回の2001年9月11日の同時多発テロが初めて(アメリカの準州ハワイを日本が攻撃した(12)ことはあったが)なので、政府や国民がパニックに陥り、ヒステリックになってナショナリズムに走っていることを軽く見るつもりはないけれどね。そして彼らの愛国心が本気であることも認めるけれど…。それでも空疎な愛国心であることは否定できないように思うんだ。



●いまだ第二次世界大戦の延長下にあるアメリカ●



H:
空疎な愛国心か、確かにね。それにしても西欧諸国の中でもどうしてアメリカだけが極端なナショナリズムに走るんだろう? 

E:
それについて僕は一つの仮説を立てているんだ。

H:
なんだ、もったいぶらずに話したらどうだ。

E:
もったいぶっているわけではないよ。しかし絶対的な確証はできないからね。

 確かに確証はないが、アメリカのナショナリズムの不思議となると、あの「忠誠の誓い」というのも、現在の僕達から見ると何だか異様な気がするだろう?  

H:
忠誠の誓い? アメリカの公立学校で毎朝行われている儀式のことか? それなら俺も知っているよ。もっとも中には忠誠の誓いを強制しない州もあるらしいが…。

 ともかく、生徒達は毎朝毎朝、アメリカ国旗つまり「星条旗」を前に、右手を胸に当てて、

「私はアメリカ合衆国の旗と、旗が表す共和国に忠誠を誓います。このひとつの共和国は神の下にあり、分けることができず、全ての者に自由と正義をもたらします」と唱える、というものだろう? 

E:
それだよ。ところで、その「忠誠の誓い」はいつ頃できたと思う?

H:
いつだろう? 分からない。でもずいぶん前、たとえばアメリカ合衆国の建国の頃とか…。

E:
そう思うだろう? でも違うんだ。

 実は19世紀末にバプテスト派の牧師フランシス・ベラミーと言う人がその文言のもとを考案したんだが、それが法制化され全国民を対象に採用されたのは1942年なんだ。

H:
1942年? えっ、それって第二次世界大戦中じゃないか? ということはあの宣誓は、戦争のために国威発揚を目的にしたものなのか?

E:
やっぱり君もそう思うだろう。僕もそう思う。つまりそこにポイントがある。
 さらに細かいことを言うと「神の下に」という言葉は最初はなくて1954年に挿入されたらしい。

H:
なるほど。しかし、なぜ1954年に突如「神の下に」を挿入したんだ?
 しかもアメリカは信教の自由や政教分離を旨としているのに、学校で強制的に誓わされるのは違憲だ、として訴訟が起こってもいる。

E:
それって君も気になるだろう?

 実は1954年と言うと、冷戦の真っ只中で、「神の下に」を挿入することで、無宗教の共産主義の国とは相容れないことを宣言しているわけだ。

H:
そうか、そうだったのか? 何だか疑問が晴れてきたぞ!

E:
なんだよ突然、一体何が分かったんだ?

H:
ずいぶん前だが、俺が長期出張でアメリカへ行ったときのことをちょっと思い出したんだ。実は、同僚の何人かとプライベートで酒を飲んだんだ。そのときある男から「君の宗教は何だ?」と質問されたんだ。俺は、多くの日本人と同じく宗教に関心が薄いから、「無宗教だ」と語ったら、何故かその場がシラーとして、それ以降俺を見る目が変わってしまった。まるで人間以下の存在のように見られたと言っても言い過ぎではない。つまり、俺は共産主義者だと思われたんだ、きっと。

E:
そうだろうね。かの国の「忠誠の誓い」の教育が国を一つに纏め上げている。多民族国家ゆえ、そういう人工的・擬制的な装置が不可欠だとも言えるが…。

 何はともあれ、アメリカではそういう教育効果が人びとの感性や考え方を規定しているのは事実だろう。

H:
そうするとアメリカ国民は基本的には第二次世界大戦から考えの骨格が変わっていないと言うことにならないか?

 第二次世界大戦中の1942年に「忠誠の誓い」が法制化され、現代にまで続くメンタリティ(心性)が形成され、敵がソ連となれば1954年に「神の下に」を挿入しアレンジした、というわけだ。もしかして、これはマインドコントロールではないのか。

E:
そうかもしれない。

 とはいえ、今では、国民の91%が現在の「忠誠の誓い」を変える必要はない、と回答している。第二次世界大戦中に作られたメンタリティによって承認されているにせよ、決してルール違反ではない。これはアメリカの「底割れした民主主義」と似た構造を持っているんだ。つまり、国民は民主主義の精神に則り、自ら積極的に受け入れていることになる。君の言う「自由の国アメリカ」。

H:
 でも、そうではあるが、お前の話を聴いていると、アメリカは、心理的には今でも第二次世界大戦の「戦時体制」のままだと言うことになる。

E:
多分そう言ってもいいだろう。第二次世界大戦では、アメリカを除く西欧列強は多大な被害を被った。たとえ戦勝国であったとしても…。自国が戦場と化し経済は疲弊し、立ち直れるかどうかの瀬戸際まで荒廃したんだ。もう戦争をしたくない、してはいけない、という反省も強かっただろう。いや、それだけではない。愛する祖国が状況によっては危険なものに変容し得るという新しい認識も生まれたはずだ。単純なナショナリズムは愛する祖国を亡ぼす可能性がある、と。そして日本も同じ経験、いやもっと深い経験をしたんだ。

 だがアメリカだけは違っていた。反省する要素が不足している。ベトナム戦争の敗北だって自国を荒廃させはしなかったし、今度のイラク戦争だって…。だから、君の言う第二次世界大戦の「戦時体制」のまま意識が変わっていないのが唯一アメリカだけなんだ。大戦中に国威発揚のため法制化した「忠誠の誓い」が、今でも人々のメンタリティを形作っており、それを疑うことがない。それに支えられて軍産複合体の国家が暗黙の内に肯定される。

 戦後日本が憧れ続けたアメリカ。それがこのようなものであったなら、今こそ考え直す時期にきていると僕は思うんだ。

 僕がイラク戦争を調べて見えてきたのはこうした現実だったんだ。

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