| 1945年 |
|
【第二次世界大戦終結】
|
|
|
| 1945年10月 |
【「国際連合」発足】
本部はニューヨーク。原加盟国51カ国。日本は1956年に加盟。2004年現在の加盟国191カ国
《東西冷戦》
第二次世界大戦終戦後、世界は、「東」のソ連(現ロシア)を中心とする共産主義(社会主義)陣営と、「西」のアメリカを中心とする資本主義(自由主義)陣営(西欧・日本)とに分かれて対立(1947年頃〜1989年)。直接的な軍事衝突(熱い戦争)に至らない緊張状態をさして「冷戦(冷たい戦争)」という。とはいえ、米ソとも局地的な戦争に介入して代理戦争をする。
しかし1989年11月には「ベルリンの壁」が壊され東西ドイツの統一へと向かい、同年12月のマルタ会談で米ソの首脳(米・父ブッシュ&ソ連・ゴルバチョフ)により冷戦終結宣言がなされる。
|
|
|
| 1950年〜53年 |
【朝鮮戦争】
朝鮮半島は、日本の敗戦の直後から北緯三十八度線を境にソ連とアメリカの分割統治下に入り、1948年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(南朝鮮)が樹立し、二つの国家に分裂する。
1950年6月25日、両国の軍事衝突が勃発し、朝鮮戦争が始まる。その後、韓国支援のアメリカによる国連軍(?)と北朝鮮支援の中華人民共和国による義勇軍とが介入し戦争が拡大。この際アメリカは33万人を超える兵員を導入。1953年7月に休戦協定。現在休戦中。
朝鮮戦争の勃発で、日本は米軍からの特別需要があり特需景気に沸いた。それとともに、国内治安維持のために、後の「自衛隊」の前身である「警察予備隊」が発足した。
|
|
|
| 1962年10月 |
【キューバ危機】
ソ連がキューバに建設中のミサイル(IRBM)の撤去をケネディ米大統領が要求してキューバを海上封鎖し、米ソ衝突寸前となる。フルシチョフ・ソ連首相はミサイル撤去を通告し、戦争の危機は回避される。
|
|
|
| 1965年〜73年 |
【ベトナム戦争】
第二次世界大戦後、1945年「ベトナム民主共和国」樹立。しかし、旧宗主国フランスは翌年南部ベトナムを切り離して「コーチシナ共和国」を成立させた。革命家ホーチミンを中心とするベトナム軍はフランスとの全面抗戦に突入。しかし戦闘はホーチミンの勝利に終わり、1954年、ベトナムの独立を認める「ジュネーブ協定」が結ばれた。それにより暫定的に「ベトナム共和国(南ベトナム=ゴ・ディン・ジェム大統領)」と「ベトナム民主共和国(北ベトナム=ホー・チ・ミン大統領)」が成立する。
1962年アメリカの軍事介入開始。アメリカが支援する南ベトナム政府に対し、南ベトナム反政府軍「南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)」は、社会主義路線をとる北ベトナム(ソ連や中国が支援)と共にゲリラ活動を行い、1964年、勝利の寸前にまで来ていた。
しかし、共産主義の進出を恐れたアメリカは1965年より北爆(北ベトナムを爆撃)開始、いわゆるベトナム戦争に突入。地上戦闘に拡大。アメリカ軍は最大で54万人もの兵を送り込み戦闘は泥沼化した。アメリカは戦争の泥沼化、国際社会からの批判、国内の反戦運動の高揚に苦しみ、ついに1973年1月ベトナム和平協定成立、同年3月29日アメリカのベトナムからの完全撤退により「ベトナム戦争終結」。その後、1976年には南・北ベトナムが統一、「ベトナム社会主義共和国(ホー・チ・ミン大統領)」成立。
このベトナム戦争では、アメリカ軍の死者は5万8000人以上、南北ベトナム人の死者は200万人にのぼったとも言われている。ベトナム戦争中にアメリカ軍によってまかれた枯葉剤によって今でも多くの人がその後遺症に悩まされている。
|
|
|
| 1979年 |
【イラン革命】
イスラーム・シーア派の最高指導者ホメイニが、それまで近代化を断行し経済混乱を招いていた親米政権パーレヴィー朝を倒しイスラーム原理主義の新国家(イラン・イスラーム共和国)を樹立。
シーア派のイラン革命は、影響力が大きかったとともに、スンナ派の多いアラブ諸国に警戒感を与え、イランは孤立する。
|
|
|
| 1979年〜89年 |
【ソ連のアフガニスタン侵攻】
1978年アフガニスタンで共産主義の人民民主党が軍事クーデターによって政権を握ったため、反政府勢力との対立が激化。イラン革命の波及などを警戒してソ連は翌年軍事介入し、親ソ連派のカルマル政権成立。
アメリカは対ソ政策で、タリバンなどを支援し、ビンラディンらテロリストを訓練しアフガニスタンへ送り込む。1989年ソ連がアフガニスタンから撤退。
その後、1992年に反政府ゲリラ勢力の連立政権が発足するが、1996年、イスラーム原理主義のタリバンが首都カブールを制圧する。
2001年のアメリカのアフガニスタン攻撃でタリバン政権崩壊。
|
|
|
| 1980年〜88年 |
【イラン・イラク戦争】
イラン革命の波及を恐れるイラクのフセイン(スンナ派)は、イランの孤立化を利用し、1980年に国境問題を理由にイランに侵攻し、イラン・イラク戦争勃発
。フセインはアメリカを含む国際的支援を取り付けて戦争を優勢に進めたが、その結果イラク経済は疲弊し、1988年停戦。
|
|
|
| 1981年 |
【アメリカのニカラグア軍事介入】
1979年、中米ニカラグアで親米政権が革命軍に倒される。アメリカはニカラグア反政府ゲリラ「コントラ」をCIAを通じて非合法に支援し、ニカラグアは内戦に突入。国際司法裁判所はアメリカに戦争犯罪の判決を下す。
|
|
|
| 1983年 |
【アメリカのグレナダ軍事介入】
中米の島国グレナダの政府が共産主義国キューバと友好関係を築く。アメリカはカリブ海六カ国と共同で軍隊を投入して、政権を倒す。国連総会が侵略と判断を下す。
|
|
|
| 1989年 |
《冷戦の終結》
1989年11月には「ベルリンの壁」が壊され東西ドイツの統一へと向かい、同年12月のマルタ会談で米ソの首脳により冷戦終結宣言がなされる。
|
|
|
| 1991年 |
【湾岸戦争】
クウェートがOPECの石油生産制限の規定を破り、石油価格を下落させたとして、1990年に米国製の武器でイラクがクウェート侵攻(湾岸危機)。これはイラン・イラク戦争で財政悪化に陥ったイラクがクウェートの油田獲得を目的としていたのが真相。
1991年、イラクのクウェート合併に国際社会は抗議。イラクが国連の抗議を無視したので、多国籍軍を指導してアメリカはイラク攻撃(湾岸戦争)開始。結果、イラクはクウェートから撤退。その後も化学兵器開発や核査察問題をめぐり、国際社会はイラクに制裁措置をとる。クウェートは独裁者が復権。以後もアメリカのイラク空爆は続く。
|
|
|
| 1998年 |
【アメリカのアフガニスタン・スーダン報復攻撃】
アフリカのケニアとタンザニアでアメリカ大使館が同時に爆破されるテロ事件が起こった。アメリカ政府はビンラディンの組織が行ったものとして、ビンラディンが運営しているアフガニスタンの「軍事センター」とスーダンの「化学兵器工場」を長距離ミサイルで攻撃した。
【アメリカのイラク攻撃】
12月、イラクのバグダッドに大規模なミサイル攻撃を仕掛け、病院などで多数の死傷者を出す。
|
|
|
| 1999年 |
【アメリカのユーゴ(コソボ)空爆】
ユーゴスラヴィアによるアルバニア人への弾圧、難民流出という「人道的破壊」が行われているとして、アメリカはNATO軍を指揮してコソボへの空爆を行う。巨大爆弾BU28(通称バンカーバスター)を始めて使用。民間人1000人以上を含む人たちを殺害。その結果、100万人を超すともいわれるイスラームの難民が出る。
|
|
|
| 2001年9月 |
【同時多発テロ】
2001年9月11日、ビンラディン中心のアル・カーイダは19人のテロリストを使いアメリカの航空機四機を乗っ取り、ニューヨークの「世界貿易センタービル」二棟に激突させ、2749人が死亡、ワシントンの米国防総省の本部(ペンタゴン)に激突し、189人が犠牲になった。
四機目はホワイトハウスか米連邦議会に突入する可能性があったが、テロリストが占拠していた操縦席に乗客が突入しペンシルベニア州に墜落。
|
|
|
| 2001年10月 |
【アフガニスタン戦争】
アメリカは同時テロの首謀者ビンラディンなどを匿っているとして、2001年10月7日、アフガニスタンのタリバンを軍事攻撃、壊滅に追い込んだ。12月には暫定政権が発足。
|
|
|
| 2003年3月 |
【イラク戦争】
2003年3月19日、イラクがビンラディンなどテロリストと関係があるということや、大量破壊兵器を秘匿しているとして、アメリカは有志連合を募りイラク攻撃を開始した。同年5月1日ブッシュ大統領は戦闘終結宣言。
|