とりかへばや?


 

「――お願いよ香織っ、このっとおりっ!」

「我が一年五組の命運がかかってるのっ!」

 両手を合わせて頭を下げる早智子と奈津子に、

「いくら拝み倒されても無理は無理! 練習抜きでいきなり舞台に立てなんて!」

 香織は憤然として言った。

「だいたい男の役でしょ、素直に男子に頼めばいいじゃないの!」

「男といっても王子様だもんっ、普通の男子には務まらないのっ!」

 早智子が言って、奈津子も、

「少なくともクラスの男子には無理なのっ、香織のお兄さん――薫さんレベルならともかくっ!」

「ああ……」

 薫の名前が出て、香織は顔をしかめた。こんな場面で愚兄を引き合いに出されるとは。

 だが、香織の胸の内など知らない早智子と奈津子は、ここは押しの一手とまくし立ててきた。

「だから笹倉さんに王子様の役をお願いしたのにっ、何の因果か文化祭当日に『ものもらい』っ!」

「眼帯つけた王子様なんてあり得ないでしょうっ?」

「じゃあ設定変えて、人魚姫が憧れる相手を王子様じゃなくて海賊の船長にすればいいじゃない」

 香織が言い返すと、早智子と奈津子は揃って首を振り、

「それじゃアンデルセンに対する冒涜よっ!」

「海賊の衣装だっていまからじゃ用意できないわっ!」

「いまからじゃ無理なのは、わたしも一緒。台詞が少ないったってゼロじゃないし演技もしなきゃでしょ?」

 うんざりしながら香織は言う。

 高校の文化祭当日、朝のホームルーム終了後。

 香織はクラブハウスへ行こうと教室を出たところで早智子たちに呼び止められたのだった。

 チアリーダー部に所属する香織は公開演技があるからという口実でクラスの劇への参加を免れていた。

 公立であるこの高校の文化祭はオープンで、地元の小中学生も大勢、見学に来る。

 彼らを――といっても女子限定だが――来年以降の新入部員として呼び込むことが公開演技の目的の一つだ。

 部員一同には気合いが入り、今朝も七時からリハーサルを行なっていた。

 それゆえに香織はチアリーダーのユニフォーム姿である。

 そのままの格好でホームルームにも出たが、彼女の性格を知っている男子は決して冷やかしたりしなかった。

 王子様の代役を懇願されている香織は、ショートカットのよく似合うボーイッシュな少女だ。

 性格は男勝りの一語に尽きる。余計なことを言えば罵詈雑言の倍返し、下手をすれば蹴りまで飛んでこよう。

 早智子と奈津子は上目遣いにすがるように言った。

「どうしてもダメなのぉ、香織ってばぁ……」

「香織なら助けてくれると思ったのにぃ……」

「ほかのことならともかくお芝居は無理」

 きっぱりと答えて言ったところで、手にしていた携帯電話のバイブが唸りだす。

「ちょっと待って」

 香織は早智子と奈津子に断り、メールの着信を確かめた。

 

 FROM:愚兄

 本文:たすけて香織! いますぐ体育倉庫に来て!(>_<)

 

「……アニキから呼び出しだ」

 携帯を閉じて香織は言った。いつもなら確実に無視するが、いまはこの場を抜け出す口実になる。

「行ってこなきゃ。そういうわけで王子様の代役は無理だからね、練習してる暇もないし」

「薫さんの呼び出しなら仕方ないけどぉ……」

「ほかに王子様が務まりそうなオトコマエの女の子なんてぇ……」

 顔を見合わせる早智子と奈津子に香織は呆れつつ、

「だから素直に男子に頼めばいいでしょ。それじゃね!」

 そそくさとその場をあとにした。

 

 

 文化祭の開場を目前にして、学校中が慌しい雰囲気だった。

 一般教室では各クラスの出し物の、特別教室では文化系クラブの研究発表の準備が追い込みに入っている。

 体育館では文化祭実行委員が音響や照明の最終チェック中である。

 午前中はそこでチアリーダー部の演技と吹奏楽部の演奏、演劇部の公演が順に行なわれる。

 午後は実行委員が審査するオーディションに合格した六つのバンドによるライブだ。

 季節外れのプールでさえ昔のヒット映画を真似た男子シンクロのリハーサルで大音量の音楽が流れ騒々しい。

 しかし体育倉庫だけは、隣の体育館からマイクチェックの声が聞こえてくるほかは静かなものだった。

 ほんの少し戸が開いているのは、いかにも中で何かが待ち構えている雰囲気で気味が悪い。

 その何かの正体は、わかりきっているのだが――実の兄だと。

「……はぁっ」

 ため息をついて肩を落とし、しかし気をとり直して顔を上げ、戸を開けながら呼びかけた。

「バカアニキー、来てやったわよー」

「香織ぃぃぃぃぃッ!」

 暗がりから何者かが――正体はわかりきってるけど――飛びついてきて、香織は反射的に蹴りを入れた。

「ぐぅぇぉぶぁッ!?」

 どこに決まったか意味不明の苦鳴を上げて、相手は床に転がった。

 兄の薫だった。よりにもよってメイド服姿で、妹より長いくらいの栗色の髪にヘッドドレスまで着けている。

 短めのスカートからは黒いニーソックス履きの白い脚が伸びた悩ましげなスタイル。

 しかし床にうずくまり、両手で股間を押さえて苦悶しているのは、あまりにみじめだ。

「……ぐぅぅぅッ……お母さまッ……薫を男の子に生んだことをお怨み申し上げますッ……!」

「いきなり飛びかかってくるからよ。それよりバカアニキ、その格好で教室の外を出歩くの勘弁してくれる?」

「ぼ……ボクだってこんな姿、人前に晒したくなかったッ!」

 顔を伏せたまま薫が言い返し、おや? と香織は首をかしげた。

「何よバカアニキ、学校で大っぴらにメイドさんになれるって張り切ってたんじゃなかったの?」

「ああ、出し物がメイド喫茶に決まって反発する女子を宥めるため男も体を張るという口実でな……しかしッ」

 薫が上げた顔を見て、ぎょっと香織は眼を丸くした。

 まるで宝塚の男役トップスターのような濃厚メイクだったからだ。

「クラスの女子が寄ってたかって面白半分にこのメイクッ! こんなのボクの美意識が許すわけないだろッ!」

「はあ……」

 香織は呆れて嘆息する。

 実のところチアリーダーである香織も演技のときは濃いめの化粧をする。

 そのほうが遠目にも映えるからである。舞台役者のメイクと同じだ。

 しかし御主人様の側近くに仕えるメイドさんにはナチュラルメイクこそふさわしい。

 とはいえ、それは本物の女性が扮したメイドさんであればの話だ。

「いいじゃん、どうせ男がメイドさんになるって時点で色モノなんだから」

 香織が言ってやると、薫は泣きそうな顔で声を張り上げた。

「よくないッ! せっかくッ……夢にまで見た晴れ舞台なのにッ!」

「じゃあ自分でメイクすればよかったじゃん」

「ボクだってそうしたかったッ! でもボクが自分で化粧できることをどう説明するんだッ……いやッ!」

 強い視線を香織に向けてきて、

「いっそこの機会にカミングアウトしたってボクは困らないけどッ、そしたら香織が怒るだろうッ!」

「あ……当たり前でしょっ!」

 香織は声を裏返らせて叫んだ。そうなのである。

 よりにもよって(香織が第一志望の私立の受験当日に風邪をひいたおかげで)同じ高校に通う一歳上の兄は。

 女の子に変身するのが大好きという、とんでもない趣味を持っていたのである。

 いまのところ、その変身は家の中(しかも両親が見ていないとき)か。

 あるいは知人に見つかる恐れのない遠出をしたときだけに限られている。

 とはいえ香織の贔屓眼ならぬマイナス補正(兄の変態性癖を受け入れたくない)のかかった眼で見ても。

 薫の「女の子」ぶりは完璧であった。

 服の着こなしもメイクも立ち居振る舞いも、多少ハスキーながら声までも立派すぎるほど女の子なのだ。

 しかも可愛かった。認めるのは悔しいけど。

 だから――いつか兄が「女の子」として自信を深め、変態性癖を公言するのではないかと香織は恐れていた。

 そんなことをしたら兄妹の縁を切る。

 ついでに望み通り、あんたを男という性別から縁を切らせてやると釘を刺してはいたけれど。

「で、わたしを呼び出した理由は何? メイクをやり直せとでもいうの、アニキ自分のが上手いくせに?」

「そうッ、その通りッ!」

 すっくと立ち上がった薫が拳を握りつつ断固とした口調で言って、香織は思わずたじろいだ。

「……えっ?」

「つまりは表向き香織に頼んだことにしてボク自身でメイクをやり直すんだッ! それならいいだろッ?」

「いいも悪いも……」

 いいと言えば兄の変態性癖を容認することになる。

「ダメと言ったらどうする気?」

「せっかく学校公認でメイドさんになれる晴れの機会ッ、こんなメイクで台無しにするならッ、いっそッ!」

「いっそ……何?」

 香織が訊き返すと、薫は前屈みになって両手で股間をかばいながら、

「……いっそボクの趣味をクラス全員の前でカミングア……ぐぅぶぇっぶぉあぁッ!?」

 チアで鍛えた香織のハイキックが薫の股間を抉った。

 

 

 そして――

 

 

 香織の見守る前で、薫は見事なまでの美少女メイドに変身した。

 最初からそのつもりだったのか自前で化粧道具を用意していたことには香織は呆れるしかなかったけど。

 眉を整え、マスカラで睫毛を伸ばし、ラメ入りのグロスを唇に引く。

 いつも完璧に変身するときの、自然に女の子らしく見えることを意図したナチュラルメイクとは少し違う。

 メイド喫茶のメイドさんというコスプレっぽさを演出した人眼を惹きつけるメイクだ。

 自分の役割を理解しているということだろう。

「これで……いいかな?」

 にっこりと薫が微笑んでみせ、香織は思わず素直に頷いた。

「う……うん」

 いくらマイナス補正がかかった眼で見ても、可愛いものは可愛いと認めるほかはない。

 変身したときの薫は言葉遣いや仕草まで徹底して変わるのだ。

「ありがとう香織ちゃん、これで薫、きょうとあしたの文化祭を満喫できるよ」

「調子に乗って男とバレないように……じゃなかった、男とバレてもいいけど例の趣味までバレないようにね」

 自分の言い間違いに香織は苦笑いする。兄が今回変身したのは「女の子」ではなく「女装っ子」だ。

 くすっと薫は笑って、

「大丈夫。いつもは学校で女の子っぽいところなんて全く見せてないもの。みんな演技としか思わない筈だよ」

「きょうとあしただけだからね。調子に乗って、あさってからも女の格好で学校に行くなんて言わないでよ」

「わかってるわかってる。それより、あのね香織ちゃん」

「え?」

「お礼に香織ちゃんにもメイクしてあげたいな。ステージで可愛らしく見えるように」

「わたしはいいよ。自分でするから」

 苦笑いする香織に、にこにこ笑顔で薫は首を振り、

「お願いだからさせてよ。ホントはずっと前からしてあげたかったけど、香織ちゃん普段はお化粧しないし」

「うーん……わかった」

 たぶん文化祭というシチュエーションで自分も浮ついているのだろう。

 そう思いながらも香織は申し出を受け入れた。兄のメイク技術で自分がどれだけ変身できるか興味もある。

 数分後――

 香織は兄から借りたコンパクトの鏡を覗き込んだ。

 きりりと眼元をシャドーで引き締めた、ショートの髪にばっちりと合うメイクだ。

「うん……なかなか悪くない、というか……いいよ、うん、かなりいい」

 素直な感想に、薫は笑顔を輝かせた。

「本当? 香織ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいな」

「お兄ちゃん将来はメイクアップアーティスト目指したら? おネエキャラでもやっていけるし」

 普段は「バカアニキ」のところを「お兄ちゃん」とまで呼んでしまった香織に、薫は笑って首を振り、

「おネエじゃなくて完璧なガーリッシュを薫は目指してるんだけど、それより香織ちゃんにお願いがあるの」

「ん、何?」

 機嫌も治って笑顔で訊き返した香織に、にっこり微笑み薫は言った。

「あとで衣装を取替えっこしない? 香織ちゃんのメイド姿を見てみたいし、薫はチアの……ぐぶぇぉぁっ!?」

「変態にチアのユニフォームを穢されるなんて絶対にイヤ!」

 香織のハイキックが容赦なく美少女装メイドの股間を抉った。

 

【終わり】


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