□真田丸 このページはNHK大河ドラマ「真田丸」に登場したキーワードついて調べることで 「真田丸」をより深く理解することを目的とする。 ----------------------------------------------------------- 20160515 第19回「恋路」 ・寧(ねい)、北の政所、高台院 豊臣秀吉の正室。北政所(きたの まんどころ)は、平安時代の三位以上の公卿の正室の呼び名。 諱(いみな)には諸説あり、「ねい」「ねね」「おね」等の説がある。 秀吉との間に子供がなかったので加藤清正や福島正則を養子や家臣として養育した。 かつては淀殿と対立関係にあり、徳川家康と協力関係にあったことが通説とされていたが、 最近の研究では大津城の戦いでの講和交渉を担当するなど、淀殿とも協力関係にあったことが 確認されていて、両家の橋渡し的な働きをしたことが考えられる。 豊臣家が滅亡した後も徳川家とは良好な関係にあった。 1624年に没す。 20160501 第17回「再会」 ・片桐 且元(かたぎり かつもと) 浅井氏配下の国人領主、片桐直貞の長男。賤ヶ岳の七本槍の一人。 行政官として能力を発揮して、小牧・長久手の戦い以降は馬廻衆として後方支援を担当している。 豊臣家と徳川家の仲介的な立場を取ることが多かったが、大阪の陣の前に徳川との内通を疑われて改易となり、 大阪の陣では人質を徳川家康に出して、徳川方として参戦している。 秀頼の助命を願い出たがかなわなかった。1615年5月7日深夜に大阪城は落城。 肺を病んでおり、大阪夏の陣の20日後に没している。 ・朝日姫 豊臣秀吉の異父妹。1586年、秀吉は妹を強制的に夫と離縁させ、徳川家康の継室(後妻のこと)となった。 この時、家康45歳、朝日姫44歳。 さらに秀吉の母(大政所)が人質となり、家康は上洛して秀吉との和議が成立する。 駿河府中(駿府)に居を構えたため、以後、駿河御前と呼ばれた。 1590年1月、病気のため没した。 20160313 第10回「妙手」 ・本多忠勝 本多家は徳川家の本家に当たる安祥松平家に仕えており、最古参の家臣。 愛用の槍は蜻蛉切(とんぼきり)。トンボが飛んできて穂先にとまっただけで 真っ二つに切れてしまった、というのが名の由来。 1610年に桑名城にて没した。 ・本多正信 三河には本多姓が多く、過去をたどると本多忠勝と同じ祖先につながるらしい。 一時、松永久秀に仕えたが、その後、帰参を許されている。 三河武士の苦手な政治的な仕事を担当することが多かった。 家康が死去(1616年4月17日)すると隠居して一切の政務から離れ、その2ヵ月後に没している。 ・阿茶の局 (あちゃのつぼね) 徳川家康の側室。号は阿茶局、雲光院、一位局、一位尼。 父は武田家の家臣、飯田直政。 才知に長け、奥向きの諸事一切を家康より任されていた。 大坂の陣では、和議の使者をつとめている。1637年に没した。 茶阿の局(ちゃあのつぼね)、於茶阿の方(おちゃあのかた)、いわゆる朝覚院とは 名前が似ているが別人なので注意すること。 20160214 第6回「迷走」 ・高宮 彦根城の南2.5Km ・滝川一益 ・森長可 ・すっぱ 忍者に近い存在をらっぱ、すっぱと呼んだ。 ・北条氏政 北条家の第4代当主 ・北条氏直 北条家の第5代当主 ・沼田城 上州沼田 真田丸展を開催 平成28年3月20日(日)〜平成29年3月31日(金)(無休) ・滝川 vs 北条(氏直) 神流川(かんながわ)の戦い 1582年7月5日〜7月8日 戦国時代を通じて関東地方でもっとも大きな野戦とも言われている 20160207 第5回「窮地」 ・小県郡 ・佐久郡 ・高梨内記 ・穴山梅雪 ・真田の郷 ・伊賀越え ・服部半蔵 ・本多平八郎忠勝 ・上杉景勝 ・魚津城 ・厩橋城(うまやばしじょう) 後の前橋城のこと。 関東七名城の一つ。渦郭式の曲輪の配置をしている。 滝川一益の城主の期間は3ヶ月。 ・渦郭式 本丸を中心として二の丸、三の丸を渦巻き状に配置する縄張り。