POMPEII ROMA,ALBEROBELLO,MATERA,CAPRI,CASERTA



南イタリア世界遺産
 (ポンペイ遺跡)             

「ソレントからヴェスヴィオ火山(1281m)を遠望する」
ポンペイ(POMPEII)は右端の麓に位置する
ポンペイの街は城壁で囲まれた高台にある。ポンペイに人が住み着いたのは、鉄器時代(前10〜7世紀)に遡るが、前6世紀にはギリシア人とエトルリア人などが定住し、自由貿易港として栄えた。海から眺められるアポロ神殿、ヘラクレスとミネルヴァ神殿が建てられていた。その後、ギリシア人、エトルリア人、サムニウム人の覇権争いがあったが、ギリシア人が勝利した後のポンペイは、古代イタリア同盟都市の一つとして、古代ローマ帝国の支配を受け安定する。紀元前89〜90に、古代イタリア同盟都市はローマ市民と同等の権利獲得の戦を起こし、城壁も堅固なものが造られる。ローマ軍が勝利し、ポンペイはローマ軍退役兵の住む植民市となる。戦争前に計画されていた”街のギリシア化計画”はそのまま受け継がれ、ウエヌス神殿、音楽堂、円形闘技場が建設された。不要になった城壁は一般の建築物に転用された。AD62年に大地震が起き大被害を受けたが、時のローマ皇帝ウエスパシアヌス皇帝は震災復興に力をそそいでだ。余震が続いた後のAD79年にヴェスヴィオス山の大噴火があり、街は厚さ6mの火山灰・溶岩に覆いつくされ壊滅した。
ポンペイの街の発掘が開始されだしたのは1748年以降であり、現在まで8回の大規模発掘が続いている。

ポンペイ遺跡の特徴は、神殿と浴場と邸宅にある。

三角広場周辺の前6世紀の神殿跡、前2世紀のイシス神殿を始め、市民広場周辺のギリシア・ローマの神殿にポンペイで愛された多くの神々を見る。ヘルクラネウム門郊外にディオニュソス信仰の秘儀荘がある。西欧社会がその後一神教化するのを他所に、多神教社会がそのまま埋まったものとして興味がつきない。

ローマ人は風呂が好きだった。フォルム(公共)浴場、中央浴場、スタビアーネ浴場やマリーナ門外にも郊外浴場があった。

住宅としては、前3世紀〜前1世紀の邸宅や、噴火当時ポンペイで勢力を持っていた旧家と新興勢力の家がある。ローマ時代の住宅の基本形を見る。
ツアー観光では遺跡の西半分の地域(REG.[、Z、Y)を1時間15分で駆け抜けた。
遺跡入口から城壁を左に見て東に進み、スタビア門から街中に入る。劇場広場・音楽堂・大劇場を経て、街中を見学しながら市民広場に出る。市民広場を中心に右回りに、ユピテル神殿北側の街・家を見学しながら市民広場の西側に出えて、アポロ神殿・ユピテル神殿を経て、マリーナ門側から退出する。

2:47 入口 スタビア門までは地中海松(枝が上方にだけ纏まる)の並木道を、城壁を左に見て歩く。
2:55 スタビア門から入る。 
2:55 劇場広場(剣闘士の宿舎) 2:55 広場の北側右に音楽堂に通じる門がある。
2:55 広場の左向こう(樹木が生茂る)が三角広場。 2:56 広場から音楽堂へ
2:59 音楽堂(Odeion) センター(オーケストラボックス)に音源が集中し、客席に音が行き渡る仕組みになっている。 3:02 音楽堂から大劇場へ
3:02 大劇場の舞台 3:03 大劇場の観客席
3:05 大劇場観客席の上部から 3:06 大劇場上部から街に出る。
3:09 vicolo de lupanare
    hionare
   ← book shop
   ← porta marina
   → abfieatro
3:09
3:10 ローマ期のポンペイの邸宅には、床に雨水を貯める長方形の水槽が設置されていた。 3:14 廊下状の入口の床面には、装飾を施されたタイルが張られていた。
3:15 フォーロ (foro)市民広場

8 edificio di eumachia
9 tempio di vespasiano
10 santuario dei lari pubblici
11 macellum
12 tempio di giove
7 edifici amministrazione pubblica
3:16 アボンダツア通り

  via delle scuoie
  casa dei mosoici geometrici
3:16 フォーロ北側にジュピター神殿
紀元前2世紀代に建造され、ローマ人支配下でも至高の役割を果たし、カビトリウムの三神(ジュピター、ユノー、ミネルバ)の神殿となった。神殿の両側は凱旋門で挟まれている。
3:17 広場南側には一連の台座がある。ここには名誉の像が立っていた。
3:18 ジュピター神殿 3:18 東側には、公共建築物が並んでいた。
3:18 ジュピター神殿の上部に、ジュピター頭像の模造像が置いてある。 3:20
3:21 3:21 REG・VU・INS・U
3:22 エウマキーア館 (アッポンダンツア通りに面してる)
アウグストウス帝時代のもので、羊毛組合が、皇帝への忠誠を誓って、巫女エアウマキーアによって奉納されたもの。AD62の大地震で被害を受け、修復中に溶岩流に埋まった。建物内部から発掘された美しいエウマキーア像は、ナポリ国立考古学博物館に所蔵されている。
3:23 ヴェスバシアヌス(の守護神)神殿
元々は大理石で覆われていたらしい。
AD62年の大地震(噴火前)後に、アウグストウスの守護神殿に代わって建造されたもの。祭壇の向正面に屋根つきの建物があり祭司が座した。
 
3:23 中央の祭壇(生贄台)にレリーフが浮き彫りにされている。人物配置、写実的な描写、仕上げの細かさから、ユリウス・クラウディウス朝時代のもと分るらしい。
3:24 macellum 公設市場 
市民広場の東北にあった。彫像をのせた化粧張りの台座が並び、市民ギャラリーの用をなした。
3:24 公設市場の北西隅には両替屋などがあったと考えられており、その壁には壁画があり、噴火時の姿そのままの石膏人体が展示されている。 3:25 第4様式のポンペイレッドの優雅な壁画
3:25 火山噴火の犠牲者の姿は石膏像として再現されている。火山灰層の中に残っていた空洞に石膏液を流し込むことにより石膏像として再現された。
3:26 3:28
3:29 フォルム(フォーロ)浴場の浴槽 3:30 フォルム浴場 温浴室の壁際の男性像
3:33 温浴室の噴水つきの大理石の水盤。周囲に碑文がある。  3:34 温浴室の側壁の彫刻(ゼウス?)
3:37 居酒屋  REG・Y・INS・V 3:37
3:38 vicola di mercurio

← villa dei misereri
→ bookshop
→ porta parina
3:39 北に通じる街路
3:41 パン焼屋の石臼。石臼を3〜4台持つパン製造工場が市内に焼く30軒あったという。 3:45 豪邸の水槽は装飾タイルが残っている。
3:46 豪邸の奥の列柱。  3:52 フォロ(市民広場)西側にある発掘品の保管所。本来は、穀物庫(horreum)であった。
3:52 発掘品 3:53 発掘品
3:54 広場西側の柱廊 3:55 一際高い柱廊は3階立ての建物があった事を偲ばせる。
3:56 アポロ神殿 広場の南西にある。 3:57 tempio di apollo アポロ神殿
3:57 バシリカ アポロ神殿の南側。 3:58 casa di trittolemo トリットレモの家
3:58 3:59 マリーナ門近くに臨時の出口があった。 tempio di venere ヴェヌス神殿
3:59 マリーナ門西側は、発掘はまだ行われていた。 4:02 マリーナ門から坂を下る。東側に城壁(洞窟)を含むポンペイ遺跡を見る。  

参考書として、
サルバトーレ・ナッポ(横関裕子訳)「ポンペイ 
完全復元 2000年前の古代都市」 Newton Press,1999.9



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