| ■Photo Snap |
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| 美人インストラクターと関係者の挨拶 |
会場での勉強風景 全て自分のため・・デス。 |
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| ストレッチとマッサージ風景 これで体が軽くなったね・・。 |
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| 汗をかいた後、先生の説明に聞き入る生徒たち・・。 |
会場:熱海後楽園ホテルをウォーキングしながら写す。 |
インストラクターの先生方・・。お年寄り(?)を相手に二日間ご苦労様でした。
(ウォーキング休憩時間、「貫一お宮」のブロンズの前で・・) |
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江戸時代初期(1645年頃)、老中松平伊豆専信綱が伊豆巡視した際に植えさせた松の一本であり、1830年頃、現在の場所(初代お宮の松跡)に移植されたものであり、大正の初めから昭和の初めまで、その美しさから「羽衣の松」とも呼ばれていました。
明治30年から35年まで、読売新聞に掲載された尾崎紅葉の「金色夜叉」により熱海は一躍脚光を浴び観光は急速に上昇発展し、大観光都市へと変貌していきました。熱海発展の恩人とも言われる尾崎紅葉に感謝し、大正8年土地の有志により「金色夜叉の碑」を建立し、大正15年3月17日に第一回目の紅葉祭が挙行されました。
「お宮の松」と呼ばれるようになったのは、昭和9年頃からです。
昭和16年、市で松に名札を建ててから「お宮の松」は益々知られるようになり、昭和24年、キティ台風の際、大波により東海岸の道路が崩壊したため、復旧にあたり、道路が拡幅されることとなり海側に伸びた大枝を切ることになりました。その後、観光地としての発展に伴い、道路が塗装されたり、自動車の排気ガス等により初代「お宮の松」は枯れ出しました。(樹齢およそ300年)
このときすでに市では、市民各位の協力を得て、50数本の候補から選定し、熱海ホテルにあったクロマツを「お宮の松」(小佐野賢次氏より寄付)、小田原市の本多氏の所有する松を添松として新「お宮の松」の選定を終えていました。植栽場所は、初代「お宮の松」より約15m海側の緑地内に定め、当時の海岸の風景を思わせる情緒豊かな造園計画を立て、山崎種二氏より寄付を受け、総工事費700万円で着工し、昭和41年12月末に完成しました。(熱海市役所みどり農水課より) |
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・・引用・・
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