輝く女性の人生歓走
女子マラソンのパイオニア松田千枝が追求してきた”走りの美”西洋的身体から東洋的身体の美的な動きを極め”女性の美”を追求してきたオリンピックメダリストの中村多仁子が、老いてもなお美しい「ビューティフルエイジング」を推奨しあなたの”美しい女性の生き方”を応援します。
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〜美とは魂の純度の探求であり、もし魂が存在するならその外形にあらわれずにはおかない〜
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記録、記録、記録

松田:そうしているうらに、今度世界で初めて女子だけの公認レースが東京で開かれることになったということを新聞紙上で知りました。1979年の第1回東京国際女子マラソンです。
 そのとき筑波の方に夫の職場が移転したものですから私も一時本社から土浦の支社の方に移っていたのです。ですから本社の動きにと疎くなっていました。レース間近になって、私が東京国際女子マラソンに参加するということを会社が初めて知りましたし、私白身も会引か東京国際女子マラソンの単独協賛をするということを初めてそこで知ったのです。それで第1回はユニフオームではなく、普通のTシャツで走ったわけです。
 資生堂は第22大会まで単独協賛をしてくれました。いまも協心は続けております、会社がこれだけ力を入れている大会で、社員である私が精一杯頑張り、記録が伸びればアピール効果もあるだろうし、少しは会社の役に立つだろうということから、この大会が一年の大きな目標となりました。

中村:第7回大会で自己最高記録を出されて、順位も自己最高で四泣になられましたね。

松田:自己記録が、2時間3638秒秒で、その第7回大会で優勝したのは当時東ドイツのカトリン・ドーレさんです。2位、3位、4位が非常にしていて、2位は同じ東ドイツのワインホルトさん。彼女は途中生理になってしまって話題になりましたが、あの大会のときです。2位と4泣の私とは九秒の差でした。
 1位、2位、3位は、22,3歳の若い方でしたが、私はそのとき、37歳になっていました。第一回で優勝したジョイ・スミスさんは41歳ですから、私も頑張ればできるということを実感した大会でしたね。

中村:そうですね、それを機会に、もう記録、記録、記録ということに松田さんはのめりこんでいった。それで第8回大会を終わって故障されたんです。

松田:本当を言うと第8回大会は順調なトレーニングができて、第7大会以上に、もしかしたら35分、いや32,33分かもというぐらいにトレーニングが充実していたのですが、直前に欲張って練習をやりすぎて、実は10日くらい前から踵を痛めたレースだったのです。

中村:ソウルのオリンピックが1988年ですから、その三年前ぐらい。てすから、誰がソウルにいくのかという選考対象の中にあなたは入っていて、そして順調に記録がのびていましたから、自分を追いこんで、追いこんで、結果として故障してしまった。そのときに劇的にあなたと再会して、あなたの肉体改造トレーニングを担当することになったのです。

転勤・結婚・出産・育児そしてマラソン
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記録、記録、記録
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